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9-6

 普段、厳格なイメージがある烏丸からは、想像できない表情だった。どこからどう見ても、このふたりは恋人同士にしか見えない。ガタイのいい男同士が、じゃれ合う光景を前に、一星はひどくうらやましくなる。


「それじゃあ、そろそろ、私はこの酔っ払いを連れて帰ります。みなさん、すみませんでした……。せっかくの家族団らんの時間に、突然お邪魔をして……。すっかりお騒がせしてしまいました……」


 烏丸はそう言うと、太郎と雅に向かって、深く、丁寧に頭を下げる。すると、太郎と雅は、急にそろって頬を赤らめ、柔らかな笑みを浮かべた。


「いいえー、こっちこそ。おふたりが幸せそうで、よかったです。ね、太郎さん」

「そうだね。僕らのことも、先生には温かく見守ってもらってるわけだし、これからもひとつ、よろしくお願いします」


 え――?


 太郎の言葉に、落ち着きかけていた一星の心臓が、再びバクンッと跳ねた。烏丸に、この家の内部事情を話した覚えはない。そういえば、彼はこの家にやってきて、一星と風太を見ても、さほど驚いたりはしなかった。てっきり、猛が事前にメッセージで、一星の家に風太がいることを伝えていたのだろうと思ったが、そうだとしたって、なにも知らない烏丸が、この状況を今、「家族団らん」と呼んでしまうのは妙だ。


 もしや、彼は知っていたのだろうか。突飛な再婚話と同居生活。そして、一星と風太の関係も。


「父さん……。雅さんとのこと、先生に話してあったの?」

「担任の先生には、先週、風太くんの住居変更の届けを、ちゃんと出しておいたよ。でも――」

「あー……、ごめんなさい。それ、先にヤチさんに話しちゃったのは、僕。一応、相談もねてね……」


 申し訳なさそうに手を挙げて、そう答えたのは猛だった。一星はさらにく。


「いつ?」

「風太くんが倒れたって、ヤチさんから連絡が来た日の夜だよ」


 わりと、初期じゃねえか……!


 一星が風太と決闘したのは、始業式から数日後くらいのことだったはずだ。――おそらく、あの日の夜、猛は再婚話や同居計画が着々と進められている状況を危ぶみ、烏丸に相談したに違いなかった。


「じゃあ、先生はけっこう前から知ってたんですね。俺らのこと」

「あぁ、まあな……。そもそも、ふたりのことは、クラス担任からも、ちゃんと報告を受けているよ」

「そうだったんですか……。でも、だったら、なんか言ってくれればよかったのに――」

「あのー……、すんません……」


 不意に、会話をさえぎるようにして、風太が申し訳なさそうに手を挙げた。すぐに猛が「はい、風太くん」と答えると、風太は静かに立ち上がる。ここまで、ずっと黙っていたのに、もう、ほとんど話が終わって、烏丸と猛が帰ろうか、というときになって、風太がなにを言い出すのか、一星には想像がつかない。そのせいで、少しだけ緊張した。


「よくわかんねえんすけど……、その、猛さんと先生が、恋人同士ってことは……、ふたりは、前から、女じゃなくって、男が好きだったってこと、なんすか……?」


 その語尾がかすかにふるえているような気がした。視線を誰とも合わせたくないのか、あえてそうしているのかはわからないが、風太の視線は今、どこでもない宙を見ているようでもあり、焦点の合っていないような感じもする。


 もしかしたら、彼は情報処理をしきれないで、ちょっとしたパニックになっているのかもしれない。だが、動揺も、混乱もしながら、それでも必死に猛と烏丸を理解しようと、言葉を選んでいる。それは、一星だけではなく、その場にいる全員が気付いているはずだ。しばらくの間、沈黙が続いたが、やがて烏丸が、静かな声で話し出した。


「風太、オレはな、べつに男が好きだから、コイツを選んだんじゃないんだよ」

「え……」

「うまく伝わるかどうか、わからないけど……。オレは人間として、神崎猛にれてるんだ。コイツを尊敬してるし、信頼もしてる。相棒はコイツ以外には考えられないと思ってる。ただ、男だったんだ。オレにとっては、それだけだった」

「男だった、だけ……」

「うん。フツウじゃないのはわかってるし、それがものすごくめんどくさいってことも、知ってる。どんな法律ができたって、オレたちみたいなのは、少数派だ。みんなにわかってもらおうなんて、そんな期待もしてない。それでも、オレが一緒に生きる相棒がいるとすれば、それは猛しか考えられないんだよ」


*** 




  烏丸が猛への想いを風太に話し終わったあと、猛は突然、号泣しはじめ、太郎と雅は拍手喝采かっさいをふたりに送った。猛はおいおい泣きながら、源家の箱ティッシュをかかえ、烏丸に首根っこをつかまれて、引きずられるように帰っていった。一星はリビングを片付けたあと、ひとり、家を出て、海辺へ向かう。まだ気持ちが高揚して、寝る支度などできそうになかった。


 猛さんの恋人が、烏丸先生だったのには、本気でビビったけど……。でも、おかげでハッキリした。


 風太への想いをつのらせながら、一星は、ずっと白河の言葉に引っかかっていた。風太を幸せにしたいと思っても、それが風太にとっての幸せに繋がっているのかはわからない。そもそも、男同士で好き合って、生活する幸せというものが、どういうものかもわからず、漠然ばくぜんとした「幸せ」という言葉にも、口にするたび、違和感を持っていた。


 それが本当はなにかもわからないで、ただ、正解を知っているだけで、口にしているような感覚があった。だが、今日。あのふたりを見て、はっきりと自覚している。一星は、あのふたりのようになりたいのだ。風太と。あんな関係を築き、笑い合えるようになりたい。それが、本心だと理解していた。


 あの人たちが、俺の目標だ……。俺も……、風太とああなりたい……っ!


 身近に手本がいるのは、心強い。北極星を目指す旅人のように、決して、目標を見失わずに、ひたすらにそこを目指せば、必ず辿り着ける。今は、そんな気がしている。一星は軽い足取りで、海岸沿いの道を歩き、走り抜けていく車が途切れるのを待って、道路を渡る。そうして、海岸へ続く階段を見つけ、下りていく。ふと、見上げた夜空には、丸い月が煌々こうこうと輝いていた。


「おーい、一星!」


 ちょうど、その時。背後から、追いかけてくる声がして、一星は振り返る。見れば、風太が駆けてくるのが見えた。

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