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第98話「春野 菜月」

 ◆


 マーシャル・ジョーズの巨大な顎が、アーマード・ベアの前脚に食らいついた。


 鋭い歯が銀色の毛皮に深く食い込む。


「くまっち!」


 麗奈の叫び声が響く。


 アーマード・ベアは苦痛の唸り声を上げながら、必死に相手を振り払おうとする。


 しかし、鮫型モンスターの顎の力は想像以上に強力だった。


「援護します!」


 日山のリリ=パティが一斉射撃を開始するが、小さな矢はマーシャル・ジョーズの分厚い皮膚を貫くことができない。


 その時、別のマーシャル・ジョーズが横から突進してきた。


 竹田のプラントウィップが必死に絡みつこうとするが、圧倒的な質量差の前には無力だった。


「くそっ……!」


 竹田が歯噛みする。


 佐藤のイルミネイト・オーブも、照明以上の役には立たない。


 老人のシールド・タートルが前に出て盾になろうとするが、マーシャル・ジョーズの一撃で横転させられてしまった。


「カメ公!」


 老人の悲痛な叫びが響く。


 ──このままじゃ……


 麗奈の胸に絶望感が込み上げる。


 そして、最悪の事態が起きた。


 傷ついたマーシャル・ジョーズの一匹が、まだ息のあるリトル・サーペントに食らいついたのだ。


 ガリガリと骨を砕く音が響く。


 すると信じられないことに、マーシャル・ジョーズの傷がみるみるうちに塞がっていく。


「嘘でしょ……」


 一穂が震え声で呟く。


 デモンズアイを通じて、その光景をつぶさに観察していたのだろう。


「回復してる……蛇を食べて、傷を治してる!」


 麗奈は戦慄した。


 ただでさえ強力な敵が、自己回復能力まで持っているとは。


 しかも、そこら中に転がっているリトル・サーペントの死骸が、彼らにとっては回復アイテムと同じだ。


「こんなの、どうやって……」


 佐藤が絶望的な声を漏らす。


 防衛ラインは完全に崩壊寸前だった。


 自衛隊員たちも限界に達している。


 弾薬も底を尽きかけ、負傷者は増える一方。


「もう無理だ! 撤退しろ!」


 誰かが叫んだ。


 しかし、撤退などできるはずもない。


 背後には、まだ避難できていない一般市民が大勢いるのだから。


 麗奈は歯を食いしばった。


 アーマード・ベアとの同調をさらに深め、最後の力を振り絞ろうとする。


 頭の奥がズキズキと痛み始めていた。


 長時間の深い同調は精神に多大な負荷をかけるのだ。


 それでも、と麗奈は思う。


 今が気張り所だと。


 ここで命を張り、結果を出せば──間違いなく避難所の人望を集める事ができるだろう。


 ──そうすれば、きっとお兄ちゃんに


 この期に及んで麗奈の頭の中にあるのは、追い詰められた避難民よりも三崎の事であった。


 そう、彼女は自他ともに認める筋がね入りのブラコンなのだ。


 その時だった。


 ◆


 突如として、建物の外から複数の咆哮が響き渡った。


 地響きのような足音と共に、見たこともない召喚モンスターたちが次々と姿を現した。


 最初に現れたのは、黒い毛並みを持つ巨大なイノシシだった。


 ──『レア度4/疾駆する影猪シャドウ・ボア/レベル2』


 麗奈の視界にステータスが浮かぶ。


 突撃し、体当たりするだけの単純な戦法──しかし、衝突の瞬間に影がぞわりと蠢き、スパイク状の形を取る。


 体当たりされたマーシャル・ジョーズはたまらない。


 影の針に貫かれて一撃で絶命してしまう。


 続いて現れたのは、丸岩が三つ連なったような変わったモンスターだった。


 ──『レア度3/三頭を持つ大飛礫トライア・ロック/レベル2』


 まるで団子みたいだ、と麗奈は思うが、戦い方も実に奇妙なものだった。


 なんと三つの丸岩がそれぞれ分散し、宙を舞い、マーシャル・ジョーズの頭蓋を粉砕していく。


