「後悔なんて、とんでもないよ。雅さんがいない人生なんて、香りのないバラみたいなもの――……いや、もっとだな。ひまわりの咲かない夏とか……、月や星の見えない夜空……、あるいは――」
「先輩! 焼き芋のない秋とかは、どうですか!」
「うん、いいな!」
「でしょう!」
なにそれ……。猛さんのセンスってどうなってんだ……。
一星は
「もう、タケくん! 太郎さんも、やめてったら。恥ずかしいじゃない」
「だって、本当のことだよ」
「もう……」
恥ずかしいのはこっちのセリフだ、と思いながら、一星はなおも静かに焼肉を
低カロリーで、タンパク質をとるのであれば、ヒレもまた好ましいが、育ち盛りの一星、風太と、体力仕事の太郎には、量というところも、また重要だった。さらに家計のことも考えれば、やはり。主役はロース一択になる。それにしても、今日の肉はうまい。しっとりとしていながら、弾力があり、牛の臭みもまったくなかった。
「雅さん、この肉、うまいですね」
ふたりの
「そう……?」
「はい。いつものより、明らかにうまいです」
「さすがは一星くん! 今日はね、スーパーのじゃなくて、弟の店がひいきにしてるお肉屋さんで買ってきたんだよ」
雅は嬉しそうに答える。雅の弟、ということは、風太にとっては叔父だ。雅に弟がいたなんて初耳だが、太郎はすでに知っていたらしく、あいかわらずの笑顔で頷いている。
「弟さんの店……?」
「母ちゃんの弟、北鎌倉で居酒屋やってんだよ」
「へえ……」
どうやら、そうらしい。あまりこれまでは話に出てこなかったので、ひょっとして
「そのうち、みんなで食べにいこうね。自慢じゃないけど、ほんっとに弟のごはん、おいしいから」
「いいなーっ、僕もその会、行きたいです、雅さん!」
「タケくんは、ちゃんと自力で帰れるようになってから」
「えーっ!」
けらけらと笑いながら、一星と風太は夢中で肉を消費し、大人たちはビールを飲む。庭へ続く窓の向こうから、ふわりと夜風が入ってきて、食事で温まった肌を心地よく
男同士のカップルとして生きる道を選んだとしたら、そこに、子はできない。そういう当たり前の家族構成ではなくなる。家の中には、自分とパートナーだけの、ふたりきりの暮らしになるのだろう。互いの家族が肯定的であれば、ときには家族団らんもあるだろうが、もし、否定的だったら――。
本当に……、ずっとふたりきり、なんだろうな……。
これは、きっと自分には作れない風景だ。そんなことを考えていたときだった。
「でも、僕、今日はお迎えが来るんで。もう先輩たちのご厄介にはなりませんよ」
「えっ!」
なにやら得意げに言った猛に、思わず、一星は声を上げた。風太はちょっとつまらなさそうにジュースに口をつけている。おそらく彼は、「せっかく掃除したのに」とでも思っているのだろう。だが――。
「迎えって……。タケくん、まさか……」
「母ちゃんか父ちゃん、迎えに来てくれるんすか?」
「……っ!」
風太がそう
「おばかね。そうじゃないでしょ。彼女よ、彼女」
雅がそう言って、猛が頷く。彼女、という言葉に、風太はすぐに反応した。健全だ。
「か……っ、彼女! 彼女いるんすか、猛さん!」
「いや、実は彼女……ではないんですけど、まあ、そんな感じ……」
「すっげえ、いいなぁ……! 大人って感じっすね!」
「うん……、まあ。大人だからね……」
なぜか、風太は猛のことを、自分よりもちょっと年上の人、みたいな感覚で話しているようだった。もっとも、親しみやすく、見た目も年齢の割に、うんと若く見える猛のことだから無理もないが、それにしたって、彼は年齢的には充分、おっさんではある。そういう存在がいても、特段すごくはない、と一星は心の中で思った。ただし、初耳ではある。
「実は先月、ここにお泊まりしたとき、ケンカになっちゃったんです。だから、今度からは、もうちょっとちゃんとしようかなって思って」
そう言いながら、猛は頭を
「猛さんって、恋人いたんですか? ……いつから?」
一星が
「ほんとに……?」
「ほんとだよ」
「なんで? そんなこと今まで、全然話してくれなかったじゃないですか」
「お多感な年頃の子に、べらべら話すようなことじゃないでしょう」
「……たしかに」
猛が思春期の一星に気を
全然わからなかった……。猛さんとは、付き合い長いし、父さんと同じくらい、なんでもわかるような気になってたけど……。
太郎の右腕としてあの接骨院で働き、忙しい日常を送りながら、しっかり恋愛もしていたなんて、器用なものだ。――と、感心しかけたとき。ハッとする。
「まさか、猛さん……」
「えっ?」
「相手、患者さんとかじゃ、ないですよね……?」
そう
「違う、違う! もう、そんなわけない――……あ、でも、待てよ。……カルテはあるか」
「えーっ!」
ついに三人の声が
彼の場合、たしかに女性客に人気があるが、そのうちのひとりと深い関係になったというのは、ちょっと心配だ。なにか、ややこしい問題が起きたときには、痴情のもつれを職場に持ち込むことになりそうだし、なにかと面倒が起こりそうでもある。まだ社会に出ていない一星にだって、それくらいは想像できる。そもそも、恋人が患者というのは、どうなのだろう。ちょっといかがわしくはないだろうか。
「やっぱり、患者さんなんですね!」
「患者さん……! ほんとっすか!」
「タケくん、そうなの?」
三人が同時に
「タケ、この先、みんなにいつまでも隠すってのは無理だよ。うちの子たちと、雅さんには話しておいたら」
「でも……」
「雅さんは柔軟な人だ。きっと理解してくれる。うちの子たちだって、これでも剣道部の主将と副主将なんだぞ。高校生とはいえ、ふたりともしっかりしてるし、大人の話だって、タケが思っているよりも、ずっとできると思うよ」
一星は風太と視線を交わしてから、猛に目を戻し、しっかりと頷いた。なんだかよくわからないが、どうやら太郎は猛の恋人が誰なのか知っているらしい。さらに、その相手がどこの誰なのかは、一星と風太には言いにくいようだ。しかし、太郎によれば、それを隠し続けるのもまた無理があるという。つまり、一星、風太、雅の三人は、その人物を知っているということだろうか。猛は、少しの間、なにか考え込んでいたのか、黙っていたが、やがて覚悟したようにため息を
「……わかりました。それじゃあ、あとで迎えを呼びますから。今日はみんなに、僕の大切な人を紹介します」