ナディスの着用するウエディングドレスが王家の秘蔵のものである、という話はあっという間に広まった。
王宮に仕えるメイドやその他大勢の使用人たちが、ここぞとばかりにあちこちで触れ回ったことにより、とんでもない速度で広まったこの話は国民の間にも当たり前だがあっという間に広まっていた。
「おい聞いたか!」
「聞いた!」
「新しい王太子妃様のご着用されるドレスが、王家秘蔵のものなんだろう!」
「今の王妃様がご着用されなかったから、先代国王夫妻が王太子妃様にお願いをしたらしいぞ」
「はぁ……自分も着たいドレスがあったかもしれないのに、心のお広い王太子妃様だ!」
「他国から嫁がれるんでしょう!?」
民はわっと色めき立ち、今からナディスがどのような姿でお披露目をしてくれるのかを、とても楽しみにしているようだった。
その様子はもちろん王宮にも伝わっており、それを聞いたナディスは衣装合わせをしながら嬉しそうに微笑んだ。
「……まぁ、嬉しいこと」
「……しかしナディス、よくそれを着こなしたね」
「うふふ、少しメイクを変えまして」
「それだけで!?」
「ええ」
「女性って……すごいんだな」
<姫さんの場合、それだけじゃないだろうけど>
「おや」
衣装合わせのために用意されている多数のメイドや、デザイナーなどに聞こえないように、ベリエルに対して念話を送ったツテヴウェは、ひょいとベリエルの膝に飛び乗った。
その様子だけ見ると、愛猫が飼い主の膝に乗った、という風にしか見えない。
「お前もナディスの衣装が楽しみかい?」
表向きには別の内容を器用に話しかけながら、念話を使って『どういうことだ?』とツテヴウェに問いかけるベリエルに、にゃあ、と泣きながら膝の上に完全に寝転がった。
<姫さんは大体何でも着こなすよ。けど、そもそもの姫さんの顔だちって結構派手なの、お前さん気付いてない?>
「(それは分からん)」
そうか? と、ベリエルはナディスのことをまじまじと見つめる。
最近のナディスは衣装合わせにこうして付き合うことも多く、化粧をじわじわと濃くしているから、周囲の人は気付いていないらしいが、今のナディスの顔だちこそツテヴウェがよーーーーーく見慣れているもの。
化粧ばっちりにしてしまえば、ナディスは元来の派手な顔立ちのおかげでめちゃくちゃ煌びやかな雰囲気になってしまうのだ。
「……しかしすごいな」
<何が>
「女性の結婚に関して、こんなにも準備が大変だなんて思わなかった」
「あらベリエル様、そういえばこんなところで猫とお戯れになっていてよろしいの?」
「え?」
とても細かいサイズの微調整をしながら、ナディスは不思議そうにベリエルに対して問いかける。
気付けば、周囲のメイドたちもどこか心配そうにベリエルを見つめているので、『ん!?』と声が出てしまった。
「……あ、あの?」
「ベリエル殿下、殿下も衣装合わせが確かあったかと……」
「嘘だろ」
「何でも、先代様がどうしても着てほしい衣装があるとかで」
「聞いていないぞ!」
「今言ったからな!! はっはっは、お邪魔する!!」
ばぁん! とかなりな音を立ててベリエルの祖父がナディスの衣装合わせの現場に突撃してきた。
直後に祖母が駆け込んできて『まぁあなた、ナディスちゃんの衣装合わせの部屋にいきなり入るだなんて、マナーというものを知りませんの!?』と続いて駆け込んでくる。
「まぁ、おじいさま、おばあさま」
すっかり慣れているナディスは、誰よりも厳しいと言われていたこの先代国王夫妻のことを、『おじいさま』、『おばあさま』と呼ぶことを許されていた。
にこにことしているナディスを、メイドたちは『さすが王太子妃様でございますね』と褒めたたえてくれる。
しっかりと諸々の勉強をしていたことがこんなにも役に立つだなんて、とナディスは嬉しそうに微笑んで動けないままで顔だけをそちらへと向けた。
「どうなさいまして? 何か緊急のご用事ですか?」
「そう、ベリエルを呼びにきたのよ! 次はこの子の衣装合わせとサイズ調整が待っておりますからね!」
意気揚々と話しているベリエルの祖母に、ベリエルはひく、と頬を引きつらせてしまう。
「いやおばあさま、俺は普通で……」
「何を言うの! 可愛いナディスちゃんが王家伝統の衣装を着てくれるというのに、お前は何もしない、ごくごく普通の衣装で隣に並ぶっていうの!?」
「……ダメなんです?」
「駄目じゃろ」
「駄目よ!!」
