あのやかましい女と知り合って早一ヶ月。
俺の事を知りたいと言っていた女はそれを有言実行するかのように、それはもう毎日のように会いに来た。あいつの住んでいるアルストレーラ領が隣の領地なせいで。
鬱陶しい事この上なかったが、一応婚約者という立場である為か、お袋も拒もうとする事はしなかった。
むしろ俺に、婚約者として見ることは出来なくても対等の立場の良き友人として接するようにだなんだと言ってくる始末だ。
そしてこの女、ライベルが言っていたように本当に男受けがいいらしく、屋敷で働く使用人連中がこっそり見に行くレベルだ。
単なる噂だと思ってたのに。
『だから言ったじゃないですか。実際ものすごくカッコイイ令嬢様ですよ? あの方は人気者ですから、今の坊ちゃまの状態を考えると侯爵様も婚約をあまり押し進めていないのかも知れません。間違いなくその界隈で騒ぎになりますから』
『じゃあお前もファンになったのかよ? 俺はどうもその感性がわからねえんだよ』
『いえぼくはそれほどでも……、カッコイイなぁって思いはしますが。でもメイドの子達はみんな裏で毎日キャーキャー騒いでますよ』
『俺は毎日近くでギャーギャー騒がれてるがな』
とにかくそういう訳だ。
何かにつけて俺に絡んで来て、休まらない毎日だったぜ。
「しっかし記憶喪失だとは言うがこうまで性格が変わるなんてね。前のキミとくれば自分よりも弱い立場の人間を見ると意地悪するような、それは悪辣な性格をしていて、正直貴族としての気品を疑うような人物だった。それでいてボクには理由を付けては会いに来ようとするんだ。プレゼントを持ってね。ただどうもセンスが合わないというか……断ってはいたのだけれどね」
「あぁ、よりによってお前にセンス云々言われるとは相当だな。安心しろ、今の俺はもうお前と関わりたいと思わないからもう会いに来なくていいぞ」
「だがしかし! 今のキミとなら仲良くしたいと思うのがボクなんだな。言葉も仕草も随分と粗野になってしまったけれど、その心は正しく光輝いて見える。この輝きは品行方正を友としてきたこのボクに匹敵するレベルだと誇っていい程だよ。誇っていいよ」
「結構」
そんな会話をしている俺達は、とある場所に向かって馬を並走させている。
最近上達してきた馬術の慣らしを兼ねて、お袋から領地内を見て来いと言われた。
それを聞いた時は喜んだ。町までの移動こそ許されていたが、人間というのは欲が出るものでもっと遠くを見ておきたいと思っていたからだ。
『最近馬術の方も頑張ってるって聞くわ。とはいえ分かっているとは思っているけれど……勿論貴方一人で行っては駄目よ』
『あんまり分かりたくないって言ったら? ……駄目か』
『そう駄目。あまり言わないわがままだけど、こればかりは、ね』
『じゃあコセルアと……』
『あまり彼女を連れ回されると困るわね。本来貴方の専属騎士ではないもの』
『ならライベル……』
『残念ね。あいにくとその日は彼の休暇と重なってるわ。偶にはゆっくりさせておきなさい。それに、そもそも彼は侍従であっても護衛じゃないわ』
『じゃ俺に誰と行けってんだ?』
『彼女がいるでしょう? 最近は友人としても過ごしているそうじゃない』
『……アンタ、嵌めたな俺を』
『……何のことかしら? 彼女は騎士としての訓練を幼い頃から積んでいるから適任なだけよ』
何てやりとりを乗り越えて、いやいやながら並走する事になって一時間程だ。
山を一つ上った先に――目を見張る程の雄大な果樹林が広がっていた。
思わず口笛を吹いてしまう程、それは広大で、そして豊かだった。
斜面に立った木々が日の光を浴び、そして春の気候が育てた青々しい葉とその隙間からの鮮やかな色が遠くからでも見て取れる。
「今のキミが見るのは初めてだったね? そう、あれこそが王国の食糧庫の一つとまで呼ばれるこの領地が誇った果樹林さ。もう少し南にいくとサトウキビの取れるこれまた広大な畑があるんだ。よく覚えておくといいよ」
「そうだな、いいもんを見た。ぶどう……じゃねぇな」
「ぶどう畑は完全に逆方向だね。北方でもかなり他領地沿いにあるから、ここからだと一日じゃつかないよ。ボクもあのぶどうは好きなんだ。我が家の大人達はみんなキミのところで作られたぶどう酒がの虜なんだけれどジュースにしても芳醇で……スイーツにしてもジェントルから人気が高く、いやあ今が収穫時期じゃないのが残念なくらいだよ」
「わかったわかった。じゃあありゃあ……」
「そういえば南方には他にも収穫時期じゃないけど桃の畑があるんだ。これがまたみずみずしい! 山の恵みともいうべき栄養価の高い地下水を用いたそれは、人齧りするだけで」
「……聞いてねぇし」
相変わらず勝手に喋り続ける。何が楽しくてその舌はべらべらと回るんだか。
ライベルから聞いた話だと、お袋の領地は北と南で結構気候や土壌に違いがあるらしく、それで色んな果物やら野菜やら作れるらしい。
こいつが言ったように国の重要な食料産業に食い込んでいるんだとか。
細かい事は……ま、別に今はいいか。
俺達は馬を走らせ、その果樹林へと向かう。
山道を越えた先には草原が見えていたが、元々都会生まれの俺にはいまだ慣れない光景で新鮮で、はっきり言って嫌いじゃない。
一人煩いのが着いて来てなかったら、寝転んで空やら地平に広がる草を眺めているだけで一日使ってもいいと思えるくらいだ。
本当にそんな日がいつか来るか……? 誰にも気を遣わないで一日過ごす日が。
今の俺になって三ヶ月。はっきり言って、未だに俺は本当の意味で自分本位に生きるって事が分からないでいた。
他人の言いなりにならないって事なら何となく見えている。
だが、自分の為の生き方っては結局どこまでが為ってのを指すのか……見通しがまるで立ってない。
(焦ってるのかも知れない。生きる目的すらねぇ男が一丁前に何悩んでんのかって話だが……)
人生の問答にアレコレ悩む歳じゃないとは思うが、前世の最期があんまりだったからか頭にこびりついて離れない。
「っ……」
思わず顔をしかめる。悩んでるからじゃない、こういう事を考えると決まって頭が痛くなるからだ。だったら止めろって話だがそれも出来ない。
「あ、止まりたまえ!」
不意にアルストレーラが声を上げた。
それに倣って馬を急停止させる。
「キミはどうしたと思うだろうが――どうやらよくないお客さんが現れたようだ」
馬から降りて山の茂みを凝視するアルストレーラの姿に、不吉なものを感じた。
腰から剣を抜き、構える姿は様になっている。
お袋はこいつが騎士としての訓練を受けてきたと言っていたが、どうやら本当にそうらしいな。
日中だって言うのに仄暗い木々の奥から騒めきが起こったかと思うと、そいつは現れた。
「グルルルルッ……」