駅の構内にあるカフェに入り、カフェオレを飲みながらぐったりする俺に、美羽は「落ち着いた?」と首を傾げた。
まだ気分はざわついている。だけど、とりあえず話せるようにはなった。気がする。
「……多少は」
「よかった。泣き出しそうな顔だったから心配しちゃった」
「そんなことで、泣くかよ……」
「まあ、他人のを見たらビックリはするよな」
けろっとしている滝がいっても、説得力に欠けるとしか思えない。だって、ちょっと前は、俺に美羽のことをおろおろ相談していたっていうのにさ。
ああ、こいつらもキスくらいしてるんだろうな。どうせ俺はキスどころか恋人いない歴イコール年齢だよ。悪かったな!
かなり捻くれながら、ストローでカップの氷をかき回していると、美羽が「でもさ」と呟いた。
「人のキス見てドキドキしちゃうって、恋してる証拠だよね」
「──なっ!?」
「あたしも、そうだし」
少し照れたように笑う美羽はアイスティーを一口飲む。
「ドラマとかマンが見てもドキドキするよ」
「……そういうもんか?」
「そりゃそうだよ。いつかロマンチックなとこでキスしたいって思うし。だけど、学校はないかな」
美羽の話に「学校はないのか」と滝が呟いた。
ん? てことは、こいつらは学校でキスをしたことないってことだよな。
「学校はないね。だって、毎日勉強するとこだよ。そこでなんて……思い出して恥ずかしくなっちゃうでしょ? だから、場所も考えないで盛ってるの見たら、ちょっと引いちゃうね~」
「……覚えておく」
低くいう滝の顔が少しだけ引きつっていた。もしかして、いつか学校でしようとしてたのか? もしかしてこれは……
「……あのさ、お前ら、キスまだなの?」
何気なく訊くと、美羽が目を見開いた。滝も返事がない。
おいおい。さっきまで、付き合ってたらキスくらい当然みたいな空気感だったくせに、なんだよ。まだなんじゃないか!
「星ちゃん、デリカシーない発言、禁止!」
「お前がいうか、お前が!」
「二人とも、声が大きい」
間に入る滝は顔を引きつらせたままだった。それに免じて、口を閉ざした俺たちは同じタイミングでストローを咥え、それぞれドリンクを一気に飲み干した。
「付き合ったからって、すぐキスする訳じゃないもん。だって、ほら……恥ずかしいじゃない」
「俺、付き合ったことないから、わかんねーよ」
「じゃあ、聞くけど、先生と付き合えたら、すぐキスできるの?」
「は? まっ、お前!!」
どうして滝の前で、そういう爆弾発言をするんだよ!
冷や汗がどっと噴き出した。おそるおそる滝を見ると、予想に反して、特に驚いた顔もせずにコーヒーを飲んでいた。え、なに、これってどういう状況なの?
「……美羽、お前……もしかして、滝に話してんのか?」
「当たり前でしょ。あたしと滝くんに秘密はなしなんだから」
「俺としては、瑠星が恋敵にならないなら、それに越したことはないからな」
「あたしと星ちゃんは絶対にないって、いつもいってるじゃない!」
「うん、いつも聞いてる」
だから、事あるごとに俺の前でいちゃつくの、やめてくれないかな?
「瑠星は美羽ちゃんが好きだと思ってたから、ビックリはしたけどさ。まあ……遊園地での二人見てたら、なんとなくそうかなとは思ったよな」
「……へ?」
「そうでしょ。二人とも、あたしたちのこと全然目に入ってなかったもんね」
「あれで付き合ってないとか、ビックリだよ」
「ちょ、待って……なに、いってんだ?」
二人のいってる意味が全くわからない。
俺が困惑していると、二人はきょとんとした。しばらく俺を眺めると、顔を見合って「無自覚って困るよね」とかいいだす。
無自覚ってなんだよ。
「星ちゃん、告白しちゃいなさい!」
「は? なにいってんだよ。そんなん無理だって!」
「いけると思うけどな」
「そうよ。先生が星ちゃんを見る目は、教え子を見る目じゃなかったわよ」
「若槻のこと好きだと思うぞ」
「いやいやいやいや、お前ら、なにいってんだよ。どう考えたって、先生と俺じゃ無理だろ」
「なんでよ?」
「なんでって……」
あんなに完璧なんだよ。見た目だけじゃなくて、気配りができるし、笑顔がむちゃくちゃ可愛いし──ああ、男に可愛いも変だけど、淳之輔先生は可愛いところがあるんだよ。とにかく、そう、よくいうスバダリっていうやつだよ。非の打ちどころがないんだ。
それに比べて俺は、勉強だってできないし、スポーツが得意な訳でもない。秀でたものがなくて、背だって先生の横に並んだら惨めになるくらい低いし。
「俺と先生じゃ釣り合わないし、きっと、先生の周りには美人な女子大生だっているだろうし」
「だーかーら! 今どき男とか女とか、関係ないでしょ」
「けど、同性より異性愛の方が数は多いだろ? 確率的には低いじゃん」
「低くても、ゼロじゃない!」
言い切った美羽は、俺の手を握った。
「片思いを大切にしろっていったの、撤回する。星ちゃんは、告白した方がいい!」
「……なんだよ、それ」
「だって、星ちゃん、先生とキスしたいって思っちゃったでしょ?」
キスという言葉に、美術室の光景がまざまざと蘇った。それに、淳之輔先生と俺を重ね見ていたことが、バレバレだったなんて──顔が熱くなった。
「先生と顔を合わせて、我慢できるの? 思い出したりしない?」
「それは……」
「告白して両想いが発覚すれば、万事オッケーでしょ!」
「……フラれる確率の方が高いだろ?」
「なにいってるの。フラれるかOKかの、二分の一よ」
とことんプラス思考な美羽は、滝を見て「それに」という。
「今度は、ちゃんとダブルデートしたいよね」
「そうだな。俺、あんまり話さなかったし、大学の話とか聞いてみたいしな」
「……そんなの、別に俺が告白しなくたって……」
「なにいってるの! もしもよ。もしも先生がゲイだったら、それこそ、滝くんを近づけられないでしょ」
「……は?」
「この筋肉よ。男受けするの間違いないんだから!」
美羽は、恥ずかしげもなく滝の胸板を叩いた。そういえば、谷川たちにも「私のおっぱい」宣言をしていたな。あれって、本気だったのか。
意外な性癖を目の当たりにした気分だ。
「……滝、美羽との関係、今からでも考え直した方がよくないか?」
「なにいってんだよ。これが、美羽ちゃんの可愛いところだろ」
いや、お前がなにをいっているんだ?
とんだバカップルを前に、頭が痛くなってきた。