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第102話「ゴブリン・アサシン」

 ◆


 白い虚無が突然ひび割れた。


 まるでガラスが砕けるような音と共に、現実が三崎の意識へと雪崩れ込んでくる。


 瓦礫の匂い、硝煙の臭い、血の鉄錆びた香り。


 耳を劈く爆発音と怒号。


 三崎は膝をついていた。


 地面の感触が妙に生々しい。


「うわああっ!」


「こっちにも来たぞ!」


 周囲では激戦が続いている。


 陣内のアングリー・オーガが必死に敵を薙ぎ払い、高槻の魔剣が閃く。


 誰も三崎のことなど気にかけている余裕はない。


 三崎はゆっくりと立ち上がった。


 体の芯に、まだあの赤い炎が燃えている。


 怒りという名の、消えることのない炎が。


 そして同時に、自分に何ができるのかを完全に理解していた。


 魔石のエネルギーを大量に取り込んだ結果、三崎は覚醒者として新たな段階へと至ったのだ。


 召喚モンスターに対する絶対的な支配権。


 それが今の三崎に与えられた力だった。


 目の前でゴブリン・ジェネラルが雷撃を放ち、敵を薙ぎ払っている。


「ゴブリン・ジェネラル」


 三崎が静かに呼びかける。


 雷撃を纏った手斧を振るっていたゴブリンの動きが、一瞬止まった。


「戻って」


 穏やかな声。


 しかし、ゴブリン・ジェネラルは振り返ることすらしない。


 低い唸り声を上げ、なおも戦い続けようとする。


 強い抵抗の意志がマナの繋がりを通じて伝わってくる。


 ──まだ戦える。


 ──まだ敵がいる。


 ──戦わせろ。


 以前の三崎ならば、ゴブリン・ジェネラルを従わせる事はできなかっただろう。


 だが。


「分かってる。でも、今は戻ってきてほしいんだ」


 三崎の声は変わらず穏やかだったが──


 理不尽への怒り、失われた命への憤怒、そしてこの不条理な世界そのものへの反逆心。


 それらすべてが意志の力となって、ゴブリン・ジェネラルへと叩きつけられた。


 ゴブリン・ジェネラルの動きが完全に止まる。


 そして──。


 ゴブリン・ジェネラルから満足感のようなものが三崎へと伝わってくるなり、その場で光の粒子となって消えていった。


 三崎は息をつく間もなく、次の行動に移った。


 手を振ると新たに二体のゴブリンが現れる。


 いつもの二匹だ。


 通常の緑色のゴブリン。


 レア度1の最も基本的なモンスター。


 三崎は袋から魔石を取り出し、二体のゴブリンにそれぞれ差し出した。


 そして“進化”。


 魔石のエネルギーが流れ込む。


 光が収まった時、そこに立っていたのは──。


 全身が影のように黒く、輪郭すら曖昧な二体のゴブリンだった。


 ──『レア度4/暮明に紛れる殺手ゴブリン・アサシン/レベル1』


 細身だが、その動きは恐ろしく俊敏。


 手には漆黒の短剣を握り、瞳は血のように赤く輝いている。


 次の瞬間、二体のゴブリン・アサシンの姿が掻き消えた。


 影と一体化したのだ。


 地面に落ちる瓦礫の影、建物の陰、そこら中に存在する暗がりと完全に同化した。


「くそっ、まだ来るのか!」


 高槻が悲鳴のような声を上げる。


 新たなゾンビの群れが押し寄せてきていた。


 しかし三崎の意識はすでに別のところにあった。


 ゴブリン・アサシンの目を通じて戦場全体を俯瞰していく。


 そして──。


「……みつけた」


 三崎が静かに呟いた。


 ◆


 戦場の片隅に一体のスケルトンがいた。


 他の個体と何ら変わらない、ありふれた骸骨の戦士。


 しかし三崎には分かる。


 ゴブリン・アサシンの特殊な視覚を通じて見ると、そのスケルトンの周囲に奇妙な歪みがあった。


 ステータスを偽装している。


 表面上は──『レア度1/彷徨う骸骨スケルトン/レベル1』


 しかし、その奥に隠された真のステータスは──。


 ──『レア度5/痩身の智将カスペル・ワイト/レベル3』


 なるほど、賢い。


 雑魚に紛れて戦場を俯瞰し、安全な場所から指揮を執っている。


 カスペル・ワイトは小さな骨の指で、巧妙にモンスターたちを操っていた。


 一見すると、ただふらふらと歩いているだけのスケルトン。


