目を覚ましたとき、横のベッドでリベリオが眠っていた。
蜂蜜色のけぶるような長い睫毛を伏せて、薄く色づいた小さな唇からは健やかな寝息が漏れている。
(リベたん、睫毛ながーい! ぼくの睫毛なんて真っ黒だけど、色が薄いとこんなにきらきらしてきれいなんだ。リベたんの寝顔いただきましたー! とってもきゃわいいですー!)
起き抜けからテンションがマックスになってしまって、しばらくリベリオの寝顔を凝視してしまったが、さすがに不審人物だと気付いて、エドアルドは身支度をしてベッドに戻ってきた。
リベリオの寝顔を見すぎないように、手には魔法学の本を持っている。魔法学の本を読んでいると、興奮しきった頭も落ち着いてくる。
魔法には詠唱が必要なものと、詠唱が不必要なものがある。
その違いは魔力の強さによって変わってくるのだが、大きな魔法ほど詠唱でイメージを強くして放たなければならない。無意識に放てる程度の魔法ならば、詠唱がなくても使える。
(ぼくは魔力が高いはずだから、無詠唱で放てる魔法も多いと思う。リベたんを守るために、魔法が使えるようになっていた方がいいに決まっている。リベたんとアウたんは公爵家の子息と令嬢としてこれから狙われかねない。二人に髪の毛一本でも傷が付いたら、お兄ちゃんは我慢できない! 二人のために、ぼくは魔法を覚える!)
強い決意で弟妹への愛のために魔法学の本を読んでいると、リベリオの蜂蜜色の瞼が動いて、ゆっくりと目を開けた。最初は状況が分かっていない様子だったが、リベリオはエドアルドの姿を目にすると、ふにゃりと寝ぼけたように微笑んだ。
(なにこれ、きゃわいい! リベたんがお兄ちゃんを見て自然に微笑んでくれた! あぁ、この光景を残しておきたかった! ぼくが絵姿を映し出す魔法が使えれば! いや、今からでも遅くない! 記憶を絵姿として取り出す魔法を覚えるのだ!)
リベリオとアウローラを守るために魔法を覚えようとしていたのに、即座に目的が変わってしまっていることにエドアルドも気付いていたが、リベリオの笑顔がかわいすぎたので仕方がない。
起きたリベリオは着替えを始めたので、その様子を見ないようにエドアルドはソファに移る。ソファで魔法学の本を読みつつ、リベリオの仕度が終わるのを待っていると、リベリオは魔力の制御を教えてほしいと言ってきた。
(リベたんが無意識に魔法を使って倒れたりしないように、お兄ちゃんは毎日魔法の制御を教えるよ! リベたんが魔法の制御を覚えるまで!)
請け負ってリベリオに魔法の制御を教えていくのだが、リベリオは魔力は強くないものの教えたことはあっという間に覚えていく。
(リベたん、天才じゃない!? なんて素晴らしい! さすがリベたん! 教えたことは一度で覚えちゃうなんて、教え甲斐がある!)
リベリオを胸中で称賛しつつ、エドアルドの朝の授業は終わった。
朝食の席でジャンルカが魔物の大発生を討伐隊が討伐して、暴走するまでに至らなかったことを報告してくれて、その後は湖に散歩に行こうと提案してくれる。
かわいいリベリオとアウローラと、新しい義母であるレーナと出かけられることに、エドアルドは喜びで胸がいっぱいだった。表情はいつものように変わらなかったが。
湖を見て回った後にボートに乗ることになり、ジャンルカとレーナとアウローラ、エドアルドとリベリオの二組に分かれることになった。二年前の十歳のときにこの別荘に来たときにもボートには乗っていたので漕ぎ方も分かっているし、ボートから落ちたときのための救助用の浮くベストもあるので、エドアルドはリベリオを任されたことを誇りながらボートに乗った。
リベリオを楽しませるために魚の餌を買っておくことは忘れない。
「白鳥……」
(この魚の餌を白鳥が狙って来るんだよ! 白鳥は頭がいいから、袋ごと盗んでいくんだから! 気を付けてね、リベたん!)
注意を促したつもりだったが、リベリオは完全に勘違いしていた。
昨日出現した魔物、オウルベアが白鳥をあまり狙わないという話をしたら、大量発生で餌の魚が少なくなって白鳥を襲うことを予測して、エドアルドが魔物の暴走が起きる前に先見の目で止めたのだと言われたのだ。
(ちがーう! ぼくに先見の目なんてない! リベたん、誤解しないで! ぼくはただ、白鳥は凶暴だから危ないんだよって伝えたかっただけなんだよ!)
必死に「いや、ぼくは……」と言い訳したつもりなのだが、リベリオは「分かっています」と微笑んで頷く。
(違う! ってば! 全然! 分かって! ない! ぼくは! 先見の目なんて! 持ってない!)
