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9-4

「後悔なんて、とんでもないよ。雅さんがいない人生なんて、香りのないバラみたいなもの――……いや、もっとだな。ひまわりの咲かない夏とか……、月や星の見えない夜空……、あるいは――」

「先輩! 焼き芋のない秋とかは、どうですか!」

「うん、いいな!」

「でしょう!」


 なにそれ……。猛さんのセンスってどうなってんだ……。


 一星はあきれながら、黙々と肉と白飯を交互に口へ運ぶ。どう考えても、運命の人に巡り会えなかったのを例えるのに、焼き芋のない秋は変だ。もちろん、焼き芋に罪はないが、女性の例えとして「芋」というのは、いかがなものか、と一星は思う。だが、猛と太郎は満足そうに笑い合っていた。


「もう、タケくん! 太郎さんも、やめてったら。恥ずかしいじゃない」

「だって、本当のことだよ」

「もう……」


 恥ずかしいのはこっちのセリフだ、と思いながら、一星はなおも静かに焼肉を堪能たんのうする。焼肉の主役は、霜降りカルビだと思われがちだが、源家での主役は、牛ならもっぱらロースだ。赤身こそが肉。肉こそがタンパク質。タンパク質は、体内に取り込まれれば、筋肉の組織を修復してくれ、さらに今ある筋肉を増強してくれる。


 低カロリーで、タンパク質をとるのであれば、ヒレもまた好ましいが、育ち盛りの一星、風太と、体力仕事の太郎には、量というところも、また重要だった。さらに家計のことも考えれば、やはり。主役はロース一択になる。それにしても、今日の肉はうまい。しっとりとしていながら、弾力があり、牛の臭みもまったくなかった。


「雅さん、この肉、うまいですね」


 ふたりの惚気のろけばなしを聞き流し、一星が言う。すると、雅がきらりと目を光らせた。


「そう……?」

「はい。いつものより、明らかにうまいです」

「さすがは一星くん! 今日はね、スーパーのじゃなくて、弟の店がひいきにしてるお肉屋さんで買ってきたんだよ」


 雅は嬉しそうに答える。雅の弟、ということは、風太にとっては叔父だ。雅に弟がいたなんて初耳だが、太郎はすでに知っていたらしく、あいかわらずの笑顔で頷いている。


「弟さんの店……?」

「母ちゃんの弟、北鎌倉で居酒屋やってんだよ」

「へえ……」


 どうやら、そうらしい。あまりこれまでは話に出てこなかったので、ひょっとして疎遠そえんなのかと思ったが、叔父は日頃、忙しくしているので、なかなかゆっくり会えないのだそうだ。いていそうなタイミングで店へ行けば、顔は見られるし、多少は話せるが、風太は部活、雅は仕事、ここ最近は同居のこともあって、落ち着いた時間が取れずにいたらしい。ただし、太郎は雅と同居をはじめる前に、ふたりで彼の家へ食事に行ったのだという。


「そのうち、みんなで食べにいこうね。自慢じゃないけど、ほんっとに弟のごはん、おいしいから」

「いいなーっ、僕もその会、行きたいです、雅さん!」

「タケくんは、ちゃんと自力で帰れるようになってから」

「えーっ!」


 けらけらと笑いながら、一星と風太は夢中で肉を消費し、大人たちはビールを飲む。庭へ続く窓の向こうから、ふわりと夜風が入ってきて、食事で温まった肌を心地よくでていく。本当に、夢を見ているような光景だった。これはたぶん、幸せの手本。家族としての理想像。家族団らん。まさにそんな言葉が似合う。ただし、一星はそう感じながら、今、目の前にある光景を、とてつもなくはかないものとしても見ていた。


 男同士のカップルとして生きる道を選んだとしたら、そこに、子はできない。そういう当たり前の家族構成ではなくなる。家の中には、自分とパートナーだけの、ふたりきりの暮らしになるのだろう。互いの家族が肯定的であれば、ときには家族団らんもあるだろうが、もし、否定的だったら――。


 本当に……、ずっとふたりきり、なんだろうな……。


 これは、きっと自分には作れない風景だ。そんなことを考えていたときだった。


「でも、僕、今日はお迎えが来るんで。もう先輩たちのご厄介にはなりませんよ」

「えっ!」


 なにやら得意げに言った猛に、思わず、一星は声を上げた。風太はちょっとつまらなさそうにジュースに口をつけている。おそらく彼は、「せっかく掃除したのに」とでも思っているのだろう。だが――。


「迎えって……。タケくん、まさか……」

「母ちゃんか父ちゃん、迎えに来てくれるんすか?」

「……っ!」


 風太がそういたのには、思わず噴き出しそうになった。目の前で、猛も苦笑している。一星は慌ててジュースを飲み干し、咳ばらいをした。風太にとって、迎えに来てくれる存在のイコールは、恋人とか彼女ではなく、親であるらしい。しかし、猛はこう見えて、もう立派なアラフォーなのだ。


