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第59話 爆裂

 ◆


 意を決した表情で巨大甲虫の脚へ飛びかかったのは高木というまだ若い男だ。


 体格は小柄な方だが、部隊で一番向こう気が強い


 巨大甲虫の脚は所々節くれだっていたが、高木はその節を掴み、あるいは足場にして甲虫の胴体へ向かってよじ登っていた。


 “増幅”なしには出来ないことだろう。


「高木! 無茶だ、戻れ!」


 吉村が絶叫する。


 しかし高木は振り返らず、脚を這い登り始めた。


 黒い外殻が射撃の衝撃を受けて振動している。


「くそっ……」


 そう呟きながら、高木はひたすらよじ登っていく。


 ──畑中の野郎、奥さん置いてくたばりやがって


 怒・怒・怒


 高木はひたすら怒っていた。


 死んだ畑中と高木は友人だ。


 家族づきあいもある。


 若くして未亡人になった友人の妻になんと説明すればいいのか。


 それもこれも……


 ──全部、てめぇのせいだ。クソ虫野郎


 怒っている畑中ではあるが、無計画にこんなことをしているわけではなかった。


 ルー・ガルーが先ほど切り裂いた傷口が少し上のほうに見える。


 亀裂の内側から黒い体液がじわりと滲んでいた。


「そこだ……!」


 高木は拳を固めながら、さらに甲虫の横腹をよじ登る。


 しかし巨大甲虫も何かを感じ取ったのか、脚を大きく振り回し始める。


 凄まじい衝撃が高木の身体を揺さぶった。


 外殻は硬質で滑りやすく、下手をすればすぐに振り落とされかねない。


 それでも高木は両腕の筋肉を限界まで使い、爪を引っかけてしがみついた。


「うおおおっ……!」


 雄叫びを上げながら、必死に踏ん張る。


 増幅の力で一時的に人外の力を得たとはいえ、心がなえていればこんな真似は出来ないだろう。


 怒りが高木を奮わせている。


 高揚感と熱さが混じり合い、自分の身体ではないような感覚すらあった。


 脚の付け根へ到達するまでに何度か甲虫が跳ねるような動作を見せたが、それでも落ちなかった。


 そして、ようやく見上げた先に、ルー・ガルーが付けた大きな裂傷がある。


「よし……ここに、叩き込む!」


 高木は腰のホルダーに手をやり、手りゅう弾を取り出した。


「喰らえ、クソ虫っ……!」


 短く息を整え、ピンを抜く。


 爆発までに猶予は数秒ほどしかない。


 高木は握り締めた手りゅう弾を、巨大甲虫の裂けた傷口めがけて突っ込んだ。


 手がじゅうと音をたてて焼けるが高木には知ったことではない。


 痛覚を刺激されたのか、巨大甲虫が一際激しく暴れだす。


 高木の視界は一気に揺れ、上下が逆転するような錯覚が襲ってきた。


「ぐっ……うわああっ!」


 甲虫が全身を大きくひねり、背を震わせる。


 高木はその衝撃で完全に振り落とされ、宙を舞った。


 一瞬だけ、空と地面が入れ替わったように見える。


「こんなとこで、死ねるかよ……!」


 反射的に腕を突き出し、落下の衝撃を和らげようとした。


 だが、瓦礫の突起が腕と肩を固く打ちつけ、骨がきしむような嫌な音が聞こえた。


「がはっ……!」


 口から血がこぼれ、呼吸が詰まったかのような痛みが全身を襲う。


 それでも意識を保とうとしたが、視界がぐにゃりと揺れて、意識が遠のいていく。


 そして──周囲の音が一瞬だけ遠くなり、何も感じなくなった。


 ◆


 吉村はその光景をはっきりと見ていた。


 高木が甲虫に取り付き、手りゅう弾をねじ込んだのは分かった。


 しかし同時に振り落とされ、コンクリートの山へ叩きつけられたのも見えた。


「くそ……!」


 吉村は悔しげに唇を噛む。


 増幅された身体能力を得ても、落下の衝撃に耐えられない場合だってある。


 だがいまは助けにいく余裕はない。


 なぜなら──


「伏せろ! みんな、伏せろ──ッ!」


 鋭い声をあげると、周囲の隊員たちは咄嗟に地面へ身を投げた。


 巨大甲虫は口から再び火炎を吐こうとしているのか、低くうねる音を響かせている。


 だが同時に、肩のあたりから断続的な破裂音が聞こえ始めた。


 それは体内に潜り込んだ手りゅう弾の起爆寸前の振動が原因なのか、甲虫が激しく身を捩って唸るようにうめき声を上げる。


「……爆発するぞ──!」


 誰かが叫ぶ。


 その瞬間、巨大甲虫の横腹が内側から弾けるように膨れ上がった。


 続けざまに生じる閃光が闇と粉塵を切り裂き、凄まじい圧力波が廃墟の路地を吹き飛ばす。


 甲虫の鋼鉄じみた外殻が砕け、黒く焦げた破片が四方八方へ飛散していく。


 そして轟音。


 路上には血のような体液が飛び散り、熱気を帯びた爆煙が巻き起こった。


 ただの手りゅう弾にこんな威力はない。


 ──多分、体液と何か反応をしたんだろうな……


 吉村は伏せたままそんな事を考えながら、薄れゆく粉塵の先を睨んだ。


 巨大甲虫の巨体が、その場で大きく崩れ落ちていく。


 外殻は破れ、内臓らしき塊が露出している。


 明らかに致命傷だった。


「……仕留めたのか! 高木のやつ! やりやがったな!」


 周囲の隊員が顔を見合わせる。


 爆発の衝撃は強烈だったが、増幅の力で身を低くした彼らはどうにか無事を保っていた。


 甲虫は最期のうめきのような動きを見せたが、すぐに静かに動かなくなる。


 その姿はやがて、魔石を残して光の粒子へと変わり始めた。


 吉村は拳を強く握り、口の中で「ありがとう」と短く呟く。


 高木が手りゅう弾をねじ込まなければ、また多くの仲間が燃やされていたかもしれない。


「そうだ、高木だ……あいつは!?」


 吉村は慌てて周囲を探す。


 周囲には甲虫の破片と土煙、ちぎれた鉄骨の残骸が山のように散乱している。


 他の隊員たちも同じ思いらしく、すぐに手分けして崩れた瓦礫の山をかき分け始めた。


 ルー・ガルーや三崎もそれに手を貸す。


 黒く焦げた石や曲がった金属片を除けながら、必死に目を凝らと──


 しばらくして、一人の隊員が「ここだ!」と声を上げた。


 崩れかけの壁の脇に、倒れている若い隊員の高木がいた。


「大丈夫か……!」


 助けに駆け寄った仲間が呼びかけるが、反応しない。


 腕と肩は不自然に曲がっていて、呼吸も浅いように見える。


 それでも一命は取り留めていると判断できた。


「……脈はある! 早く応急処置だ!」


 吉村は急いで部下に担架代わりの板を持って来させる。


 彼らは手早く瓦礫をのけて、高木の身体を持ち上げようとする。


 そのときだ。


 ルー・ガルーが唸り声をあげた。


 すわ敵襲かと周囲を見回す吉村らだったが、さきほどまで群れをなしていたモンスターたちは巨大甲虫がやられたことで退いたようだった。


 ルー・ガルーがゆっくりとこちらへ近づいてきている。


 一瞬構える吉村だが──


 ──敵意は感じられない


 ルー・ガルーの瞳は澄んでおり、害意や敵意があるようには見えなかった。


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