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三崎たちは廃屋の影に身を潜めながら、息を殺していた。
住宅街の細い路地は、まるで迷路のようだった。
崩れかけたブロック塀、錆びついたフェンス、そして至る所から這い出る赤黒い蔦。
視界は数メートル先までしか効かない。
「この地形は最悪だな」
陣内が低い声で呟いた。
アングリー・オーガの巨体は、狭い路地では不利だ。
身動きが取れず、その強大な力を発揮できないだろう。
「ギギッ」
ゴブリンの一匹が警戒の声を上げた。
三崎は即座にその視線の先を追う。
瓦礫の向こうから、複数の影が蠢いているのが見えた。
「来るぞ」
高槻が魔剣ラスティソードを構える。
次の瞬間、角から飛び出してきたのは巨大化したネズミのモンスターだった。
──いや、違う。
三崎は目を見開いた。
そのラットの体表には、見覚えのある赤い果実の破片がこびりついていた。
魔植の果実だ。
そして、そのサイズは通常の倍はある。
更にサイズが大きいだけではなく──
「ちょっと!レベル高くない!?」
英子が悲鳴に近い声を上げた。
巨大ラットは信じられない速度で突進してくる。
前田のナイト・バルワーが盾を構えて受け止めようとするが──。
ガァン!
金属音と共に、騎士が後方へ吹き飛ばされた。
「なんて力だ……!」
前田が青ざめる。
ナイト・バルワーの盾には、深い爪痕が刻まれていた。
「散開しろ! 囲まれるぞ!」
吉村が叫ぶと同時に、別の方向からも敵が現れた。
ゾンビ、スケルトン、そして見たこともない昆虫型のモンスター。
その全てが、通常よりも一回り大きく、動きも俊敏だった。
魔植の果実を食べたモンスターたち。
三崎の脳裏に山本の最期がフラッシュバックする。
人間が食べれば死ぬが、モンスターにとっては強化アイテムなのだ。
「くそっ、キリがない!」
高槻がラスティソードで敵を斬り伏せながら叫ぶ。
しかし、倒しても倒しても新たな敵が現れる。
そして──。
『こちら第三班! 至急援護を! 包囲されている!』
無線から切迫した声が響いた。
『第五班も危険な状態です! モンスターの数が多すぎる!』
別の声も続く。
吉村が苦渋の表情で無線に応答する。
「了解。本部、こちら第七班も苦戦中だが──」
『第七班は現在位置で持ちこたえてください。増援は第三班、第五班を優先します』
本部の冷徹な判断が下された。
──当然だ
三崎は理解していた。
より危機的な状況の部隊を優先するのは、戦術として正しい。
しかし、それは同時に自分たちが見捨てられたということでもある。
「ちっ、俺たちは後回しかよ」
陣内が舌打ちする。
その時、三崎の意識に奇妙な違和感が生じた。
モンスターたちの動き。
一見すると無秩序に見えるが──。
──いや、違う
三崎は目を凝らした。
よく見ると、モンスターたちは絶妙なタイミングで攻撃を仕掛けてきている。
まるで誰かが指揮を取っているかのように。
そのせいでより手ごわく感じているのだ。
「吉村さん!」
三崎が叫ぶ。
「この中にボス個体がいます! モンスターたちを統率している何かが!」
吉村の表情が引き締まった。
「確かに……動きが組織的すぎる」
即座に無線で本部へ報告する。
しばらくして、新たな指示が下った。
「狙撃班を高所に配置する。ボス個体を特定次第、排除する」
自衛隊員の一部が、崩れかけたビルの上階へと移動を開始した。
しかし──。
「どれがボスだ? 全部同じように見えるぞ!」
狙撃手の困惑した声が無線から聞こえる。
混戦の中、標的を特定することは困難を極めた。
そして、その間にも犠牲者は増えていく。
「うわああっ!」
一人の自衛隊員が、レベルアップしたゾンビに組み伏せられた。
通常の三倍はある握力で首を絞められ、みるみるうちに顔が紫色に変色していく。
「助けろ!」
仲間が駆けつけるが、間に合わない。
嫌な音と共に、隊員の体が力なく垂れ下がった。
「畜生……!」
誰かが悔しそうに呟く。
吉村が決断を下した。
「全員に魔石を配布する! 召喚モンスターを強化しろ!」
自衛隊員たちが、保管していた魔石の入った袋を開け始める。
色とりどりに輝く石が、覚醒者たちに手渡されていく。
「これで少しでも戦力を……」
前田がナイト・バルワーに魔石を与える。
騎士の鎧が一瞬輝き、より重厚なものへと変化した。