「おばかね。そうじゃないでしょ。彼女よ、彼女」


 雅がそう言って、猛が頷く。彼女、という言葉に、風太はすぐに反応した。健全だ。


「か……っ、彼女! 彼女いるんすか、猛さん!」

「いや、実は彼女……ではないんですけど、まあ、そんな感じ……」

「すっげえ、いいなぁ……! 大人って感じっすね!」

「うん……、まあ。大人だからね……」


 なぜか、風太は猛のことを、自分よりもちょっと年上の人、みたいな感覚で話しているようだった。もっとも、親しみやすく、見た目も年齢の割に、うんと若く見える猛のことだから無理もないが、それにしたって、彼は年齢的には充分、おっさんではある。そういう存在がいても、特段すごくはない、と一星は心の中で思った。ただし、初耳ではある。


「実は先月、ここにお泊まりしたとき、ケンカになっちゃったんです。だから、今度からは、もうちょっとちゃんとしようかなって思って」


 そう言いながら、猛は頭をいている。一星はそんな彼を、じっと見つめた。この男は、酔っても虚言を吐くような人間ではない。


「猛さんって、恋人いたんですか? ……いつから?」


 一星がくと、猛は目をらしながら、「まあね、ちょっと前から……」と答えた。しかし、多くを語ろうとしない、その態度はどうも怪しい。


「ほんとに……?」

「ほんとだよ」

「なんで? そんなこと今まで、全然話してくれなかったじゃないですか」

「お多感な年頃の子に、べらべら話すようなことじゃないでしょう」

「……たしかに」


 猛が思春期の一星に気をつかっていたというのは、あながち嘘ではないのだろう。だが、やはり引っかかる。猛の性格を考えれば、好きな人ができただけで、かれてもいないのにべらべら惚気のろけて話しそうなものだし、恋人ができたなんてことになれば、それこそお祭り騒ぎをしそうなものだ。それなのに、一星は猛の浮いた話なんか、一度も聞いたことがなく、彼の異変を感じ取ることすらもできなかった。


 全然わからなかった……。猛さんとは、付き合い長いし、父さんと同じくらい、なんでもわかるような気になってたけど……。


 太郎の右腕としてあの接骨院で働き、忙しい日常を送りながら、しっかり恋愛もしていたなんて、器用なものだ。――と、感心しかけたとき。ハッとする。


「まさか、猛さん……」

「えっ?」

「相手、患者さんとかじゃ、ないですよね……?」


 そういた途端、雅が目を丸くして、風太は「えぇっ!」と悲鳴のような声を上げた。しかし、猛は慌ててかぶりを振る。


「違う、違う! もう、そんなわけない――……あ、でも、待てよ。……カルテはあるか」

「えーっ!」


 ついに三人の声がそろって、太郎がその声のボリュームに驚き、目をぱちくりさせる。猛はへらへら笑って、「そうでした」とばかりに頭をいているが、笑いごとではない。


 彼の場合、たしかに女性客に人気があるが、そのうちのひとりと深い関係になったというのは、ちょっと心配だ。なにか、ややこしい問題が起きたときには、痴情のもつれを職場に持ち込むことになりそうだし、なにかと面倒が起こりそうでもある。まだ社会に出ていない一星にだって、それくらいは想像できる。そもそも、恋人が患者というのは、どうなのだろう。ちょっといかがわしくはないだろうか。


「やっぱり、患者さんなんですね!」

「患者さん……! ほんとっすか!」

「タケくん、そうなの?」


 三人が同時にく。すると、それまで黙って見ていた太郎が、この状況を見かねたのか。静かに言った。


「タケ、この先、みんなにいつまでも隠すってのは無理だよ。うちの子たちと、雅さんには話しておいたら」

「でも……」

「雅さんは柔軟な人だ。きっと理解してくれる。うちの子たちだって、これでも剣道部の主将と副主将なんだぞ。高校生とはいえ、ふたりともしっかりしてるし、大人の話だって、タケが思っているよりも、ずっとできると思うよ」


 一星は風太と視線を交わしてから、猛に目を戻し、しっかりと頷いた。なんだかよくわからないが、どうやら太郎は猛の恋人が誰なのか知っているらしい。さらに、その相手がどこの誰なのかは、一星と風太には言いにくいようだ。しかし、太郎によれば、それを隠し続けるのもまた無理があるという。つまり、一星、風太、雅の三人は、その人物を知っているということだろうか。猛は、少しの間、なにか考え込んでいたのか、黙っていたが、やがて覚悟したようにため息をいて言った。


「……わかりました。それじゃあ、あとで迎えを呼びますから。今日はみんなに、僕の大切な人を紹介します」

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