邸へ戻ってから、美優人は兄・勝彦に状況説明をした。
恵比寿屋に行くのがいやだったから、怪盗の所へ行った。そこでは、不自由なく過ごしたが、やはり、仏像をなんとかしなければならないと思い、恵比寿屋に侵入することになった。
そして、怪盗は語る。
「詳しいことはお話し出来ませんが、私は、ある方から依頼を受けて、宝石を集めています。かつて、とある所から盗み出された宝玉なのです……それが、あの仏像の中にあるというのは、やっと突き止めたところでした」
「それで、美優人を攫ったのですか?」
勝彦の問いに、真神は『いいえ』と応えるはずだった。けれど、違った。
「ええ。花護男爵家の内情がよく解らなかったのです。ここの使用人達は口が固くて」
真神が笑う。
美優人は、胸がきしきしと痛むのを感じていた。
(一目惚れって言ってくださったのに……)
その言葉は、嘘ではないと、今でも、信じたい。
「……そうでしたか……、こちらも、渡りに船という立場でしたので、特に、何もしないことに致します」
「ありがとうございます。……弟君には、一切、不埒な事をしておりませんので、そこだけは、ご安心ください」
「解りました。あなたを信用しましょう。弟を保護してくださったこと、それと、恵比寿屋角右衛門の悪事を暴くきっかけとなったこと、心から感謝致します」
勝彦は一度立ち上がり、深々と礼をした。
しばらく談笑したのち、真神が帰るというので、美優人は、送ることにした。
門のところで「それじゃあお元気で」と笑顔を見せた真神だったが、美優人は、その袖を掴んだ。
「少し……、お話しがしたいです」
このまま、別れたくなかった。
真神は、少し、困ったような顔をしてから「このあたりに、富士山が見える坂があるでしょう。そこまで、案内して貰えますか?」と、美優人に問いかける。
「はいっ!」
と返事して、美優人は真神と並んで歩き出した。
「……一目惚れ、嘘だったんですか?」
ややあって、真神が応える。
「いえ、本心です。でも―――あそこで、あなたの兄上に、それを告げるわけにはいかないでしょう」
「でも」
美優人の言葉を遮るように、真神は言う。
「世間では、私は悪人ですよ。そういう人物が、あなたのような将来のある方の近くを、ちょこまかとしていることは出来ません。あなたの人生の邪魔になります」
「結婚してくださると、約束したじゃないですか」
美優人は、真神を詰る。
真神は、微苦笑した。
「集めなければならない宝石は、まだあるのです」
「えっ? そんなのって……詐欺ですっ!」
「――すべて集めるまで、どれほどの時間が掛かるか……、私にも解りません。場所については、私の上司が突き止めると思いますが……それまでは、私は、田舎の山奥の小さなお社の神官なのです」
「それは、本当なんですね」
「ええ。……割と、あなたには、真実を告げていますよ」
「それは……なぜ、ですか?」
真神は、ふ、と笑った。諦めきったような、優しく澄んだ笑顔だった。
「あなたのことを、好きだから、でしょうね」
「だったら……」
「……私の、この仕事が終わったら、あなたに逢いに来ます。それまで、あなたが、私の事を覚えていてくださるか解りませんが、必ず、逢いに来ますから」
「あなたのことを、探しても良いですか?」
美優人は、ぎゅっと、真神の袖を掴む手に力を込める。
「……探せますか? 私のねぐらも知らないでしょう? あなたは」
「知らないですけど……、探します。探して……結婚して貰います」
真神が苦笑する。
「……役目が終わるまでは、無理ですが、予約だけは受け付けておきます」
「じゃあ」
と美優人が、立ち止まる。
「美優人くん?」
「……約束代わりに、接吻してください」
「……困ったな」
本当に、真神は困った顔をしていた。
往来でなにをしているのかとも思う。けれど、今、掴んだ袖を放したら、真神はパッと消えてしまいそうだと思った。
「わかりました。では、……目を閉じて。こういう時は、目を閉じるものですよ」
美優人は言われたとおりに目を閉じて、上を向いた。
すこしずつ、真神が近付いてくる気配がして、美優人は緊張のあまりに手が震えてきた。
ふわり、と唇に接吻が降りてくる。甘い、香水の薫りがした。薔薇と菫の香りだ……。そして、真神は、愛おしそうに美優人の身体を抱きしめながら、角度を変えつつ、何度か接吻をした。
(あ……これが……接吻なんだ……)
初めての接吻に感動していると、不意に、その幸せな感覚が途切れた。
目を開ける。
辺りを見回しても、真神の姿はなかった。
「……っ……」
その辺中を駆け回って探したが、真神はいなかった。
「……でも、僕、絶対に、あなたを探し出しますから……っ! 待ってて下さいねっ!!!」
誓いの言葉を、聞くものはいない。