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少し意外なことだが、菜月はぽつりぽつりと自分の話を始めた。
高校を休みがちで、何かと友人関係も上手くいかなかったこと。
それでも、ずっと飼っていた犬と過ごす時間だけは楽しかったこと。
異変が起こり、街が霧に包まれ始めたときにはもう行動するには遅すぎたこと。
「気づいたら……一人になってました」
声は淡々としているが、端々が震えている。
麗奈は思わず彼女の手を握ろうとするが、すぐに手を止めた。
「それで、ルー・ガルーが現れたの?」
聞いた麗奈に、菜月は少し表情を明るくして頷く。
「ええ。最初は怖かったけど……」
彼女はルー・ガルーの毛並みに手を添える。
「なんだか、昔飼ってた犬のようで。怖くなくなってきたんです」
ルー・ガルーは低く唸ったが、それは菜月への親愛の情を示すような優しい音だった。
「私たちもアーマード・ベア……くまっちが出てきてくれた時は驚いたよ」
麗奈がそう言うと、三崎は軽く苦笑する。
「僕も驚いた。もうだめかと思って」
そういってなんでゴブリンなんだよと思った事を話す。
「もちろん今はもうそんな風には思ってないけれどね」
そういってゴブリン・キャスターを見るが、その姿はいつのまにか年老いたものに戻っていた。
──あれはゴブリン・キャスターの若いころの姿なのかな?
そんな事を思っていると、ゴブリン・キャスターが内心の声を聞き取ったかの様に三崎のほうを向いて、にやりと笑う。
菜月も小さく笑った。
「なんだか通じ合ってるみたいですね。私もそうなんです。愛着が湧いてくるっていうか、絆? みたいなのが深まる気がして。たまに、何を考えているかわかったりするんです」
その会話の間にも、吉村たちは傷ついた隊員──高木の傷の手当てをしていた。
物資は限られているが、応急処置だけでも施しておこうというわけだ。
「……道中で人を集めるとか、そういう作戦なんですか?」
菜月が吉村に尋ねた。
「ええ、そうだですね。いまは各地に散り散りになっている"覚醒者"を集めて、戦力とする計画です」
吉村は包帯を巻きながら、時折息を吐く。
「それにしても、ここまで若い方が多いのは意外でした。なぜ若者ばかりが……。いえ、嫉妬とかではなくてね。こういうのは本来大人の役目でしょうに……」
「ゲームとかやってる子の方が、こういう"システム"に馴染みやすいのかもしれませんね」
菜月はそう言って、三崎と視線を交わした。
三崎は小さく頷いた。
「そんな気がするよね。僕らも最初はゲームみたいだって思った」
三崎の顔には苦い笑みが浮かぶ。
「だけど、ゲームなんてものじゃなかったけどね……」
その場にいる全員が、この短期間に生死を分ける経験を何度もしている。
ゲームでは「やり直し」がきくけれど、現実では一度失った命は戻らない。
菜月はうつむいて黙り込んだ。
すると、不意にルー・ガルーが彼女の肩を優しく押すような仕草をした。
「……ありがとう」
そう呟き、小さく微笑む。
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休息を終えた自衛隊員たちは、そろそろ出発の時間だと口々に言い始めていた。
高木もようやく意識を取り戻し、ぐったりとしながらも歩けるようになっていた。
「ご厄介になりました」
吉村が深々と頭を下げる。
「いえ……」
菜月は入り口のそばで、ルー・ガルーと共に彼らを見送っていた。
「気をつけて行ってください」
三崎と麗奈も、こくりと頭を下げる。
吉村たちが外へ出て列を組み始めるのを見て、三崎兄妹も彼女に最後の別れを告げた。
「じゃあね」
麗奈が手を振ると、菜月も小さく応える。
「……お互い、生きましょう」
その言葉が最後に聞こえて、彼らは廃墟の路地を進んでいった。
振り返ると、ルー・ガルーが菜月を守るように寄り添う姿がかすかに見えた。
次に会うようなことがあるのか、それともこれが今生の別れとなってしまうのか。
それは今の段階では誰にも分らなかった。
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三崎兄妹と自衛隊は再び、A公園を目指して歩き出した。