◆
マーシャル・ジョーズの巨大な顎が、アーマード・ベアの前脚に食らいついた。
鋭い歯が銀色の毛皮に深く食い込む。
「くまっち!」
麗奈の叫び声が響く。
アーマード・ベアは苦痛の唸り声を上げながら、必死に相手を振り払おうとする。
しかし、鮫型モンスターの顎の力は想像以上に強力だった。
「援護します!」
日山のリリ=パティが一斉射撃を開始するが、小さな矢はマーシャル・ジョーズの分厚い皮膚を貫くことができない。
その時、別のマーシャル・ジョーズが横から突進してきた。
竹田のプラントウィップが必死に絡みつこうとするが、圧倒的な質量差の前には無力だった。
「くそっ……!」
竹田が歯噛みする。
佐藤のイルミネイト・オーブも、照明以上の役には立たない。
老人のシールド・タートルが前に出て盾になろうとするが、マーシャル・ジョーズの一撃で横転させられてしまった。
「カメ公!」
老人の悲痛な叫びが響く。
──このままじゃ……
麗奈の胸に絶望感が込み上げる。
そして、最悪の事態が起きた。
傷ついたマーシャル・ジョーズの一匹が、まだ息のあるリトル・サーペントに食らいついたのだ。
ガリガリと骨を砕く音が響く。
すると信じられないことに、マーシャル・ジョーズの傷がみるみるうちに塞がっていく。
「嘘でしょ……」
一穂が震え声で呟く。
デモンズアイを通じて、その光景をつぶさに観察していたのだろう。
「回復してる……蛇を食べて、傷を治してる!」
麗奈は戦慄した。
ただでさえ強力な敵が、自己回復能力まで持っているとは。
しかも、そこら中に転がっているリトル・サーペントの死骸が、彼らにとっては回復アイテムと同じだ。
「こんなの、どうやって……」
佐藤が絶望的な声を漏らす。
防衛ラインは完全に崩壊寸前だった。
自衛隊員たちも限界に達している。
弾薬も底を尽きかけ、負傷者は増える一方。
「もう無理だ! 撤退しろ!」
誰かが叫んだ。
しかし、撤退などできるはずもない。
背後には、まだ避難できていない一般市民が大勢いるのだから。
麗奈は歯を食いしばった。
アーマード・ベアとの同調をさらに深め、最後の力を振り絞ろうとする。
頭の奥がズキズキと痛み始めていた。
長時間の深い同調は精神に多大な負荷をかけるのだ。
それでも、と麗奈は思う。
今が気張り所だと。
ここで命を張り、結果を出せば──間違いなく避難所の人望を集める事ができるだろう。
──そうすれば、きっとお兄ちゃんに
この期に及んで麗奈の頭の中にあるのは、追い詰められた避難民よりも三崎の事であった。
そう、彼女は自他ともに認める筋がね入りのブラコンなのだ。
その時だった。
◆
突如として、建物の外から複数の咆哮が響き渡った。
地響きのような足音と共に、見たこともない召喚モンスターたちが次々と姿を現した。
最初に現れたのは、黒い毛並みを持つ巨大なイノシシだった。
──『レア度4/疾駆する影猪シャドウ・ボア/レベル2』
麗奈の視界にステータスが浮かぶ。
突撃し、体当たりするだけの単純な戦法──しかし、衝突の瞬間に影がぞわりと蠢き、スパイク状の形を取る。
体当たりされたマーシャル・ジョーズはたまらない。
影の針に貫かれて一撃で絶命してしまう。
続いて現れたのは、丸岩が三つ連なったような変わったモンスターだった。
──『レア度3/三頭を持つ大飛礫トライア・ロック/レベル2』
まるで団子みたいだ、と麗奈は思うが、戦い方も実に奇妙なものだった。
なんと三つの丸岩がそれぞれ分散し、宙を舞い、マーシャル・ジョーズの頭蓋を粉砕していく。
