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第81話「貪欲なる死喰い蛙カロラ・カロル④」

 ◆


 アングリー・オーガが放った鋭い蹴りにより、カロラ・カロルは明らかに動きが鈍っていた。


 後脚からは血と体液が滴り落ち、膨大な質量をまともに支えられていない。


 その証拠に先ほどまで威圧的に膨らませていた腹部が、呼吸に合わせてひゅうひゅうと浮き沈みを繰り返すだけになっている。


「陣内さん、もう一押しみたいだね」


 遠巻きに状況を見ていた麗奈がやや安堵した様に言う。


 三崎もちらりと視線を投げるが、すぐに戦場全体の状況把握へと集中し直した。


 ──油断するなよ


 陣内は、オーガの背中を一瞥して思念を送った。


 負荷で頭がガンガンと痛むが、ここで気を抜けば殺されるのはこちらのほうだ。


 何せ相手はレア度6。死にかけた怪物ほど、予想外の力を振り絞ることがある。


 しかし、オーガから返ってきたのは、まるで「構うものか」と言いたげな荒々しい感情だった。


 先ほどまでは格闘家めいた正確無比な蹴りを繰り出していたのに、今はまるで血に飢えた野獣が牙を剥くかのような衝動が迸っている。


「待て、おまえ……!」


 陣内は制止しようとするが──オーガは主の言葉を聞いているのかいないのか、咆哮を上げながらカロラ・カロルの正面へと突進した。


 足元にはコンクリ片や蔦の残骸が散乱しているが、そんな障害物はものともせず踏み砕いていく。


 先ほどの格闘技術に裏打ちされた慎重さはまるで消え失せた。


 それは本能に身を任せた“モンスター”の走り方そのものだった。


「グオオオオォッ……!!」


 アングリー・オーガが猛々しい咆哮を轟かせる。


 血管が浮き出た腕がわずかに震え、まるで全身に滾る力をどう放出しようかと逸るような挙動を見せた。


 カロラ・カロルも、激痛を堪えながら腹部を一瞬膨らませる。


 これから自身を襲うであろう破滅的・壊滅的な衝撃に少しでも備えようとしているのだ。


 しかし──


 どん、と地響きが鳴る。


 オーガが力強く地面を踏み込み、腰をひねる。


 そして、腕そのものを鈍器の様に振り回し、勢いそのままにカロラ・カロラへ叩きつけた。


 バギィッ……といういやな音が響く。


 オーガの拳がカロラ・カロルの顔面へとめり込んだ。


 粘液と血が飛び散り、オーガの表皮を焼く。


 それでも構わずオーガは立て続けにパンチを連打し始めた。


 先ほどまで“理に適った蹴り”を放っていたとは思えぬほど、感情に任せた攻撃だ。


 拳が、肘が、さらには爪が、カロラ・カロルの身体を容赦なく引き裂いていく。


 濁った体液と血飛沫がまるで豪雨のように辺りを染める。


「……完全に頭に血が昇ってやがるな」


 陣内は苦々しげに言う。


 だが、同時に理解していた。


 アングリー・オーガという存在は“そういう奴”なのだ。


 擬似的に人間の技術を身につけ、格闘家さながらの動きができても、本質は血肉を求める荒ぶる怪物。


 怒りに身を任せて荒ぶるというのが、アングリー・オーガというモンスターの本来の在り方なのかもしれない。


「ブギャァァアァッッ……!」


 カロラ・カロルの喉から絞り出される断末魔のような声。


 その声が次第に弱まり始めると同時に、オーガは荒々しいストンピングを繰り出した。


 踏みつける。


 踏みつける。


 何度も、何度も。


 踏みつけられた蛙の巨体がたぷたぷと揺れ、地面に粘液が広がる。


 もう逃げ場などない。カロラ・カロルは絶望したように舌を伸ばし、か細い抵抗を試みるが、それすらもオーガは踏み砕く。


 嵐のような暴力に晒されたカロラ・カロルの全身は既にズタボロだ。


 体の各所からどす黒い体液が滲んでいる。


 それでもなお最後の力を振り絞ってカロラ・カロルが舌を伸ばそうとしたその瞬間、オーガは喉元へ鋭い牙を突き立てた。


「ゴ……ォ……」


 カロラ・カロルが潰れた声を出す。


 喉の奥から血と肉がこぼれ落ちる光景は凄惨を極めた。


 びちゃり、と生温い液体がオーガの顔に飛び散る。


 牙を突き立て、噛みつき、咀嚼し。


 そうしているうちにカロラ・カロルの四肢は不規則に痙攣を繰り返し、やがて力を失っていく。


 最後はこの蛙の恐るべき武器であった長い舌さえも脱力し、地面に垂れ下がって動かなくなった。


「……終わった、か」


 陣内がそう呟くのと同時に、カロラ・カロルの巨体がゆっくりとその輪郭を崩し始める。


 モンスターが死を迎えるとき特有の、光の粒子への還元が進行しているのだ。


 足先から胴体、そして頭部──少しずつ輪郭が溶けるように蒸発していった。


 ◆


 アングリー・オーガは荒い呼吸を続けながら蛙の崩れゆく身体を睨みつけていた。


 獣のように剥き出しの牙から血が滴り落ち、その様相ときたら凄惨極まりない。


 陣内でさえもその姿を見て、一瞬、恐怖に似た感覚を覚える。


 こんな怪物が本当に自分に従うのか、と。


 しかし同時に、妙な納得も覚えていた。


 ──ああ、そうだ。こういう奴だからこそ、俺にはちょうどいい


 声にならない声を漏らし、不敵に笑う。


 アングリー・オーガがもし完全に忠実で、飼いならされた存在であればどうだろうか? 


 ──俺らしくねぇな


 陣内はそう思う。


 カロラ・カロルの身体はほぼ光の粒子となり、すでにその姿は残骸すらほとんど見当たらない。


 代わりに足元には、汚濁した血と粘液が跳ね散らかっている。


 オーガはひとしきり荒い呼吸を吐き出すと、ようやく殺気を収めるかのように身体を伸ばした。


 赤銅色の肌がだんだんと新緑色へ戻っていく。


「殺ったか」


 陣内が呟いたとき、戦場の周囲では三崎や麗奈たち、自衛隊が同時並行でモンスターの掃討をほぼ終えていた。


 覚醒者たちの召喚モンスターの活躍、そして火器による支援攻撃が功を奏して、有象無象は次々と駆逐されていく。


 魔樹の根元付近には、もうろくにモンスターの反応は見られない。


 動ける個体がいても、爆薬の誘爆や火炎放射によって焼き尽くされているようだった。


 残る目標はただ一つ。


 魔樹だ。


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