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麗奈は一穂の顔色が変わるのを見て、身構えた。
「どうしたの? 何が見えるの?」
一穂はデモンズアイを通じて遠くを見ながら、震え声で答える。
「さ、鮫……みたいな……でも、おかしいの」
「鮫?」
麗奈は眉をひそめた。
──まさか、陸に鮫なんて
「でも、脚があるの! 四つ足で歩いてる! 頭がすごく大きくて……」
一穂の説明は要領を得ないが、その恐怖は本物だった。
デモンズアイの瞳孔が激しく収縮を繰り返している。
「ちょっと待って、もっと詳しく見るから」
一穂が集中すると、デモンズアイから情報が流れ込んでくる。
「レア度3……陸侵すマーシャル・ジョーズ、レベル1。能力は『強噛みつき』」
──陸を歩く鮫……
麗奈は内心で苦笑した。
この世界では何が起きても不思議ではないが、それにしても奇妙な組み合わせだ。
「何匹くらいいるの?」
「えっと……一匹、二匹……うわ、たくさんいる! 十匹以上はいるかも!」
一穂の声が上ずる。
「なんで陸に鮫が……」
麗奈は頭を振った。
理屈を考えている場合ではない。
「なんだか映画みたいだよね」
一穂が震えながらも、どこか現実離れした感想を漏らす。
「そういうのは映画だけでお腹いっぱい」
麗奈は苦笑しながら、周囲を見回した。
まだ生き残っているリトル・サーペントの処理に追われている覚醒者たち。
──みんなに知らせないと
「日山さん! 竹田さん!」
麗奈が声を張り上げると、二人が振り返った。
「新たなモンスターが接近中です! 鮫型ですが、四つ足で陸を歩くタイプ! レア度3、十匹以上!」
その報告に、覚醒者たちの顔が青ざめた。
「鮫が陸を……?」
竹田が信じられないという表情で呟く。
「もう何でもありだな……」
日山は冷静さを保とうとしているが、その顔にも疲労の色が濃い。
「蛇の処理を急ぎましょう。新手が来る前に──」
その時だった。
建物の外から、奇妙な音が聞こえてきた。
ズルズルという、何かを引きずるような音。
そして──。
「シャアアアッ!」
甲高い鳴き声が響いた。
麗奈はアーマード・ベアの感覚を通じて、外の様子を探る。
鋭敏な嗅覚が、新たな獣臭を捉えた。
魚のような、しかし陸生動物のような、奇妙な混じり合った匂い。
「来た……!」
誰かが叫んだ。
窓の外を見ると、信じられない光景が広がっていた。
巨大な鮫の頭部を持つ、四足歩行の怪物たち。
灰色の肌はぬめりを帯び、背びれが不気味に揺れている。
太い四本の脚で、器用に瓦礫を乗り越えて近づいてくる。
最も恐ろしいのは、その顎だった。
何列にも並んだ鋭い歯が、まるで肉を引き裂くための機械のように見える。
「うわ……」
一穂が小さく呻いた。
しかし次の瞬間、彼女は別の光景に気づいた。
「あ、蛇が……!」
麗奈も見た。
建物から逃げ出していたリトル・サーペントたちが、マーシャル・ジョーズの群れに遭遇していた。
そして──。
ガブリ。
鈍い音と共に、マーシャル・ジョーズの一匹が蛇を噛み砕いた。
強力な顎の力で、リトル・サーペントの硬い鱗があっさりと破壊される。
「食べてる……」
佐藤が呆然と呟いた。
マーシャル・ジョーズたちは、次々と蛇を捕食していく。
まるでご馳走を見つけたかのように、貪欲に噛み付いていく。
──モンスター同士の食物連鎖……?
麗奈は奇妙な光景を見つめながら、複雑な感情を抱いた。
◆
「覚醒者の皆さん! 至急支援をお願いします!」
息を切らしながら駆け込んできたのは、先ほどとは別の自衛隊員だった。
迷彩服は泥と血で汚れ、顔には疲労の色が濃い。
「巨大蛇との戦闘で、我々の戦力は大幅に削られました。負傷者も多く、その対応にも人員を割かなければなりません」
隊員の言葉に、覚醒者たちは顔を見合わせた。
「今度こそ皆さんの力が必要です。お願いします」
先ほどまでの、民間人を守ろうとする自衛隊の矜持。
それが崩れるほどの状況だということが、誰の目にも明らかだった。
「分かりました」
麗奈は真っ先に応える。
その時、新たな人影が現れた。
「すみません、負傷者の搬送を手伝ってもらえませんか」
若い男性自衛隊員だった。
まだ二十歳前後だろうか、あどけなさの残る顔立ちをしている。
救護班の腕章を付けているが、その横には奇妙な植物が立っていた。
──『レア度4/緑肌の癒葉アロリエール/レベル1』
麗奈の視界にステータスが浮かぶ。
巨大なアロエのような姿をしたモンスター。
肉厚の葉は淡い緑色に光り、その表面からは透明な樹液が滲んでいる。
「自分は新人の宮沢です。つい最近覚醒したばかりで……」
宮沢と名乗った隊員は、どこか申し訳なさそうに頭を下げた。
「この子の力で、少しでも負傷者の手当てができればと思って」
アロリエールが葉を震わせると、甘い香りが漂ってきた。
「すごい……レア度4だ」
一穂が小さく呟いた。
「でも、戦闘は……」
宮沢が苦笑する。
「ええ、この子は戦えません。でも、傷を癒すことはできるんです」
外から爆発音が響いた。
自衛隊がマーシャル・ジョーズの群れと交戦を開始したらしい。
「行きましょう」
日山の号令で、覚醒者たちが動き出す。
物流センターの出入り口付近は、まさに戦場と化していた。
対戦車ミサイルの残骸が散乱し、自衛隊員たちが必死に応戦している。
しかし、その動きには明らかに疲労が見て取れた。
「撃て! 撃て!」
隊長の怒声が飛ぶ。
銃弾がマーシャル・ジョーズの分厚い皮膚に当たるが、致命傷には程遠い。
鮫型モンスターたちは、その巨大な顎を開いて突進してくる。
「うわあああ!」
一人の隊員が噛み付かれた。
防弾チョッキごと、胴体を食いちぎられそうになる。
「くまっち!」
麗奈の指示で、アーマード・ベアが割って入った。
銀色の巨体がマーシャル・ジョーズに体当たりを食らわせる。
鮫型モンスターは隊員を離し、新たな敵に向き直った。
「助かった……!」
隊員が這いながら後退する。
その体には深い歯形が刻まれ、血が流れている。
「こちらへ!」
宮沢が駆け寄り、アロリエールが負傷した隊員の上に葉を広げた。
透明な樹液が傷口に垂れると、みるみるうちに出血が止まっていく。
「すごい……痛みも和らいで……」
隊員が驚きの声を上げる。
しかし、治療している間にも、戦況は悪化していった。
マーシャル・ジョーズは群れで行動し、巧妙に連携を取っている。
一匹が正面から突進し、別の個体が横から回り込む。
「囲まれる!」
誰かの叫び声。
麗奈は戦況を見渡しながら、冷静に分析していた。
──やばいなぁ……くまっちなら一対一でなら勝てると思うんだけど……
「こいつら、知能も高いぞ! 散開して狙いを絞らせないようにしている!」
また誰かが叫ぶ。
──このままじゃ、じり貧だ
麗奈は唇を噛んだ。