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第47話 先生ってなんか良い匂いがするんだよな

 帰宅して風呂に入りながら、ぼんやり今日のことを思い返す。

 いつも真剣な顔で勉強を教えてくれる淳之輔先生とは違って、ずっと楽しそうに笑っていた。あんなに写真を撮りたがるとは思ってなかったから少し……いや、だいぶ緊張したけど。

 それが嬉しかった自分もいて、若干、引いている。


 別に友達がいない訳じゃない。写真を撮らない訳でもない。

 東や谷川と写真を撮ることはほぼないけど、学校行事でカメラを向けられたらバカなことやって三人で撮られたりもしてる。


「けど……それとは、なんか違うんだよな」


 顔がくっつくくらい側による先生から、花のような、石鹸みたいないい匂いがしていた。あれって、香水かな。洗濯物の柔軟剤の匂い?


 わかんないけど、どうしても、それが気になった。嫌だったわけじゃなく、むしろその逆だから未だに思い出して困ってる。

 汗かいても良い匂いがするって、どういうマジックだよ。

 思い出したら、鼓動が早くなった。むず痒いようなイライラするような、理解できない焦りみたいなのを感じる。それと──湯船につけていた手を出した折れば、自分の手を見つめた。


「俺よりも、大きかったな……」


 手を握られたことを思い出した。

 ごく自然に引っ張られ、何事もない顔で並んで歩いた。その横を通り過ぎたカップルみたいだって思ったけど、きっと、先生にはそんな気なんてないだろう。別に、俺だって先生に恋してるとか、そういうんじゃない。だって、男同士なわけだし。


 そういうやつじゃないって、わかってるけど。

 見つめていた手を握りしめて再び湯船に沈めた。


 自分の感情がわからない。

 こんなこと、いつぶりだろうか。


 この気持ちが何なのか、頭のいい先生なら答えを知っているかもしれない。でも、自分の気持ちがわからないなんて、小学生みたいで訊けないよな。

 淳之輔先生に相談は出来ない。けど、東や谷川に話すのも嫌だな。じゃあ、美羽か?──また借りを作るのも癪だな。


 湯船に顔半分まで潜り、肺の中の息をいっぺんに吐き出した。ぼこぼことため息が泡になっていく。


 風呂を上がってからリビングでだらだらしていると、キッチンで洗い物をしていた母さんが「麦茶飲む?」と声をかけてきた。それに、もらうと答えれば、冷蔵庫のドアを閉める音が聞こえてきた。


 しばらくして、お盆を持った母さんが横に腰を下ろした。

 麦茶の注がれたグラスと、今日買ってきたお土産のクッキーがテーブルに並べられる。


「水族館、混んでた?」

「ほどよく混んでた」

「新しくなったって聞いたけど。どうだった?」

「大水槽は相変わらず凄かったよ。クラゲの水槽が昔よりも派手になってたかな。あと、カフェも増えてた」

「写真撮らなかったの?」

「……何枚かは撮ったけど」


 さすがに、先生と顔をくっつけて撮った写真ばかりを見せる訳にもいかないよな。

 スマホの画像ファイルを開いて、そのうちいくつか、母さんのスマホに送ると「これだけ?」とつまらなそうに尋ねられた。


「先生とは撮らなかったの?」

「……撮ったけど」

「それも見たいな。送ってちょうだい」


 にこにこ笑いながら待機する母さんは、クッキーの袋に手を伸ばした。その横で、しぶしぶ写真をスライドさせ、まともそうなのを一つ送る。帰り際、水族館の前で並んで撮ったものだ。


「送ったよ」

「ありがとう。どれ……あら、いい写真! 二人とも楽しそうな笑顔ね」

「まあ、楽しかったよ」

「この植木はイルカかしら?」

「うん。イルカのショーで水かけられてさ。それを思い出して、笑っちゃってさ」

「それで二人とも良い笑顔なのね」


 他にはないのか訊かれ、渋々、ペンギンの前で撮った写真も送ったり、俺が映っていないものから、シロクマのダイビング様子や大水槽、イルカのショーも追加で送った。


 写真を選びながら、自然と頬が緩んでいたらしい。母さんが「楽しかったのね」といって、にこにこで俺を見ていた。


「……まあ、うん」

「去年の夏は部屋に籠ってばかりだったから、母さん、心配してたのよ」

「猛暑だったじゃん。学校の夏期講習に行くので限界だったし」

「それ以外は部屋でゲームばかりだったでしょ。青春の欠片も感じなかったし」


 だからという母さんは、ほっと肩の力を抜くと、またクッキーに手を伸ばした。


「学校の友達じゃなくても、瑠星が外で楽しそうにしてる姿を見られると、安心するわ」

「なんだよ、それ」

「引き籠りになったらどうしようって思ってたのよ」

「なる訳ないだろ」

「そう?」

「ちゃんと家出てくつもりだから」

「それはそれで寂しいわね」

「……どっちなんだよ」


 グラスの麦茶を飲み干し、ため息をつく俺を見て、母さんは「どっちかしらね」といい、クッキーを頬張った。

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