高槻も魔剣ラスティソードに魔石のエネルギーを注ぎ込む。
刃がより鋭く、より長くなった。
三崎は手の中の魔石を見つめた。
──偵察には二匹の方が便利だったけど
これまでゴブリンを二匹のままにしていたのは、それなりの理由があった。
広範囲を探るには、数が多い方が有利だったのだ。
しかし今は違う。
純粋な戦闘力が必要だ。
「二人とも」
三崎が二匹のゴブリンを呼び寄せる。
小さな緑の怪物たちは、主人の意図を察したのか、互いに顔を見合わせた。
──合成
三崎が念じると、二匹のゴブリンの体が光に包まれる。
そして、光が収まった時──。
そこには一回り大きな、虎縞模様のゴブリンが立っていた。
タイガーゴブリン。
鋭い爪と牙を持ち、筋肉質な体躯は明らかに戦闘に特化している。
しかし三崎はそこで止めなかった。
魔石を取り出し、タイガーゴブリンへと差し出す。
「進化しろ」
魔石のエネルギーがゴブリンへと流れ込む。
再び激しい光が周囲を包み込んだ。
光が収まると、そこには全く別の存在が立っていた。
電撃を纏った手斧を握りしめたゴブリン・ジェネラル。
筋骨隆々とした体躯はアングリー・オーガに勝るとも劣らない。
「すげぇ……」
高槻が息を呑む。
ゴブリン・ジェネラルは低い唸り声を上げると、手斧を振るった。
雷撃が走り、突進してきたレベルアップラットを一撃で焼き払う。
その圧倒的な戦闘力に、周囲の覚醒者たちから歓声が上がった。
しかし──。
三崎の表情は晴れなかった。
彼の中の"冷徹な自分"が、冷静に状況を分析している。
──これでも、まだ足りない
脳内でシミュレーションが展開される。
あらゆるパターン、あらゆる戦術。
しかし、どれを選んでも結末は同じだった。
全滅。
全滅。
全滅。
敵の数が多すぎる。
レベルアップした個体の戦闘力が高すぎる。
ゴブリン・ジェネラルが先ほどなぎ倒したのは、言ってしまえば雑魚だ。
更に強い個体に対しては相応に力を出さなければならないだろう。
そして、三崎にはわかるのだ。
あとどれくらいゴブリン・ジェネラルが力を出せるかが。
まるでゲームの様に三崎には視えている。
体力、そして意思の力のようなものが。
──必ずボスがいる
三崎はそう確信している。
そして、そのボスを倒せば恐らく統率は乱れ、こちらが有利になるだろう。
姿の見えないボス個体を探して討たねばならなかった。
だが、ゴブリン・ジェネラルもそうだが、シンプルに強いモンスターというのはとかく派手だ。
攻撃手段が派手だったり、あとは単純に雄大な体躯をしていたり。
ゴブリン・ジェネラルは攻撃のたびに雷光を迸らせている。
──ボス個体は多分、僕らを見て居場所を変えている
そんなことを思う。
必要なのはもっと“静かな力”だった。
──僕の"容量"はどれくらいかな?
三崎はふと、そんなことを考えた。
手の中にはまだ使っていない魔石が数個残っている。
色とりどりに輝くそれらは確かに魅力的だった。
これらを使えばこの危機を乗り越えられるかもしれない。
しかし──。
三崎の脳裏に、再び山本の最期が浮かぶ。
魔植の実を食べ、苦しみながらモンスターへと変貌していった友人。
最期に漏らした「おかあさん」という言葉が、今も耳に残っている。
──山本はきっと、"容量"をオーバーしたから"ああ"なった
三崎は魔石を見つめながら考える。
モンスターが平気で魔石や魔植の実を摂取できるのは、彼らの"容量"が人間より大きいからだろう。
では自分はどうか。
覚醒者といっても基本的には人間だ。
どこまで魔石のエネルギーを受け入れられるのか。
おおよそこのくらいかな?という見積りはたてられなくもない。
感覚的なものだが、なんとなくわかるのだ。
だが絶対ではない。
──賭けだ
三崎は唇を噛んだ。
このまま戦い続ければ、いずれ力尽きる。
しかし、魔石を使いすぎれば山本と同じ運命を辿るかもしれない。
掌の中で、魔石が妖しく輝いている。
まるで使えと囁いているかのように。
ゴブリン・ジェネラルが雷撃を放ち、敵を薙ぎ倒していく。
しかし、倒しても倒しても新たな敵が現れる。
無限に湧き出てくるかのような、悪夢のような光景。
そして、どこかに潜んでいるであろうボス個体。
全てを統率する見えない脅威。
三崎の額に冷たい汗が浮かんだ。
魔石が掌の中で熱を帯び始めている。
そしてまるで、生きているかのように脈動して──。