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第20話 待っててくださいね

 怪盗に拐かされた花護男爵家のご令息が無事に帰還した話が、新聞に掲載されるや、薄幸の美少年を案じていた読者は、皆安堵の涙を流し。


 そして悪徳商人、恵比寿屋角右衛門の悪事が、警視総監と名探偵の手によって白日の下に晒されるや、二人の名声はいや増した。


 しばらく、身辺が賑やかしい事この上なかった美優人ではあったが、真神に近付くため、兄たちを必死に説得し、あることを決めたのだった。





 あれからしばらく経った春の日。

 帝都は、櫻のはなびら繽紛ひんぷんと舞っている。


 その中、煉瓦造りの厳つい建屋の前に、美優人はいた。

 建物は、倉庫である。



『帝都瓦斯ガス株式会社』と書かれており、その二階に上がる階段の所に、もう一枚、看板が立てかけられている。

 墨書も流麗な看板であった。



『中院探偵事務所』



 中院正隆の主宰する、探偵事務所に、中院の助手として入ることになったのだった。


 中院は、兄の知り合いでもあり、兄・勝彦としては(なんだかんだ仕事がそれほど出来るわけでもない中院なので)『割合安心して』美優人を預けることになった。


「どうせ、失せ物探しとか、浮気の調査だとか、そう言うことばかりだよ」

 とは中院の言葉だったが、調査の為にあちこちを歩き回れば、真神に逢うことも出来るだろうと思っている。


「もちろん、どんな仕事でも、全力で頑張りますっ!」

 美優人は明るく応える。


 その言葉を聞いた中院は「さすがは、美優人くん。よし、では、お茶を入れるところから始めよう」と美優人を給湯室に連れて行く。


「ここは、下が瓦斯会社の倉庫だから、火の元にはよくよく気を付けるのだよ」

 という言葉に、ぞっとした美優人だったが、探偵事務所に来たお客様に、美味しいお茶を出すのは、大切な仕事なのだという。


 そういえば、家に帰れば男爵家の三男坊として、『乳母日傘おんばひがさ』で育てられた美優人である。

 お茶など淹れたこともない。


「僕、覚えることが沢山ありそうです」

「うんうん、きっと、君は、私とちがって優秀だろうから、良く覚えてくれると助かるよ」


 なんとも心配なことを言う中院に教えて貰い、生まれて初めて淹れたお茶は、まるで、太平の眠りを目覚めさせるようなとんでもない味だった。



(真神様……待っててくださいね。僕は絶対、あなたを見つけてみせますから)


 この世のモノとも思えないような味の茶を飲みつつ、美優人はそう固く誓った。



 了


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