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9-5

 その後、一星は風太と競うように焼肉をたいらげ、猛にせまった。猛の恋人が誰であろうと、一星は反対する気なんかないし、祝福したいと思う。ただし、誰なのかが見当もつかなくて、気になってしようがない。それはもちろん、風太も同じであるようだった。


「猛さん。気になるんで、早く彼女さん、呼んでくださいよ」

「そうっすよー。おれも、早く見てえっす!」

「さっきメッセージ送ったから、そろそろ来るってば。でも、君たち……、頼むから大騒ぎしないでよ……?」

「はい……!」

「わかってます!」


 雅は時折ときおり、心配そうに太郎を見て、太郎はそのたびに彼女に微笑ほほえんでいる。一星と風太は、ソファでくつろぐ猛を観察しながら、あと片づけを手伝っていた。


 家の前を通る車の音がするたびに、ハッと手を止めて耳を澄まし、通り過ぎていくのを確かめ、また手を動かす。だが、やがて。家の前に車のライトがしっかりと止まる。その途端、一星は台ふきんを放り投げて、玄関へ走った。そのすぐ後ろを、風太も追いかけてくる。


「お前……っ、ちょっと邪魔なんだけど。もうちょい後ろにいろよ!」

「おめーこそ、おれの後ろ行け! 靴が……、履けねえだろが!」

「この……っ、俺が先に出るって――」

「いーや! ここはおれが出る!」

「ちょっとふたりとも、ケンカしないで落ち着けって……」


 一星は、風太ともみくちゃになって玄関のドアを開け、背後では猛がおろおろした声を出す。だが、インターホンが鳴り、一星がドアを開けた瞬間。門扉の前に立つ人を見て、そこに立ち尽くし、言葉を失った。


 え……?


「お、お……っ、おざぁっす……!」


 風太は、一星の隣でそう言って頭を下げ、コンパスの軸のように、ピンと背すじを伸ばして立っている。「おはようございます」なのか「おつかれさまです」なのか、よくわからないあいさつだったが、彼がそうなったのも当然だった。今、一星と風太の前にいるのは、剣道部顧問の烏丸からすま八千穂やちほだ。


「どうも、こんばんは……」


 烏丸は、一星と風太にそうあいさつをして、頭を下げる。いつもとは雰囲気の違う丁寧なあいさつに、一星は違和感しかない。だが、ひとまずはオウムのように、あいさつを返した。


「こ、こんばんは……」

「……その、連れが世話になってるようで、悪かった。もう眠っちまってるか?」

「あ、いえ……。まだ起きて――」

「ヤチさーん、おつかれ! 来てくれてありがとうございます!」

「おう……」


 一星は呆気あっけに取られながら、目の前にいる烏丸を、今一度、じっと見つめる。どこからどう見ても、この男は烏丸。本人だ。そっくりさんではない。


「ってことは、まさか……、猛さんの、恋人って……」

「そう、そのまさか」


 猛は、玄関で靴を履き、烏丸の隣に並ぶ。そうして、彼の左手を取り、指をからめて握ってみせた。


「僕の恋人はね、烏丸八千穂さん。君たちの、剣道部の先生だよ」


 一星は驚いて言葉が出ない。――というよりも、なんとコメントしたらいいかわからなかった。もちろん、ツッコミたいことは山ほどある。なぜ、猛と烏丸が付き合うことになったのか。いつから、そういう関係だったのか。そして、ふたりはもともと、同性愛者だったのか。それとも、一星のように、たまたま、好きになった相手が男だったのか――。


 おそらく風太も、一星と同じだった。――いや、口を半開きにしたまま、あいさつも返せないで、ただ呆気あっけに取られているところを見れば、彼は一星よりも動揺しているかもしれない。


「先生、どうもこんばんは。お世話になっております。せっかくなんで、よかったら、お茶でも飲んでってください」


 太郎が出てきて、声をかける。だが、烏丸はかぶりを振った。


「いえいえ、私はただの迎えですんで……。これで」

「そうですか……」

「それに、彼がまた眠ってしまうと、ご迷惑になりますし」


 そう言って、烏丸は会釈えしゃくをして、背を向ける。だが、一星は咄嗟とっさに彼の腕をつかんで言った。


「おっ、お茶! 飲んでってください、先生!」


***




 焼肉パーティーの残り香が漂う源家のリビングは、今、静まり返っている。開けられた窓からは、心地よい夜風が吹いて、カーテンがふわり、ふわりとふくらんだり、しぼんだりをくり返していた。


 一星と風太は並んでテーブルの席に着き、その向かい側には猛と、剣道部顧問の烏丸が並んで座っていた。太郎と雅は、それぞれテーブルの端に椅子を置いて座り、四人を心配そうに見つめている。そのテーブルの上には、さっき雅がれてくれたお茶が六つ、品よく置かれていた。


「なんか、びっくりさせちゃったみたいで、ごめんな。ふたりとも」

「いえ……」


 一星はそう言って、隣にいる風太の顔をうかがう。風太は見たこともないほどに瞳孔を開き、表情を固まらせている。たぶん、相当、緊張しているのだろうが、なぜ、風太がそんなに緊張しなければならないのか、一星は不思議でならない。もっとも、一星もこの状況に、なにからツッコんでいいのかわからない気持ちは理解できるが。


