目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

11ー3

「なんで、白河先輩のとこなんて行くんだよ! 勉強だったら、俺が見てやるって言ってんのに!」


 リビングに一星の罵声ばせいが響き、途端に目の前で、太一がビクッと肩をふるわせ、目を丸くする。


「ビックリしたぁ……。急に怒鳴るのやめてくんない?」


 太一の声で、一星はハッとした表情になり、しまった、とばかりに目をつぶった。たぶん、感情的になってしまったと気付いたのだろう。ここに太一がいてくれたのは幸運だったかもしれない、と思いながら、風太は口を尖らせる。


「いや、べつに今日、これから行くわけじゃねえんだって。明日行くのー」

「明日だって一緒だ。わかんないところがあるんなら、わざわざあの人のところに行かなくたって、俺にけば済む話だろ。前にもそう言ったはずだぞ」

「わかってるって。でも、先輩が教えてくれるっていうんだから、ちょっと甘えたっていいだろーよ。それともなんだ、おれはお前以外の誰かに勉強教わっちゃいけねえっつーのか?」

「そういうことは……、言ってない」

「だったら、文句ねぇよな」

「あのさぁ、ふたりとも……。ケンカすんなら、オレ帰るけど――」


 その瞬間、風太は太一の腕をガシッとつかむ。同じタイミングで、一星も太一の腕をつかみ、立ち上がろうとする彼を強引に座らせた。


「ったく……、息はピッタリなのに、なんでこうなんだか……。オレ、ちょっと飲み物買いに行ってくるから、帰ってくるまでに仲直りしといてよー」


 つかまれた両腕をやや強引に振り払い、太一は財布を持って立ち上がる。そうして、一星と風太を見て、あきれ顔でため息をらし、リビングを出て行った。ほどなくして、玄関のドアがバタン、と閉まった音が聞こえると、風太は、ちら、と一星に目をやる。すると、まったく同じタイミングで、一星と目が合った。風太は慌てて、そっぽを向く。


「言っとくけど、おれは謝らねえからな。なーんにも悪いことしてねえし!」

「あぁ、そうかよ」


 風太の言葉に、一星はそう返しただけで、何事もなかったかのように、また数学の予想問題を解き始めている。その姿に、風太はまったく頭にきてしまったが、同時に一星の気持ちがわからないことに、苛立いらだっている自分にも気付かされていた。


 なんだよ……、イライラすんな……。


 風太はこれまで、ライバルだから。嫌いだから。気が合わないから。そんな理由で、いつだって一星に張り合っては突っかかっていた。だが、今は変わったのだ。一星がなにを考えていて、どうしたいのか。風太になにを望んでいるのか。それを知れば、必ず分かり合えると信じるようになった。


 たとえ、考えや価値観の違いがあっても、彼に歩み寄り、その気持ちを理解したいと思うようになったし、彼という人間を、もっと知りたいと思うようになった。それは、一星が風太にとって、ただのムカつくライバルではなく、大切な家族になったからだ。


 同居生活はまだひと月ほどだが、一星とはそれなりに濃い時間を過ごしている。風太はそう感じている。けれど、一星はどうなのだろう。一星は、風太の気持ちを理解しようという気持ちがあるのだろうか。風太はわからなかった。


 おれは、一星をわかってやりたいと思う。ライバルとして、ひとつ屋根の下で過ごす家族として、もっと大切にしたいと思う。でも、一星はおれをどう思ってるんだろう……。


「一星……」

「……なに」

「おれはさ、お前にとって、なんなの?」

「え……?」

「このひと月、この家で暮らして、おれにとってお前は、家族になったよ。お前のことは、大事だと思ってる。でも、なに考えてんのか、たまに本当にわかんねえんだよ……。わかりたいと思ってさ、おれもいろいろ考えるけど、お前はいつもよくわかんねえことで怒って、肝心なことは言ってくんねえじゃん。合宿のときに言ってた、先輩のことも、結局なんだかわかんねえままだしさ……」