さらに、炎を纏った鳥型のモンスター。
──『レア度5/憧憬する炎鳥デミ・フェニックス/レベル1』
空から急降下し、炎の嵐でマーシャル・ジョーズを包み込む。
「なんだ、これは……」
自衛隊の隊長が呆然と呟いた。
次々と現れる強力な召喚モンスターたち。
いずれも戦闘に特化した、見るからに強力なモンスターばかりだ。
「援軍だ! 援軍が来た!」
誰かが歓声を上げる。
「すごい……レア度5もいる」
一穂がデモンズアイで読み取った情報に驚愕する。
新たに参戦した召喚モンスターたちは、圧倒的な力でマーシャル・ジョーズの群れを蹂躙していく。
だが、その中でも一際目立つ活躍を見せたのは、麗奈のアーマード・ベアだった。
新たな仲間の存在に勇気づけられたのか、あるいは主人である麗奈の闘志に応えたのか。
負けていられないとばかりに銀色の巨体がまるで別のモンスターのように躍動し始めた。
「グオオオオッ!」
雄叫びと共に、アーマード・ベアがマーシャル・ジョーズに組み付く。
太い前脚で相手の顎を掴み、信じられない怪力でそのまま引き裂いた。
鮫型モンスターの断末魔が響く。
「すごい……」
竹田が息を呑む。
「麗奈ちゃんのくまっち、本当に強い……」
この時、麗奈はかなり無理に同調を深めていた。
それは援軍に見せ場を完全に持っていかれないための打算である。
戦況は一気に逆転した。
数の上でも質の上でも優位に立った麗奈たちは、マーシャル・ジョーズを次々と撃破していく。
リトル・サーペントを食べて回復しようとする個体も、即座に集中攻撃を受けて倒された。
「やった……勝った……」
佐藤が安堵の息を漏らす。
物流センターの周囲には、マーシャル・ジョーズの死骸が累々と横たわっていた。
ようやく、避難所に一瞬の安堵が訪れた。
しかし──。
「麗奈ちゃん!」
一穂の悲鳴が響いた。
麗奈は、いつの間にか膝をついていた。
視界がぼやけ、頭の中で何かが激しく脈打っている。
──あれ、私……
アーマード・ベアとの深い同調を長時間維持したツケが、一気に押し寄せてきたのだ。
精神的な疲労が限界を超え、意識が薄れていく。
体が前のめりに倒れそうになった、その時。
「大丈夫ですか!」
誰かが麗奈の体を支えた。
細いけれど、しっかりとした腕。
朦朧とする意識の中で、麗奈はその顔を見上げた。
「あなたは……」
見覚えのある顔だった。
柔らかな黒髪に優しげな瞳。
そして、その隣には大きな狼が控えている。
「春野……さん……?」
麗奈が呟くと、少女は微笑んだ。
「はい、春野菜月です。あの時は本当にありがとうございました」
「まさか、あなたも戦いに……?」
麗奈の問いに、菜月は複雑な表情を浮かべた。
「色々事情があるんです」
菜月の傍らで、ルー・ガルーが低く唸る。
その銀灰色の毛並みは月光のように輝き、鋭い牙には血が滴っていた。
──さっきの戦いにも参加してたんだ
麗奈は朦朧とする意識の中で理解した。
「それよりも少し休んでください」
菜月はそう言って、麗奈の体をしっかりと支えた。
──菜月さんも、仲間に……?お兄ちゃんに報告しなきゃ……これっ、て……大手柄じゃん、ね……
朦朧とする意識の中でそんなことを考える。
避難所で情報を集め仲間を増やす。
愛する兄からの“頼み”は思わぬ形で達成されつつあった。
「三崎さん、ゆっくり休んでください」
菜月の優しい声が聞こえる。
「今は、少しだけ」
麗奈は小さく頷いた。
疲労の波に飲み込まれながら、最後に思ったのは兄のことだった。
──お兄ちゃん、私、頑張ったよ……