 しかし、その動き一つ一つが、周囲のモンスターたちへの指示になっている。


 だからこそ、雑多な種類のモンスターたちが見事な連携を見せていたのだ。


 三崎は思念でゴブリン・アサシンたちに指示を送る。


 ──あのスケルトンだ


 影の中を音もなく移動するゴブリン・アサシンたち。


 カスペル・ワイトは、まだ自分が発見されたことに気づいていない。


 ふらふらと歩きながら、他のスケルトンに紛れようとしている。


 しかし──。


 左右から同時に漆黒の刃が閃いた。


 カスペル・ワイトが初めて反応する。


 骸骨の頭部が素早く振り返るが、もう遅い。


 一体目の刃が脊椎を断ち、二体目の刃が頭蓋を粉砕する。


 カラカラと乾いた音を立てて、骨が崩れ落ちる。


 そして、その瞬間──。


 戦場に劇的な変化が訪れた。


 ◆


 それまで統率の取れた動きを見せていたモンスターたちが、突然混乱し始めた。


 指揮官を失った軍隊のように、てんでバラバラな動きになる。


 レベルアップしたラットは仲間同士で噛み合いを始め、ゾンビたちは目的もなくふらふらと歩き回る。


「なんだ? 急に動きが鈍くなったぞ!」


 陣内が気づいた。


「今だ! 一気に押し返せ!」


 吉村の号令が響く。


 形勢は一気に逆転した。


 統率を失ったモンスターたちはもはや烏合の衆でしかない。


 強くはあるが、連携は喪われている。


 それどころか同士討ちまでしているのだ。


 形成は一気に傾いた。


 高槻の魔剣ラスティソードが次々と敵を切り伏せ、陣内のアングリー・オーガが怒涛の勢いで敵を蹂躙していく。


「何が起きたんだ?」


 前田が困惑しながらも、ナイト・バルワーに攻撃を続けさせる。


 三崎は静かに戦況を見守っていた。


 ゴブリン・アサシンたちを通じて、周囲の状況を把握し続ける。


 取り逃がした敵はいないか。


 新たな脅威は潜んでいないか。


 影から影へと移動しながら、徹底的に索敵を続ける暗殺者たち。


 やがて──。


 最後のスケルトンが崩れ落ちる。


 戦いは終わった。


 ◆


「やった……勝った……」


 英子が息を切らしながら呟いた。


「なんか急に敵が弱くなったな。ボスが見つからなくてやばかったんじゃないのか? 誰かが倒したって事か……」


 陣内が首を傾げる。


 三崎は影から姿を現したゴブリン・アサシンたちを見やった。


「三崎君、そのモンスターは──」


「魔石をつかって召喚できるようになりました」


「なるほど、じゃあ君が倒したということか」


 吉村は頷き、三崎に礼を言う。


「とりあえず、魔樹を何とかしましょう」


 三崎の提案に、皆が頷く。


 中心部に聳え立つ巨大な魔樹。


 すべての元凶となった、赤黒い蔦を伸ばす異形の植物。


「総攻撃だ!」


 吉村の号令と共に、覚醒者たちが一斉に攻撃を開始する。


 もはや守るモンスターもいない魔樹は、なすすべもなく攻撃を受け続けた。


 やがて──。


 ぎしぎしと不気味な音を立てて、魔樹が傾き始めた。


「離れろ!」


 全員が後退する中、巨大な魔樹がゆっくりと倒れていく。


 地響きと共に地面に激突し、赤黒い蔦がびくびくと痙攣するように震えて、やがて動かなくなった。


 完全な勝利だった。


 ◆


「信じられねぇ……本当に勝っちまった」


 陣内が呆然と呟いた。


 三崎は静かに空を見上げた。


 霧が少しずつ晴れ始めている。


 久しぶりに見る青い空が雲の切れ間から顔を覗かせていた。


 しかし三崎の胸中ではまだあの赤い炎が燃え続けている。


「三崎君、大丈夫か? 少し様子が変だが」


 吉村が心配そうに声をかけてきた。


「ええ、大丈夫です。ちょっと……魔石を使いすぎたみたいで」


 三崎は曖昧に微笑む。


 本当のことはまだ誰にも言えない。


 というより、言い様がなかった。


 あの白い虚無で見たものも、そこで理解したことも三崎は覚えていない。


 三崎が覚えているのは怒りだけだ。


 超常の存在に弄ばれているという怒りだけ。


「麗奈、無事だといいんだけど……」


 呟きながら妹のことを思う三崎だった。



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