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第99話「その頃の三崎」

 ◆


 三崎と自衛隊の一行が荒廃した都心部を進み始めてから、すでに数時間が経過していた。


 麗奈を避難所へ送り出した後も何かと気が気でならない。


『大丈夫だよ、お兄ちゃん』


 ──麗奈は強がる時、いつも「大丈夫」って言うんだよなあ


 そんな事を考えている三崎だが、もちろん警戒をサボっているわけではない。


 先行する二匹のゴブリンたちは常に三崎に周囲の状況を知らせてくれる。


 言葉こそ通じないが、考えている事が何となく分かる。


 その偵察の甲斐もあり、道中で幾度となく遭遇したモンスターの群れに対しても、有利な状態で戦闘を始める事が出来ている。


 三崎が少し気になるのは、戦いが終わると陣内が必ず膝に手をついて荒い息を吐く事だ。


 他の覚醒者たちとは明らかに違う疲労の仕方だった。


 ──いや、それだけじゃない。みんな、“代償”が違うのかな? 


 三崎はそんな事を思った。


 前田や英子が単に走り回って息を切らしているのに対し、陣内の消耗はもっと深い部分から来ている様に見える。


「くそ……こいつと一緒に殴り合ってるみてえだ」


 陣内はそう呟きながら、震える手で汗を拭った。


 対照的に前田のナイト・バルワーは主人とは独立した存在として振る舞っている。


 前田も元気とはいいがたいが、それは三崎の目には純粋に緊張から来るに見えた。


 高槻の魔剣ラスティソードはまた別の関係性を持っている様だ。


 剣が赤黒く輝くたび、高槻の顔から血の気が引いていく。


 まるで生命力を対価に力を引き出しているような、危うい共生関係。


 ──僕とゴブリンはどうなんだろう


 考えてみるに、その中間といったところだろうか。


 完全な同調でもなく単なる主従でもない。


 互いの意図を何となく理解し合える程よい距離感に思える。


 ◆


 崩壊したコンビニエンスストアで束の間の休息を取った。


 埃っぽい店内に散乱したガラス片を避けながら、奇跡的に残っていたペットボトルの水を分け合う。


 生温い水が喉を通る感触に、三崎は妙に生きている実感が湧いた。


「なあ、三崎」


 陣内が潰れた空き缶を弄びながら声をかけてきた。


「妹のこと随分心配そうじゃねえか」


 三崎は少し考えてから答えた。


「心配じゃないと言えば嘘になるけど」


 ──でも、麗奈は僕よりずっとしっかりしてるから


 そう続けようとして、やめた。陣内にそんな事を言っても仕方がない。


「ふん、家族愛だねぇ」


 陣内は缶を握り潰した。


 三崎は陣内の顔色が悪いのが気になっていた。


 さっきの戦闘でも、オーガが敵を引き裂いた時、陣内は吐きそうな顔をしていた。


「というかさ、大丈夫? さっきからずっと顔色悪いけど」


 陣内は一瞬驚いたような顔をしてから、舌打ちした。


「……別に、大したことじゃねえよ」


 でも三崎が黙って見つめていると、陣内は観念したように続けた。


「なんつーか……こいつと深く繋がると、こいつの感覚が俺にも流れ込んでくるっつーか」


 陣内はアングリー・オーガを顎で示した。


「俺の指示通りに動かせるようになるのはいいんだけどよ。でも、こいつが敵を殺す時の……なんだ、その、生々しい感覚っつーか」


 言葉を探すように陣内は眉をひそめた。


「骨が砕ける感触とか、肉が裂ける音とか、血の匂いとか……そういうのが全部、俺の頭に入ってくるんだよ」


 ──なるほど


 三崎は理解した。


「俺は不良だけどよ、人殺しなんてしたことねえ。人だけじゃねえぞ、動物だって殺したことなんかねえよ。ケンカはしたけど、殺し合いは別だろ」


 陣内の声には苦い響きがあった。


「でもこいつは違う。殺すのが当たり前。むしろ楽しんでやがる。その感覚が俺に流れ込んでくると……」


 陣内は頭を振った。


「気持ち悪くなるんだよ」


 三崎は何と言っていいか分からなかった。


 自分のゴブリンたちとは、そこまで深い繋がりはない。


 だから殺戮の感覚が直接伝わってくることもない。


「その代わりにオーガは陣内みたいに喧嘩殺法を使えるってわけだね」


