門の両脇に立つ騎士の横目に詰め所の正門を抜けて、堀に架けられた短い橋を渡るとチャポンと足を水につける。
「これが全部温泉?」
古代文明の遺跡と思われる建物はあちこち崩れたり、苔むしていたり木の枝が飛び出たりとする窓からは湯気を立てた水が滝のように流れ落ちている。
それも一つ二つではない。
視界に映る建物の殆どがそうなっている。他国では水は井戸から汲んで苦労して運ぶ。その井戸も一軒に1か所ではなく周辺の近所で共用なので風呂など満足に入るない國すらあった。
かと思えば温泉だというのに足元には小魚が集団で泳いでいった
「魚……?」
「初めて目にするとたまがるよね。」
天結の心情を代弁するようにツネヨシが横で魚の影を追っていた。ネネは上着の裾をまくりあげてお腹の前で結んでいるところだった。
ひらひらと大きなヒレが背から尾まで揺らめいて光を反射して青に煌めいた。 集団で通る姿は動く虹のようだ。ネコ科の獣人でもないのに自然と目が追いかけて、追っていた群れとすれ違う群泳をまた追って別の方を向いてと首だけが忙しなく動いて足は止まったままである。
どうやらこのあたりを行き交う人は他國からのそういった者に慣れているようで、特に邪険にされる風でもなければ後ろから来る人たちや門番すらなにやら孫を見守っているのかと言いたくなるような微笑ましげに見つめていた。
そんなことに気づきもしない天結がひとしきり周りを見渡すのと、今度はネネが絵に神力を通して眺めていたのが終わるのと重なり互いに目を合わせて微笑んだ。
どちらともなく伸ばされた手を繋いで二人は姉妹のように仲良く歩き出す。
「すいません、田舎者丸出しで。」
ネネの頭越しにツネヨシに謝罪すれば、なんのなんのとにこやかに手を振る。
聞けばツネヨシも初めて訪れた12歳の冬に足元の温泉が暖かくて見渡す限りの湯と旅の疲れもあいまって荷物を投げ出して飛び込んだらしい。
成人前であったこともあり周囲の人々は初めての温泉にはしゃぐ子供が微笑ましいといった具合だったらしい。移動中も泳いだり、温泉なのに魚がいるのに驚いた次には追いかけてとひとしきり遊んで全身ずぶ濡れになったツネヨシを嫌がることなく笑ってタオルで包んでくれたのが今から行く宿の女将らしい。
狸獣人のご夫婦が経営する宿なのだという。
初めてあったツネヨシ少年は自分が狐というだけで無条件に嫌煙される(ただでさえずぶ濡れで嫌がれそう)と思っていたのに優しくされたことが衝撃だったらしい。器の広い女将なのだと笑う。
詰め所から出て右に曲がり大きな通りをまっすぐ歩く。ツネヨシ曰く、今日は水位が高めだから小舟が多いらしい。実際に古代文明が作ったとされる通りは半分から右と左で行く方向が決まっているようで何艘もの船がぶつかることなくスムーズに行き来している。
これが他国の馬車ならとっくに立ち往生して怒号が飛び交っていることだろうと、これまでの経験から天結は容易に想像できた。馬で引いてるならまだどうにかなるが田舎に行くほど馬ではなく牛が引いてるので後続が出るような主要な道だともっと大変なのだ。
道路を船が行き交うなんて不思議な光景だなぁと思っているとふと足に何かが当たる。
「花?」
それは薄桃色や薄紫の大きな花で天結が両手で一つ持てるかどうかというもので、水面を水の流れに乗ってゆっくりたゆたっている。
「蓮の花がなんでこんなとこに?」
大通りにぶつかってツネヨシが曲がるにあわせて道を曲がるとクルリと後ろを向いて天結も思わず振り向いた。
「真正面に低木や木に覆われたところがあるやろう?テルクニて呼ばるる神聖な場所ばい。あそこから花の流れてくるったい。」
まっすぐ腕を伸ばして指すツネヨシから言葉を受け取って天結も頷いた。木々の手前には崩れて落ちたトリイと呼ばれるものがあるから古代文明の神殿の類がある場所というのはこれまでの旅の中でも目にしてきたから知っている。
「ジンジャと言われる神殿ですよね。私も旅のなかでいくつか見てきましたが花が湧き出てくる神殿なんて始めてみました。殺魔では多いんですか?」
「うちん知る限りここだけやなあ。」
「ではここはかなり珍しいものなんですね。」
改めて足元の花を見詰めてすくい上げてみる。
「え?」
「不思議ばいね。こん花は持ち上げたり、こん通りからはみ出てしまうと消えてしまうったい。」
たしかに両手で持ち上げた花は幻のようにあとかたもなく消えてしまった。
周囲を見渡せば確かに水の流れに乗って通りからそれた花も消えている。考えてもみれば詰め所の周辺では花なんてなかった。
「神殿ん神通力による幻ん花て言われとるばってん、そぎゃん意味では天結ちゃんの絵と通ずるものがあるね。」
「なるほど、そう言われるとそうかもしれないですねぇ。」
はははは〜、と天結は笑った。
「さぁ、ここまで来るとあとまちっとだ。」
「宿といえば薩摩は通貨が使えないって聞きましたけど。本当ですか?」
「全く役に立たんわけじゃなかばってんね。他ん國と物ん価値が全く違うけんねぇ。例えばここじゃ金はただん素材として神力ん流れがよかだけん鉱石で、食べ物より価値が低かばい。おまけにこん国ではきんなめずらしゅうもなかけんちょっときれか石って思っちょる。」
「え?金が食べ物より安いキレイな石?」
まさかの価値観である。しかもこの国では珍しいものではなく一定数掘れるので希少価値なんてもとからないという。脳がゲシュタルト崩壊しそうだ。
「やけんうちゃこん国ではあまり見らん野菜やそん種ば持ってきてここで金や宝飾品とか工芸品狙いで交換してもらうったい。」
聞けば殺魔は野山に出れば魔物が多いという。それは他國とは比較にならないそうで街の中心部や神殿周辺は例外ではあるものの、一歩外に出ればいつ魔物に襲われるかわからない危険地帯で今日、明日をどう生きるかは考えるが5年10年後など生きているかもわからない先を考えるなんて馬鹿らしい。ということらしい。辺境を超えて秘境、その秘境を超えた先のどんな民族がいるかもわからない魔境の地。それが駿河で呼ばれている殺魔の評判だったことを思い出す。
ところ変われば考えが変わるとはこういうことだなぁ。と天結は改めて思うのであった。