「なんで、白河先輩のとこなんて行くんだよ! 勉強だったら、俺が見てやるって言ってんのに!」
リビングに一星の
「ビックリしたぁ……。急に怒鳴るのやめてくんない?」
太一の声で、一星はハッとした表情になり、しまった、とばかりに目を
「いや、べつに今日、これから行くわけじゃねえんだって。明日行くのー」
「明日だって一緒だ。わかんないところがあるんなら、わざわざあの人のところに行かなくたって、俺に
「わかってるって。でも、先輩が教えてくれるっていうんだから、ちょっと甘えたっていいだろーよ。それともなんだ、おれはお前以外の誰かに勉強教わっちゃいけねえっつーのか?」
「そういうことは……、言ってない」
「だったら、文句ねぇよな」
「あのさぁ、ふたりとも……。ケンカすんなら、オレ帰るけど――」
その瞬間、風太は太一の腕をガシッと
「ったく……、息はピッタリなのに、なんでこうなんだか……。オレ、ちょっと飲み物買いに行ってくるから、帰ってくるまでに仲直りしといてよー」
「言っとくけど、おれは謝らねえからな。なーんにも悪いことしてねえし!」
「あぁ、そうかよ」
風太の言葉に、一星はそう返しただけで、何事もなかったかのように、また数学の予想問題を解き始めている。その姿に、風太はまったく頭にきてしまったが、同時に一星の気持ちがわからないことに、
なんだよ……、イライラすんな……。
風太はこれまで、ライバルだから。嫌いだから。気が合わないから。そんな理由で、いつだって一星に張り合っては突っかかっていた。だが、今は変わったのだ。一星がなにを考えていて、どうしたいのか。風太になにを望んでいるのか。それを知れば、必ず分かり合えると信じるようになった。
たとえ、考えや価値観の違いがあっても、彼に歩み寄り、その気持ちを理解したいと思うようになったし、彼という人間を、もっと知りたいと思うようになった。それは、一星が風太にとって、ただのムカつくライバルではなく、大切な家族になったからだ。
同居生活はまだひと月ほどだが、一星とはそれなりに濃い時間を過ごしている。風太はそう感じている。けれど、一星はどうなのだろう。一星は、風太の気持ちを理解しようという気持ちがあるのだろうか。風太はわからなかった。
おれは、一星をわかってやりたいと思う。ライバルとして、ひとつ屋根の下で過ごす家族として、もっと大切にしたいと思う。でも、一星はおれをどう思ってるんだろう……。
「一星……」
「……なに」
「おれはさ、お前にとって、なんなの?」
「え……?」
「このひと月、この家で暮らして、おれにとってお前は、家族になったよ。お前のことは、大事だと思ってる。でも、なに考えてんのか、たまに本当にわかんねえんだよ……。わかりたいと思ってさ、おれもいろいろ考えるけど、お前はいつもよくわかんねえことで怒って、肝心なことは言ってくんねえじゃん。合宿のときに言ってた、先輩のことも、結局なんだかわかんねえままだしさ……」
力なくそう言うと、一星はやっと手を止めて、しっかりと風太を見た。それから、静かに言う。
「話してわかってもらえることなら、もうとっくに話してるよ。でも、そうじゃないから、カンタンには話せないんだろ」
「なめんなよ……。おれは、勉強はできねえけどな、人の気持ちがわかんねえようなバカじゃねえんだぞ!」
お前には話したってわかるはずがない。そう言われたような感覚に、思わず風太はそう言い返す。だが、一星は顔色を変えず、ため息混じりに「あぁ、そうかもな……」と、言っただけで、また風太から目を
「おい、一星。またお前よ、そうやってはぐらかそうとしてんだろ。言いたいことあんなら話せよ。おれ、ちゃんと聞くから」
この機を逃がすわけにいかない。今日、ここでまた、うやむやのままになれば、風太はまた不機嫌な一星のことで、
「合宿の夜、白河先輩に近づくなって言ったのは、俺の身勝手な願望だ。その……、悪いとは思ってる。だけど……」
「だけど……? なんだよ」
「俺はお前を、あの人にとられたくないんだよ……」
「とられたくない……?」
なんだよ、それ……。どういう意味だ……?
一星の言葉を何度も
「……なんで?」
「なんでって、お前……。そこまで言わなきゃわかんねえのかよ!」
「わッかんねえよ! だって……、なんでお前がおれにそんなこと――」
「たっだいまー!」
ちょうど、その時。玄関のドアが再び開いた音と同時に、太一の声が響いた。風太はビクッとして、肩をすくめる。見れば、一星も風太と全く同じ反応をしていた。彼は風太と目が合うと、途端に咳ばらいをして、まだ半分ほどしか減っていないグラスを持って立ち上がる。
「おうおう、ふたりとも。ちゃんと仲直りしたかよー?」
「……した」
「えらーい!」
一星が答えたのを聞いて、太一は満面の笑みで返すが、風太はそれどころではなかった。一星の言葉が、脳内を駆け巡り、一気に混乱してくる。
――あの人に、お前をとられたくない。
大丈夫。意味は分かっている。しかし、なぜ、一星がそんなふうに思うのか、風太は見当もつかない。仮にそれがヤキモチだとしても、いったいなんのヤキモチなのか、理由が見つからなかった。
「おい、一星……。今の、もうちょっとわかるように説明して――」
「悪いけど、もう時間切れだ」
「えっ、じ……、時間切れ?」
「続きは……、またあとで話すから……」
一星はそう言うと、途端にかあっと頬を赤らめて、グラスを持ったままキッチンで麦茶を並々と入れ始めた。その表情は明らかに
「えっとー……、もしや、オレ……、なんか間が悪かったかんじ?」
「いや。ちょうどよかったかんじ」
一星が答え、太一はホッと息を
風太は気のない返事をして、ひとり、大混乱状態のまま、英単語表を開く。そうして気を取り直し、再びテスト勉強を続行してみる。しかし、言わずもがな。英単語はまったくひとつも、頭には入ってこなかった。