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第96話「襲撃⑤」

 ◆


 歓声が響いた。


 建物の外から、自衛隊員たちの勝鬨が聞こえてくる。


「やった! 自衛隊の人たちが大きい蛇を倒したよ!」


 一穂が嬉しそうに叫んだ。


 デモンズアイが窓の外を凝視している。


 麗奈も急いで窓際に駆け寄った。


 そこで目にしたのは、信じられない光景だった。


 巨大な多頭蛇──サーペンタインが地面に横たわっている。


 五つの首はだらりと垂れ下がり、もう二度と動くことはないだろう。


 そして、その巨体の頭部の上に、一人の人影が立っていた。


「あれは……」


 麗奈は目を凝らす。


 自衛隊の迷彩服を着ているが、その姿は明らかに普通ではなかった。


 体の右半身が、金属製の鎧のようなもので覆われている。


 銀色に鈍く光るその装甲は、まるで体と一体化しているかのようだった。


「あの人、魔石を使って覚醒したんだって!」


 一穂が興奮気味に説明する。


 デモンズアイから得た情報らしい。


 ──大人の覚醒者って少ないって聞いたけど


 麗奈は移動中、自衛隊の隊員が言っていたことを思い出していた。


 覚醒者の多くは十代から二十代前半の若者で、三十歳を超えての覚醒は極めて稀だという話。


 そして、自衛隊でも魔石を使った覚醒の実験は行われたが──。


「多くの犠牲者を出してしまった」


 隊員の苦渋に満ちた表情が脳裏に蘇る。


 成功率は低く、失敗すれば命を落とす。


 それでもなお、この自衛隊員は覚醒に挑み、そして成功したのだろう。


「すごい……」


 日山が感嘆の声を漏らした。


「あれほどの大物を単独で……」


 サーペンタインが倒されたためか、建物内のリトル・サーペントたちの動きが目に見えて鈍くなった。


 それまでの俊敏な動きが嘘のように、のろのろと這い回っている。


 野生の蛇よりもずっと遅い速さで、一般人でも余裕をもって逃げられるほどだ。


「親玉がやられて統制が乱れたのかな」


 竹田がプラントウィップで弱った蛇を絡め取りながら言う。


「今がチャンスだ!」


 日山の号令で、覚醒者たちが一斉に反撃に転じた。


 動きの鈍った蛇たちは、もはや脅威ではなくなりつつあった。


 しかし──。


「うわああ! 助けて!」


 遠くから悲鳴が聞こえた。


 全ての蛇が無力化されたわけではない。


 まだ元気な個体も残っており、避難民を襲い続けている。


 ──襲われている人を見つけないと


 麗奈は焦燥感に駆られた。


 この広い物流センターの中で、どこに危険が潜んでいるのか。


 どこで人が襲われているのか。


 アーマード・ベアの目を通しても、全てを把握することはできない。


 その時だった。


 麗奈の意識に、奇妙な感覚が芽生えた。


 無意識のうちに、アーマード・ベアとの繋がりがより深いレベルへと到達していく。


 まるで水に溶け込むように、境界線が曖昧になっていく感覚。


「これは……」


 不思議な感覚だった。


 全能感とでも言うべきか。


 腕も足も、人間の限界を超えて力強く動かせるような錯覚。


 いや、錯覚ではない。


 アーマード・ベアの筋肉の一本一本まで、自分のもののように感じられる。


 耳に届く音が、驚くほど鮮明になった。


 避難所全体の小さな音の一つ一つが聴き分けられる。


 人間の足音、呼吸音、心臓の鼓動。


 蛇が床を這う音、鱗が擦れる音。


 それぞれが明確に区別できる。


 鼻腔に流れ込む匂いも、今までとは比較にならないほど多彩だ。


 血の匂い、恐怖の汗、蛇の体臭、建物の埃っぽさ。


 全てが層をなして感じられる。


 そして──。


 五感のいずれとも違う、新たな感覚が芽生えていた。


 野生動物が持つ第六感とでも言うべきか。


 避難所のどこが危険なのか、なんとなく分かる。


 まるで熱源を感じ取るように、危険の在り処が頭の中に浮かび上がってくる。


 ──青い倉庫、横


 思考が言葉になる前に、体が動いていた。


 いや、正確にはアーマード・ベアの体が。


 しかしそれは同時に、麗奈自身の体でもあった。


 四本の太い脚が床を蹴る感覚。