 三崎の言葉に、陣内は「古くせえよ、そのネーミングセンス」と言って笑った。


 ◆


 吉村は黙って地図を見ていた。時折無線機に手を伸ばしては引っ込める。


 ──他のルートの部隊が心配なんだろうな


 部下を預かる者の重責もあるのだろう。


 街の荒廃は進む一方だった。


 傾いたビル、陥没した道路、至る所に這い回る赤黒い蔦。


 電柱は飴細工のように曲がり、車は原型を留めていない。


 時々、建物の影から何かが動くのが見える。


 ──モンスターか、それとも野良犬や野良猫か


 判別はつかないが、どちらにせよ警戒は必要だ。


「ここを左だ」


 吉村が地図を確認しながら指示を出す。


 三崎はゴブリンたちに手振りで合図を送った。


 二匹は素早く角の向こうへ消え、しばらくして戻ってきた。


「ギギッ」


 ──大丈夫、敵はいない


 その意味が自然と理解できる。この奇妙な意思疎通にも慣れたものだ。


 瓦礫を踏む音が静寂の中に響く。


 皆が神経を尖らせているのが分かる。


 地中から巨大ミミズが飛び出してきた時は、全員で総攻撃をかけた。


 陣内のアングリー・オーガが咆哮を上げながら拳を叩きつける。


 巨大な拳がミミズの体を押し潰し、体液が飛び散る。


 その瞬間、陣内が口元を押さえた。


 オーガは嬉々として敵を引き裂いているが、その残虐な喜びが陣内には毒のように作用しているらしい。


 威力は凄まじく、ミミズは数撃で沈黙した。


 しかし陣内は膝をついて荒く息をついた。


「くそ……別に化け物を殺すのは良いんだけどよ、楽しくはねえんだよな。でもオーガを戦わせてるとなんていうかなあ、心が二つあるっていうか──それが気持ち悪ぃよ」


 深い繋がりは強力な力を生むが、精神的な代償も大きい。


 三崎はそれを改めて理解した。


 ◆


 そして遂に、目的地が見えてきた。


 細い住宅街の路地を抜けた瞬間、一行の足が揃って止まった。


 ──かなり大きいな


 三崎は息を呑んだ。


 赤黒い幹は螺旋を描きながら天を衝き、その太さは通常の樹木の十倍では済まない。


 不自然に折れ曲がった枝々からは、脈動する奇怪な実がぶら下がっている。


 他の者たちも衝撃を受けているようだったが、それぞれに覚悟を決めた表情をしていた。


「問題は、どうやってあそこまで辿り着くかだ」


 吉村の言葉で、全員が改めて周囲を観察した。


 ──ひどい有様だ


 かつて平穏な住宅街だったであろう場所は、今や瓦礫の山と化している。


 崩れた家屋の影から覗く無数の赤い眼光。


 屋根の上で羽を休める怪鳥の大群。


 道路の亀裂から這い出す正体不明の触手。


 そして魔樹に近づくほど、モンスターの密度は明らかに高くなっていた。


 ──まるで魔樹を守っているみたいだ


「迂回ルートを探すべきか……」


 吉村が地図を広げる。


 紙の擦れる音が静寂の中でやけに大きく響いた。


 しかし、どのルートを選んでも一長一短であることは明白だった。


 大通りは見通しが良いが逃げ場がない。


 裏道は隠れやすいが待ち伏せの危険がある。


「何をごちゃごちゃ考えてんだよ」


 苛立ちを隠さない陣内の声が沈黙を破った。


「どのみち魔樹を壊すんだろ? だったらどこから行っても一緒じゃねえか」


 乱暴な物言いだが、三崎もそう思った。


 最終的には戦闘は避けられない。


「時間をかければ、向こうも態勢を整えるからなあ」


 高槻が静かに付け加える。手にした魔剣が戦いを待ちわびるように震えていた。


「私もそう思います」


 沙理の声は穏やかだが、覚悟は決まっているようだった。


 三崎も頷いた。


 ゴブリンたちが「ギギッ」と鳴き声を上げ、戦闘態勢を取る。


 吉村は一同の顔を見回した。


 深く息を吐く。


「分かった。ここから突破を図る」


 ◆


 三崎は改めて魔樹を見上げた。


 夕陽を受けて血のように輝く赤黒い幹。


「よし、行くぞ」


 自衛隊員たちとも陣形の確認をしあって──号令。


 三崎たちが瓦礫を踏む音が廃墟に響き渡る。


 それを合図にしたかのように、無数の眼光が一斉にこちらを向いた。

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