綺麗にハモった祖父母の迫力に負けて、ベリエルはびくっとしてしまい、ツテヴウェを膝からそっと下ろした。
そうした途端に、ベリエルは両脇をがっちりと拘束されてからナディスの衣装合わせの続きを見れることなくずるずると引きずられて行ってしまった。
「あらまぁ……何とも慌ただしいこと」
「ナディス様、少し腕を上げていただけますか?」
「あらごめんなさいね、こう?」
「ありがとうございます」
メイドとやりとりをしていれば、にゃあ、と鳴いたツテヴウェが足元に来ていた。
「駄目よ、いつもの位置にいてちょうだいな。これが終わったら相手をしてあげるから」
そう告げるナディスの声に従う様に、ツテヴウェは素直にとてとてと歩いて定位置ともいえるベッドに飛び乗ってころりと横になった。
「ナディス様の猫ちゃんはとっても賢いんですね」
「そう?」
「まるで人の言葉が分かるかのような動きですわ」
「小さいころからずっと一緒だから、かしら」
<分かるっつの>
「(メイドの言うことにいちいち反応しないでしょうだいな)」
<何かつい>
「(そのまま良い子にしていてちょうだい)」
<へーい>
こうして軽口を言い合えている悪魔と人間なんて、誰が想像するだろうか。
悪魔と人間、対極の位置にいるのだから、こんなにも協力的な関係など築けるわけがないというのに。しかし、ナディスとツテヴウェは心から互いを信用しているから、何も問題などない。
<(まさか、ここまで心を許しておけるニンゲンに巡り会えるとか、誰が想像できるよ)>
ツテヴウェ自身がきっと、一番驚いている。
だがそれだけ、ナディスの願いはとても純粋で、きらきらとしていて、魂の輝きが凄まじかったのだ。しかも、ツテヴウェが協力することで魂の輝きは現在進行形で研ぎ澄まされているといっても過言ではなく、依然としてきらきらと輝き続けていた。
<……ナディスが死んで、あの魂を回収したら俺は……>
きっと、とんでもなく経験値を稼ぐことが出来て、昇進も意のままだろう。
獲物として出会ったはずなのに、今ではまるで相棒のように動いてしまっている自分がいるということに、ツテヴウェはナディスや他の人間には見えないように、クスクスと笑った。
「さて、衣装合わせはそろそろ終了といったところかしら?」
「はい、ありがとうございますナディス様」
「あんなにも微調整をしなければいけないもの?」
「申し訳ございません、何せあの婚礼衣装は歴史があるもので、簡単にハサミを入れられるものではございませんので……」
「なるほど……色々ありますのね」
困ったように微笑みながらも、ナディスは着用していたドレスを脱いで、普段着用しているドレスに着替える。
ついでに、いつも通りの薄めのメイクに直すことも忘れてはいけない。あのドレスを着ている時だけ、と決めたのだ。
「(わたくしなりの、けじめだもの)」
稀代の悪女、と言われたナディスはもうここにはいない。
ここにいるのは、ベリエルに見初められ、ひたすらに愛のために努力を惜しむことなく己を研鑽したことで『賢妃』とまで呼ばれることになったナディスなのである。
きっと、かつての己が見ると『こんなのは自分ではない』と叫んだかもしれない。
ミハエルと結ばれないことに対して、苛立ちしか覚えなくて、周囲に当たり散らかしていたかもしれないのだ。
「(もう、あんなわたくしにはならない)」
メイクを手早く終えたナディスは、今度は自分がベリエルの衣装合わせの現場へと、いそいそと向かったのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あなた、見てくださいな!」
「おや……」
ところ変わって、ナディスの祖国。
ヴェルヴェディア公爵家に届いたのは、一通の招待状。
差出人は勿論ナディスで、自身の結婚式のためにグロウ王国まで来てほしい、という内容。
「……まぁ……あの子、立派になって……」
とても綺麗な字で書かれた手紙の内容は、こうだった。
拝啓、お父さま、お母さま。
お元気でしょうか、ナディスはグロウ王国でベリエル様と二人三脚で頑張っております。
そうそう、こちらの国にも勿論王太子妃候補はいらっしゃいましたが、しかと話し合ってわたくしが王太子妃となることが決定いたしました。
王妃様からは、既に認められております。
それと、ベリエル様のおじいさまと、おばあさまにもお認めいただきましたの!
とても可愛がっていただいておりますし、何も不自由などございません。
お父さま、お母さまはお変わりありませんか?