「まぁ、そういうわけだから。今後ともよろしくお願いしまーす!」


 多少、酔っ払っているのもあるが、猛は軽いノリでそう言って、烏丸に甘えるようにして寄りかかる。しかし、烏丸は鬱陶うっとうしそうな目で猛をにらみ、甘える彼の体勢を押し戻した。


「おい……。もう少しちゃんと、説明しなくちゃだめだろ」


 烏丸は、一星と風太の顔をそれぞれ、しっかり見つめていた。


「一星、風太。驚かせて、本当に悪かったな。その、大丈夫か……?」

「はい」

「……は、はい」


 たぶん、烏丸はおもに風太に対して「大丈夫か」といたのだろう。風太は即答した一星のあと、ごくん、と生唾を飲んでから、かすれるような声で、ようやく返事をした。その様子には、安心できるはずもなく、烏丸は不安そうに風太を見つめている。


 しかし、そんな風太とは違い、一星は密かに胸をおどらせていた。同性愛のカップルがこんなに身近にいたことはもちろんだが、このふたりは、自分の手本になるかもしれない。それを、一星は期待しているのだ。思いがけず、同性に恋をしてしまった自分には、想い人と幸せになるビジョンなんて浮かばなかったが、目の前にいるふたりは、その模範となるかもしれない。


「先生……と、猛さんに、いてもいいですか」

「はい」

「いいよー」

「ふたりは、もともと知り合いだったんですか?」


 そうくと、烏丸は頷き、事細かに説明してくれた。まず、烏丸と猛は、高校時代、西御門高校の生徒で、先輩と後輩だったこと。烏丸は剣道部、猛は空手部だったこと。ふたりは、ひょんなことから知り合いになり、仲良くなったこと。


「懐かしいなぁ……。藤沢駅前のゲーセンで、チンピラにからまれてた僕に、通りがかったヤチさんが加勢してくれてさ。ふたりで八人、倒したんだよね」

「今だったら、警察沙汰だけどな……」


 ちなみにその頃、猛は太郎ともよくつるんでいたが、太郎は横浜の高校にかよっていたので、烏丸との面識はなかったのだという。猛と烏丸は、卒業して以来、しばらく会っていなかったそうだが、数年前にばったり再会し、烏丸はその場で、猛に告白されたということだった。


「嘘でしょ……。猛さん……、全然、人のこと言えないじゃないですか……」

「あはは、バレちゃったかー」


 猛は太郎と雅にそろってじろりとにらまれながら、苦笑で誤魔化ごまかす。太郎と雅のスピード交際をなんやかんやと心配していた彼もまた、数年ぶりに再会した途端に、同性に告白してしまうのだから、これはまさしく、同じ穴のムジナ。あるいは、類友というやつだ。だが、そんなことは気にもしない様子で、猛は言う。


「類友なんだろうね、きっと。でもね、僕らの場合は、そこからが大変だったんだ。ヤチさん、全然オッケーしてくんないんだもん。まぁ、最終的には、僕の粘り勝ちだったけど」

「なるほど……。相当、しつこくされたんですね……」


 同情するような口調で一星が言うと、烏丸は深く頷いた。それから「しつこいなんてもんじゃなかったよ……」と、あきれ果てたような声で言う。すると、それに言い返すようにして、猛が言った。


「諦めが悪いタイプなのー、僕は。それに、ヤチさんにも好意があるってことは、ちゃーんとわかってたしね」

「……余計なことを言うんじゃない」


 烏丸がそう言って、ジトっと猛をにらむ。だが、その顔は耳まで真っ赤だ。


「まったく……。調子がいいんだからな、タケは。こっちは相手が、一星の学校の先生だって聞いて、本当に心配してたんだぞ」


 太郎にそう言われて、猛はまたへらへらと笑った。


「ごめんなさい。でも、どうしようもなかったんですよ。相手が一星くんの先生なんて、僕も最初は知らなかったし。もう、わかったときには、好きって言っちゃってたんだから」

「……オレは、当分は隠し通すべきだと思ってたんだ。少なくとも、一星たちが卒業するまではな。教育上、こういう話で、多感な年齢の生徒を動揺させるのは心配だった。でも、猛が……、みんな家族みたいなもんだから、ちゃんと話したいと、ずっと前から言っててさ……。まさか、それが今日になるとは思わなかったけど」

「ごめん、ごめん。いい機会だと思ったんだよー」


 猛が笑って、頭をく。すると、彼を擁護ようごするように、太郎も言った。


「いや、先生……。それに関しては、私に責任がありますんで……。申し訳ありません」

「いやいや……。まぁ、時間の問題だったかもしれませんから」


 太郎が頭を下げると、烏丸は笑みをこぼし、かぶりを振る。一方で、猛は嬉しそうに、また烏丸の肩に寄りかかろうとする。そうされると、烏丸はやはり、鬱陶うっとうしそうに猛を押し戻した。普段からふたりがこうなのか、たまたま、猛が酔っているからなのかはわからないが、どちらにしても、ふたりは本当に幸せそうだった。


 先生、すごい嬉しそうだな……。この人も、こんな顔することあるんだ……。

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