 銀色の毛皮が風を切る感覚。


 全てが自分のものとして感じられる。


 これは同化ではない。


 もっとシームレスな、意識の同一化だった。


 麗奈の意識とアーマード・ベアの意識が、完全に重なり合っている。


 アーマード・ベアの本能が、彼女の直感となり。


 彼女の意志が、アーマード・ベアの行動となる。


 青い倉庫が見えてきた。


 物資保管用のコンテナが、薄暗い照明の下で不気味な影を落としている。


 その横の狭い通路から、微かな呻き声が聞こえた。


 アーマード・ベアの──いや、麗奈の鋭敏な聴覚が、恐怖に震える小さな呼吸を捉える。


「ママ……ママ……」


 幼い声だった。


 麗奈は一気に通路へと飛び込んだ。


 そこには、小さな男の子が壁際に追い詰められていた。


 リトル・サーペントが一匹、ゆらゆらと鎌首をもたげて獲物を見定めている。


 蛇の動きは確かに鈍っているが、それでも子供にとっては十分な脅威だ。


 麗奈が吼えた。


 それはアーマード・ベアの咆哮でもあった。


 巨大な前脚が振り下ろされ、蛇は床に叩きつけられる。


 鈍い音と共に、リトル・サーペントは動かなくなった。


「大丈夫?」


 麗奈は優しく声をかけながら、男の子に近づいた。


 少年は大きな目でアーマード・ベアを見上げている。


 恐怖で震えているが、怪我はないようだった。


「くま……」


「うん、私のお友達。もう大丈夫だよ」


 麗奈──アーマード・ベアは男の子を抱き上げた。


 軽い体だった。


 まだ五歳くらいだろうか。


 ──ママのところに連れて行ってあげる


 そう思い、似た匂いを探そうとした時。


 野生の勘が再び警鐘を鳴らした。


 別の場所で、新たな危機が発生している。


 剣呑な複数の気配。


 ──確か練馬区方面からもモンスターが来てるって話だったっけ


 となればまだ危機は終わってはいない。


 ◆


 麗奈は一穂と話しながら、同時にアーマード・ベアの鋭敏な嗅覚で周囲を探っていた。


 奇妙な感覚だった。


 自分の口は確かに一穂に「大丈夫?」と声をかけている。


 しかし同時に、アーマード・ベアの鼻腔に流れ込む様々な匂いも、自分のもののように感じられる。


「うん、なんとか……」


 一穂の震え声を聞きながら、麗奈は別の感覚にも意識を向けていた。


 近くに、戦っている覚醒者の匂い。


 恐怖の汗とは異なる、緊張の匂いだ。


 ──あっちだ


 麗奈の意識が向いた瞬間、アーマード・ベアが動き出す。


 男の子を前脚で優しく抱えたまま、銀色の巨体が廊下を進んでいく。


「麗奈ちゃん、どこ見てるの?」


 一穂が不思議そうに尋ねる。


「あ、ごめん。ちょっと……」


 麗奈は曖昧に微笑んだ。


 説明のしようがない。


 今、自分は確かにここに立って一穂と話している。


 でも同時に、四本の脚で廊下を歩いている感覚もある。


 まるで、意識だけが引き伸ばされて、二つの体を同時に動かしているような──。


 角を曲がったアーマード・ベアの視界に、佐藤の姿が映った。


 麗奈にもその光景が見える。


 二つの目──人間の目と熊の目で、同時に世界を見ている。


 ──佐藤さんだ。丁度いい


 獣臭に佐藤が振り返り──そして凍りついた。


「ひっ……!」


 無理もない。


 巨大な銀色の熊が、人間の子供を抱えて立っているのだから。


 しかも、その熊の動きが妙に人間臭い。


「あ、あの……三崎さんの……召喚モンスターだよ、ね?」


 佐藤の混乱した声。


 麗奈は一穂の横で頷きながら、同時にアーマード・ベアを通じて男の子を佐藤の前にそっと下ろした。


 熊の前脚の感触と、自分の腕の感触が重なり合う奇妙な感覚。


 ──この子をお願い


 佐藤は困惑しつつも子供の手を引く。


 そして麗奈は一穂を見ていった。


「練馬の方から来てるっていうモンスターも“視”れる?」


「う、うん……ちょっとまって」


 そう言って意識を集中する一穂。


 そして──


「な、なにこれ……」


 そんな一穂の反応から、麗奈は今度の相手も厄介そうだと直感した。


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