この度、わたくしとベリエル様の結婚式の日程が確定いたしましたので、お二人には絶対に参加いただきたく、こうしてお手紙を書いた次第でございます。
絶対、参加してくださいまし。
ナディスからの、おねだりですわ。
「まぁ……あの子ったら」
手紙を読んだターシャは、ジワリとにじむ涙を拭い、『仕方のない子ねぇ』と笑ってみせる。
ガイアスも、嬉しそうに微笑んで日程調整を早速行わなければ、と予定表の確認を行おうと、執事長を呼びつけた。
「……あら?」
そして、手紙には二枚目があったことに気付いて、ターシャは不思議そうな表情でぱらりと移動させた。
「何かしら……追伸? ええと……」
追伸。
ミハエル殿下やロベリア様にはお知らせ不要です。
大切な結婚式にやってきてヒス起こされて台無しにされたくございませんので、国王陛下にのみ招待状をお送りいたしました。
悪しからず。
「……あの子……」
基本的なところ、というかナディスの性格自体は変わっていないのだな、とターシャはこっそり頭を抱えたが、それはそれ。これはこれだと割り切って微笑み、ナディスの式に参加するためのドレスの作成を行わなければ、と馴染みの業者を呼ぶように手配をかけたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………」
ああ、もうすぐなのだとナディスは思う。
「……いやだわ、もうこんなにしわくちゃ」
自分の手をかざし、ベッドの上で自嘲気味に微笑んだ。
そこにゆらりと現れたのは、ツテヴウェ。
ずっとナディスの影に潜み、猫の姿であまりにも長くいると怪しまれるから、とこうしてくれていた。
ナディスは結婚式の後、数年後に王妃となり、ベリエルは国王となった。
治世はとても安定しており、豊かな国を共に作り上げていけたのだ。
ベリエルとの婚姻後、娘と息子を出産し、孫も生まれた。
子供たちや孫は、ナディスのことをとても大好きでいてくれて、『お母さま』や、『おばあちゃま』と呼んでくれた。
ああ、こんなにも可愛くて、大切な存在ができるんだ、といつもナディスの心は幸せでいっぱいだった。
「……ナディス」
「ベリエル、そんな顔をしないでちょうだい」
「……っ、嫌だ」
「……大丈夫よ、きっと……また会えるわ」
ナディスが床に臥せ、静かに過ごすようになってからもうどれくらいたったのだろうか。
ナディスとベリエルの子供たちは、しっかりとグロウ王国を良き方向へと導いてくれている。だから、ナディスもベリエルも何も心配はしていない。老いた二人がゆっくりと過ごせるように、けれど時には賑やかに。
そうしてとても心地いい環境を生み出してくれているからこそ、ナディスだってこうして天寿をまっとうすることが出来たのだ。
「そろそろかしら……ねぇ、」
名前を呼ぶ前に、ナディスの影がゆらりと揺れる。
そこから現れるのは、ツテヴウェ。
人の形を取っており、ナディスとベリエルのことをどこか愛し気に見守ってくれていた。
<そうだな、姫さんはもう……終わる>
その言葉に、ベリエルはぐっと唇を噛みしめる。
人の寿命は伸ばせるというものではないのだが、それでもこの悪魔に縋りたくなってしまった。
<やめておけ。……ナディスのような猛者でなければ、悪魔との契約を成り立たせることなんかできやしない>
「分かって、いる……つもりだ」
<賢明な判断だ、かつての王よ>
ふ、と微笑んだベリエルは、ナディスの額に手をかざす。
ああ、もう駄目だ。
意識が遠のいていくナディスだったが、不意にベリエルに手を伸ばして、微笑んでこう告げた。
「わたくしの唯一無二の、愛しいお方。わたくしを見つけてくれて……出会ってくれて、ありがとう。きっと……また、いつか」
言い終わると、ナディスの手から力が抜けて、全てが終わった。
「……おやすみ、わたしの……ナディス」
ベリエルはぼろぼろと涙を零しながら、愛しい妻に最後の別れを告げる。
ああ、これだから人との関わりは嫌なんだ。
ツテヴウェは内心、そう思って契約通りにナディスの美しすぎる魂を回収した。
その後、グロウ王国では盛大な葬儀が執り行われた、と後に語り継がれている。
かつて、『稀代の悪女』と言われた公女は、人外との契約をしてまでもやり直しを切望した。そして、やり直した後に己の幸せを、己自身でつかみ取って、全てを終えた。
きっと、また、巡り会えるから。
そう信じて、『冷血公女』はその人生に幕を下ろしたのである。