 力なくそう言うと、一星はやっと手を止めて、しっかりと風太を見た。それから、静かに言う。


「話してわかってもらえることなら、もうとっくに話してるよ。でも、そうじゃないから、カンタンには話せないんだろ」

「なめんなよ……。おれは、勉強はできねえけどな、人の気持ちがわかんねえようなバカじゃねえんだぞ!」


 お前には話したってわかるはずがない。そう言われたような感覚に、思わず風太はそう言い返す。だが、一星は顔色を変えず、ため息混じりに「あぁ、そうかもな……」と、言っただけで、また風太から目をらしてしまった。そうして、手元のプリントに目を落とす。だが、風太はめげない。立ち上がり、一星に近づいて、彼の視界に無理やり入るように、彼の隣にしゃがみ込んだ。


「おい、一星。またお前よ、そうやってはぐらかそうとしてんだろ。言いたいことあんなら話せよ。おれ、ちゃんと聞くから」


 この機を逃がすわけにいかない。今日、ここでまた、うやむやのままになれば、風太はまた不機嫌な一星のことで、悶々もんもんとさせられるに違いない。一星は風太を見つめながら、なにやら難しい顔をしていたが、やがて諦めたようなため息をくと、ゆっくり話し出した。


「合宿の夜、白河先輩に近づくなって言ったのは、俺の身勝手な願望だ。その……、悪いとは思ってる。だけど……」

「だけど……? なんだよ」

「俺はお前を、あの人にとられたくないんだよ……」

「とられたくない……?」


 なんだよ、それ……。どういう意味だ……?


 一星の言葉を何度も反芻はんすうして、頭を巡らせてみる。だが、やはりイマイチ理解ができなかった。とられたくない、というのは、つまり、ヤキモチ――ということだろうか。しかし、どうして風太にヤキモチを焼くのか、考えてもその理由がわからなかった。それを言うなら、逆ではないのだろうか。風太はぱちぱちと目を瞬きをして、首をひねる。


「……なんで?」

「なんでって、お前……。そこまで言わなきゃわかんねえのかよ!」

「わッかんねえよ! だって……、なんでお前がおれにそんなこと――」

「たっだいまー!」


 ちょうど、その時。玄関のドアが再び開いた音と同時に、太一の声が響いた。風太はビクッとして、肩をすくめる。見れば、一星も風太と全く同じ反応をしていた。彼は風太と目が合うと、途端に咳ばらいをして、まだ半分ほどしか減っていないグラスを持って立ち上がる。


「おうおう、ふたりとも。ちゃんと仲直りしたかよー?」

「……した」

「えらーい!」


 一星が答えたのを聞いて、太一は満面の笑みで返すが、風太はそれどころではなかった。一星の言葉が、脳内を駆け巡り、一気に混乱してくる。


 ――あの人に、お前をとられたくない。


 大丈夫。意味は分かっている。しかし、なぜ、一星がそんなふうに思うのか、風太は見当もつかない。仮にそれがヤキモチだとしても、いったいなんのヤキモチなのか、理由が見つからなかった。


「おい、一星……。今の、もうちょっとわかるように説明して――」

「悪いけど、もう時間切れだ」

「えっ、じ……、時間切れ?」

「続きは……、またあとで話すから……」


 一星はそう言うと、途端にかあっと頬を赤らめて、グラスを持ったままキッチンで麦茶を並々と入れ始めた。その表情は明らかに仏頂面ぶっちょうづらで、どこか苛立いらだっているようにも見える。風太はそんな彼をぽかんと見つめながら、もう一度、首をかしげ、元の場所に戻り、座り直した。すると、そのやり取りを黙って見ていた太一が表情を引きつらせてく。


「えっとー……、もしや、オレ……、なんか間が悪かったかんじ?」

「いや。ちょうどよかったかんじ」


 一星が答え、太一はホッと息をいている。だが、すぐにこの空間に漂う、奇妙な雰囲気に気付いたのかもしれない。彼は、どこか疑うような目で一星を見ながら、風太にこそっと「ねぇ、ほんとに仲直りしたの?」といた。


 風太は気のない返事をして、ひとり、大混乱状態のまま、英単語表を開く。そうして気を取り直し、再びテスト勉強を続行してみる。しかし、言わずもがな。英単語はまったくひとつも、頭には入ってこなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?