どれだけ心の中で否定してもそれがリベリオに通じることはなかった。
ボートをエドアルドが漕いでいると、リベリオがそわそわしているのが分かる。リベリオもボートを漕いでみたいのだろう。エドアルドは幼いころからこの湖畔の別荘に連れて来られて、ジャンルカに何度もボートに乗せてもらった。ボートの漕ぎ方は分かっているが、リベリオは初めてなので珍しいのだろう。
「漕いでみる?」
「いいんですか?」
「条件がある」
せっかく二人きりなのだし、リベリオとは前々から話したいことがあった。それを仰々しく条件などと口に出せば、リベリオが硬い表情で「はい」と神妙に頷く。
「敬語、やめて」
「え?」
「ぼくはリベリオのお兄ちゃん。敬語はいらない」
(ぼくのこと「お兄ちゃん」って呼ぶのは抵抗があるだろうし、「お義兄様」で我慢するけど、リベたん、いつまでぼくに敬語使ってるの? ぼくとリベたんは兄弟なんだよ! 敬語なんて使われたら、心の距離を感じちゃって、お兄ちゃん悲しい! お願い、敬語はやめよう!)
心の中で口に出したのの数倍懇願していると、リベリオはそれに納得してくれたようだった。
「分かりました……じゃない、分かったよ、エドアルドお義兄様!」
それを聞いた瞬間、エドアルドは心の中で大きくガッツポーズを決めていた。
(リベたんから敬語がなくなりましたー! 今日のこの日をお兄ちゃん、どれだけ待ち望んだことか! 今日からリベたんはお兄ちゃんに普通に話しかけてくれるんだね? この日を祝って国民の祝日にしなくっちゃ! いや、ぼくはこの日を永遠に忘れないために心に刻もう!)
大歓喜で心の中でパレードが始まったエドアルドからオールを受け取って、リベリオが一生懸命ボートを漕ぐ。最初はなかなかうまくいかず、その場をボートがぐるぐると回ってしまう。
「エドアルドお義兄様、難しいね」
「リベリオ、こうやって」
口ではうまく伝えられる気がしなかったからエドアルドはリベリオの手に手を添えて、オールの動かし方を教えていく。二人で漕いでいるとボートは真っすぐに進んで、リベリオもエドアルドが手を放したときにはボートの漕ぎ方を覚えていた。
「楽しい! わたし、ボートが漕げるようになったよ!」
「リベリオ、上手」
水しぶきを上げながらオールが水を漕いでボートが進んでいく。
エドアルドとリベリオはボート遊びを楽しんだ。
ボートで十分に遊んだ後、湖の周囲を歩いて散策した。湖の周りには林もあって、リスや小鳥がちらちらと姿を現す。
オウルベアは討伐されていたが、一応危険のないように護衛たちは付いてきていた。
「エドアルドお義兄様、リスがいるよ」
「あーたん、リス、だっこちたい!」
「アウローラ、リスは警戒心が強いから近付いてこないよ。抱っこは無理」
「だっこちたかった」
アウローラとリベリオが話している内容もかわいくて、エドアルドは幸せな気分で二人を見詰めていた。
散策が終わると湖が見える丘の上に戻って、敷物を敷いて家族で座る。使用人たちがバスケットと水筒を持って来て、昼食が始まった。
バスケットの中からは大量のサンドイッチが出て来る。
魔法で中が拡張されたバスケットは、エドアルドとリベリオとアウローラとレーナとジャンルカが食べても余るようなサンドイッチが詰め込まれていた。
「どのサンドイッチにしようかな」
「あーたん、おにく!」
「アウローラはローストビーフサンドを噛み切れる?」
「あーたん、たべられる!」
アウローラにローストビーフサンドを渡して、リベリオは卵サンドを手に取っている。エドアルドは魚のフライのサンドイッチにした。タルタルソースがかかった魚のフライのサンドイッチはエドアルドの大好物でもある。
「エドアルドお義兄様のサンドイッチ、始めて見る」
「食べてみる?」
「いいの?」
エドアルドの魚のフライのサンドイッチに興味を示すリベリオに、サンドイッチを差し出すと、エドアルドが持ったままで一口齧ってみていた。
「美味しい!」
「ぼくはこれが好き」
平静を装いながらもエドアルドの胸中は歓喜の嵐に襲われていた。
(今、リベたんがぼくの手からサンドイッチを食べた! ついに「あーん」いただきましたー! リベたんに「あーん」しちゃった! あぁ、今日はなんて素晴らしいことが多い日なんだ! やっぱり国民の祝日に制定しないといけないな!)
念願の「あーん」を成し遂げたエドアルドは、心の中で拳を天に突き上げて咆哮していたのだった。