 さらに、炎を纏った鳥型のモンスター。


 ──『レア度5/憧憬する炎鳥デミ・フェニックス/レベル1』


 空から急降下し、炎の嵐でマーシャル・ジョーズを包み込む。


「なんだ、これは……」


 自衛隊の隊長が呆然と呟いた。


 次々と現れる強力な召喚モンスターたち。


 いずれも戦闘に特化した、見るからに強力なモンスターばかりだ。


「援軍だ! 援軍が来た!」


 誰かが歓声を上げる。


「すごい……レア度5もいる」


 一穂がデモンズアイで読み取った情報に驚愕する。


 新たに参戦した召喚モンスターたちは、圧倒的な力でマーシャル・ジョーズの群れを蹂躙していく。


 だが、その中でも一際目立つ活躍を見せたのは、麗奈のアーマード・ベアだった。


 新たな仲間の存在に勇気づけられたのか、あるいは主人である麗奈の闘志に応えたのか。


 負けていられないとばかりに銀色の巨体がまるで別のモンスターのように躍動し始めた。


「グオオオオッ!」


 雄叫びと共に、アーマード・ベアがマーシャル・ジョーズに組み付く。


 太い前脚で相手の顎を掴み、信じられない怪力でそのまま引き裂いた。


 鮫型モンスターの断末魔が響く。


「すごい……」


 竹田が息を呑む。


「麗奈ちゃんのくまっち、本当に強い……」


 この時、麗奈はかなり無理に同調を深めていた。


 それは援軍に見せ場を完全に持っていかれないための打算である。


 戦況は一気に逆転した。


 数の上でも質の上でも優位に立った麗奈たちは、マーシャル・ジョーズを次々と撃破していく。


 リトル・サーペントを食べて回復しようとする個体も、即座に集中攻撃を受けて倒された。


「やった……勝った……」


 佐藤が安堵の息を漏らす。


 物流センターの周囲には、マーシャル・ジョーズの死骸が累々と横たわっていた。


 ようやく、避難所に一瞬の安堵が訪れた。


 しかし──。


「麗奈ちゃん!」


 一穂の悲鳴が響いた。


 麗奈は、いつの間にか膝をついていた。


 視界がぼやけ、頭の中で何かが激しく脈打っている。


 ──あれ、私……


 アーマード・ベアとの深い同調を長時間維持したツケが、一気に押し寄せてきたのだ。


 精神的な疲労が限界を超え、意識が薄れていく。


 体が前のめりに倒れそうになった、その時。


「大丈夫ですか!」


 誰かが麗奈の体を支えた。


 細いけれど、しっかりとした腕。


 朦朧とする意識の中で、麗奈はその顔を見上げた。


「あなたは……」


 見覚えのある顔だった。


 柔らかな黒髪に優しげな瞳。


 そして、その隣には大きな狼が控えている。


「春野……さん……?」


 麗奈が呟くと、少女は微笑んだ。


「はい、春野菜月です。あの時は本当にありがとうございました」


「まさか、あなたも戦いに……?」


 麗奈の問いに、菜月は複雑な表情を浮かべた。


「色々事情があるんです」


 菜月の傍らで、ルー・ガルーが低く唸る。


 その銀灰色の毛並みは月光のように輝き、鋭い牙には血が滴っていた。


 ──さっきの戦いにも参加してたんだ


 麗奈は朦朧とする意識の中で理解した。


「それよりも少し休んでください」


 菜月はそう言って、麗奈の体をしっかりと支えた。


 ──菜月さんも、仲間に……?お兄ちゃんに報告しなきゃ……これっ、て……大手柄じゃん、ね……


 朦朧とする意識の中でそんなことを考える。


 避難所で情報を集め仲間を増やす。


 愛する兄からの“頼み”は思わぬ形で達成されつつあった。


「三崎さん、ゆっくり休んでください」


 菜月の優しい声が聞こえる。


「今は、少しだけ」


 麗奈は小さく頷いた。


 疲労の波に飲み込まれながら、最後に思ったのは兄のことだった。


 ──お兄ちゃん、私、頑張ったよ……

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