車窓から見えるのは真っ青な空。
俺はぼんやりと一昨日のことを思い出していた。視線の先にある青空は、楽しかったイルカショーを思い出させてくれる。
水しぶきを上げ、青空に飛び込むようにして宙を舞ったイルカの姿は、本当に凄かった。それを見ていた淳之輔先生が、無邪気に笑っているのも可愛かったな。──年上に可愛いっていうのも変だけど。
今日は淳之輔先生の部屋に行くわけじゃない。
先生は、午後二時過ぎにならないと都合が悪いといっていたから、部屋でだらだらしようかと思っていたんだけど。それを先生に見抜かれてしまい、カフェに移動中だ。
スマホを引っ張り出してアプリを起動させると、今朝のやりとりが表示された。
「今日はどこか行くの?」
「別に予定ないし部屋で勉強しようかな」
「といいながら寝て終わるんだな」
「そうかもしれません」
「俺、午後二時すぎたら時間とれるから、駅前のベイカフェで待ち合わせよう」
「でも、先生忙しいんじゃ……」
「そこで昼めし食うつもりだったし。悪い、もう出ないと! また後でな」
相変わらずの、押しの強さというか即断即決というか。
つい苦笑しながら、俺は先生の慌てる姿を想像していた。そうして、小さく息をつく。
淳之輔先生に勉強を教われるのはありがたいし、会えると思えば俄然やる気も出てくる。俺としてはありがたい。ありがたいんだけど、問題が一つあるんだよな。
ちらりと足元を見る。
今日は、先生の横に並んで恥ずかしくない格好になっているだろうか。
未だにファッションはよくわからない。
二度と美羽に相談するものかと思っても、悔しいことに、頼れるのはあいつだけで、今朝も早々に連絡をした。
聞かされた流行りのファッションは裾がだぼっとした、ゆとりを感じるデザインってことだった。だけど、低身長な俺(余計なお世話だ!)は、それよりもハーフパンツでストリートカジュアルを目指した方が、自然体に見えるといわれた。ストリート系ならキャップも忘れるなとか、シャツはオーバーサイズだからねとか。細かい説明の半分以上が意味分からなかったけど。
持ってる服をとりあえず組み合わせて、写真を送ったら「妥協点」と返ってきた。それを着てきたわけだけど。
おかしくないかなと、不安が残る。
こればかりは、この先いくら頑張っても自信を持つなんて無理な気がする。
終点に着いてホームへと出た時だった。聞き覚えのある声が、俺を「星ちゃん」と呼び止められた。もちろん、そう呼ぶのはたった一人、美羽だ。
振り返ると、いつもに増して気合が入った服装の美羽が駆け寄ってきた。珍しく、白黒じゃなくて水色のワンピースを着ている。といっても、デザインはいつものようなレースやフリルがふんだんに使われているから、これも地雷系とかいうサブカルファッションなんだろう。
「なんだ、お前も出かけるのか」
「待ち合わせしてるんだよね。ちょっと早く出てきちゃって時間があるんだ。星ちゃんはカフェで勉強でしょ?」
「ああ。すぐそこのベイカフェでな」
「じゃあ、あたしも一緒に行く」
改札を出たところで、美羽はちょっと待ってといいながらスマホを取り出し、手早くタップした。待ち合わせ相手にメッセージを送っているんだろう。
「彼にベイカフェにいるって伝えた!」
「……彼?」
「えへへっ、デートなの」
「それって、俺といちゃまずいんじゃ……」
美羽と俺にはやましい関係は微塵もない。そんな気持ち欠片もないし、他人に見られて困ることも、俺自身はない。だけど、相手がどう思うかは別の話だ。
淳之輔先生に粘着しているようなタイプもいる。美羽の相手がそういったヤバい奴だとは思いたくないが、もしそれで勘違いされたらどうするんだ。巻き込まれでもしたら大変だ。もしそうだとしたら、従兄妹として止めた方がいいんじゃないか?──ぐるぐると考える俺に対して、美羽はけろっとしている。
「そんな心の狭い人じゃないよ」
「そういってもな……」
「まあ、会えばわかるし」
「はぁ!?」
驚きに声がひっくり返った。会えばって、もしかして、会わせる気満々なのかよ。従兄妹に彼氏を紹介するって聞いたことないぞ。
頭が痛くなりながらベイカフェに入った。いつものカフェオレを注文しながら、気は重くなるばかりだ。
父親が娘の彼氏に会う気分って、こういうことか?
いや、俺は美羽の父親じゃないが。
窓側の席に陣取り、「何時に待ち合わせなんだ?」と訊けば、向かいに座った美羽は「お昼過ぎだよ」と、当たり前でしょといいたそうな顔で返した。
まて、ちょっと早く出てきたって時間じゃないぞ。
「……二時間近くあるだろう。お前、それまでここにいる気かよ」
「うん!」
「俺、勉強するんだけど」
「そんなの先生がきてからで良いじゃない。それより、水族館デートの話聞かせてよ!」
それが目的で着いてきたのか。どうせまた、俺を揶揄うネタでも探しているんだろう。
疑いの眼差しを向けると、美羽は意味深に笑った。
「それに、あたしも報告したいことがあるんだよね」
「報告?」
「あのね……」
なんのことかと首を傾げると、美羽はもじもじしはじめる。「実はね」とか「そのね」となかなか打ち明けられない様子だ。
「なんだよ。お前に彼氏がいたことで、俺は充分驚いてんだかんな。これ以上驚かないから、さっさといえ」
「わかった。あのね……あたし、滝くんとお付き合いすることになりました」
突然のカミングアウトに、身体が硬直した。
今、美羽は何ていった。滝くんとお付き合い──滝って、あの滝だよな?
ガチムチゴリラなラグビー部のクラスメイトを思い出し、俺は顔を引きつらせ「マジかよ」と弱々しい声を零すのが精いっぱいだった。
「驚いた?」
「……かなり」
「いったじゃない。会えばわかるって」
突然の報告に、俺の理解力は置いてきぼりを食らった。