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第52話 魔樹を巡る攻防⓷

 ◆


 公園の奥では、三崎と麗奈がアーマード・ベアとゴブリン・キャスターを先頭に、ようやく魔樹のすぐ近くまで到達しようとしていた。


 が、ここからが本当の地獄だった。


 根元付近の蔦や幹が生き物のように蠢いていて、一歩踏み出すたびに血のような赤い液が噴き出すのだ。


 踏み込んだ足元が溶けかかった泥に沈むたび、靴底から汚水……いや、汚血が染み込んで足の裏をどうにかしてしまうんじゃないかと三崎は不安になった。


 戦闘に立つアーマード・ベアは満身創痍だ。


 息も荒く、銀毛のあちこちが黒ずんできている。


 ゴブリン・キャスターのほうも杖を握る手が震え、いつものような不気味な笑い声は聞こえてこない。


 三崎は焦りと苛立ちを覚えるが、ここでイライラしたところでどうにもならないとわかっている。


「あと数メートル……そこまで行ければ、魔樹を直接攻撃できるかもしれない」


 そう呟いた直後、耳をつんざくような衝撃音が公園中に響き渡った。


 視線を上げると、シムルグが魔樹の枝へ掴まるようにして降り立っている。


 そしてまたあの赤い実を──。


 三崎は息を呑んだ。


「……やられる、また復活される……!」


 しかしそれから数秒経っても、シムルグが実を啄ばむ様子はない。


 どうやら疲れ切っているようで、その大きな身体を枝に預けたまま、翼を震わせるだけだった。


「今なら……」


 三崎がそう思った瞬間、枝が大きくうねり、シムルグの嘴の近くへとひとつの実を運んでいく。


「あいつ……今度は魔樹のほうから食べさせようとしてるのか……!」


 ぞっとするような光景だった。


 まるで魔樹が自らの実を差し出しているようにも見える。


「まずい、あれを食べられたらまた……」


 麗奈が絶句する。


 すでにこちらはボロボロだ。


 あれ以上シムルグが強化されれば、逃げ切ることすら難しくなるだろう。


 アーマード・ベアとゴブリン・キャスターも、いま突撃すれば間違いなく返り討ちに遭う。


 歯がみする三崎の脳裏に、一瞬だけ「無理やり突っ込む」選択肢が浮かぶが、それはほぼ自殺行為に近い。


 ◆


 同じころ、霧の中で苛烈な戦闘を続けていた自衛隊員たちは、もう弾薬もなければ戦術もない。


 彼らの周囲には死体と、まだ息のある重傷者しか残っていない。


 自力で動ける兵士は数名、しかもどこもかしこも負傷していた。


 そして、指揮官である松浦もまた瀕死の重傷を負っていた。


 シムルグの翼撃をかろうじて避けたものの、破片に身体を抉られ、胴体には真っ赤な血が広がっている。


 それでも彼は立ったまま部下たちを見渡し、声を振り絞った。


「……最後まで、あきらめるな……!」


 周囲の隊員が懸命に松浦を支えようとするが、松浦はかぶりを振る。


「俺に構うな。撃てる奴は、少しでも撃て。逃げられるなら……逃げろ」


 そう言って笑おうとするが、血を吐き出すような咳しか出てこない。


 足元には先ほどまで松浦と並んで指示を出していた部下たちが何人も倒れていた。


 そのうちの一人が手を伸ばしてくる。


「隊長……まだ、やれますよ……」


 声は弱々しいが、その瞳は希望を捨てていない──少なくとも、そう見えた。


 松浦は苦しそうに息を吸い込み、なんとか言葉を紡ごうとする。


 しかし、その前にシムルグが魔樹の枝から飛び立とうとする姿が目に入った。


「──ッ!」


 思わず体が動いてしまう。


 後先考えず、松浦は残された拳銃を抜き、よろめきながらシムルグへ向かって走り出す。


「指揮官!」


 後方から隊員の声がしたが、松浦は振り返らない。


 すでに視界は赤く濁り、地面が傾いて見える。


 それでも撃たなければならない、と彼は思う。


 自分の死で、仲間がほんの少しでも生き延びられるなら、それでいい。


 シムルグは一度大きく羽ばたき、バランスを崩すようによろりと落下しかける。


 その瞬間、松浦は銃口を向け、引き金を絞った。


 何発かの弾丸がシムルグの脇腹に命中したのか、黒ずんだ血がぱっと飛び散ったように見える。


 シムルグが嗄れた鳴き声を上げた。


 しかし、それで倒れるような相手ではない。


 激昂のままに翼を振りかざし、松浦をはね飛ばそうと振り返った。


 ──その一撃は、おそらく避けられない。


 松浦自身も、そのことはわかっていた。


「かはっ……」


 衝撃が松浦を打ち、意識が白く弾け飛ぶように遠のいていく。


 体が宙を舞い、やがて地面に叩きつけられる。


 潰れた肺から大きく息が漏れ、そのまま声にもならない嗚咽が混じる。


 しばらく目の前が真っ暗になり、鼓動がどんどん遠ざかるような感覚を覚えながら、松浦はかすかに動く唇で何かを言おうとするが──


 僅かに唇を開いたまま、松浦は死んだ。


 彼は必死で「隊長、隊長!」と呼びかけるが、返事はなかった。


 死んだのだ、と悟った瞬間、胸の奥から何かが切り裂かれるように悲しみが込み上がる。


 けれど、霧と血の混ざるこの戦場で嘆く暇などどこにもない。


「隊長が……やられた……」


 震える声が、残存する兵士たちに広がっていく。


 今もなお、獣やゾンビが霧の中を徘徊している。


 周囲では何人かの兵士がそれらの襲撃を辛うじて食い止めているが、もはやその気力もいつまで保つか。

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