「……事件、って?」
「タイラ氏ノ出張ガアッタ。ソノ日ヲ狙ッテ、ワタシと夫人ハ、氏ノ部屋へ忍ビコンダ」
「その部屋って、もしかして……」
「ココダ。ソノトキハ、
ティファニーに向けられていた視線が滑り、周囲を見回すような動作が続く。
つられるように、ティファニーも改めて辺りへ目を巡らせた。
体に力は入らなかったが、鎮痛剤のおかげで息もできなかった激痛は鈍い痛みに変わっていた。
室内は、思った以上に広かった。
倉庫、という趣が強く、壁の一角に、天井まである棚が寄せられ、保存食や日用品といったパッケージが目に付く。それらの棚を移動させて設えたのだろうか、残る壁際はガラス戸のある、金属製の戸棚が埋めている。
自分の守備範囲ではないものの、チームメイトであるブランドンの自室で似たような棚を見たことを思い出した。
(たしか、フィギュアケース、っていうんだっけ)
ブランドンのフィギュアケースと異なるのは、こちらのほうが空きが多いという点だった。
びっしりとコレクションが並べられていたチームメイトのケースと違い、ここの棚は空白が目立っている。
「大勢いたって……もしかして、スペクター?」
「アア。オゾマシイ光景ダッタ」
「うそっ……。どうして、タイラさんはそんなことを……? 待って。そもそも、どこからそんな人数のスペクターを連れてこれたの?」
「氏ノ考エハ、ワカラナイ。ダガ、オマエタチレンジャーナラ、思イ当タル節ガアルンジャナイノカ?」
「……まさか、
カシーゴ市街を見下ろす丘の上、その高台に燦然と聳え立つ、六角形の巨大建築――カシーゴ・
この街の威療士たちの司令本部であり、24時間体制の通信指令室には、数十名のオペレーターが詰めている、総本山と呼ぶべき場所だ。
枝部には、威療士たちの装備を整備するピットエリアを始め、さまざまな施設が併設され、その中には、涙幽者を収容する区画もあると、ティファニーは聞いた覚えがあった。
(だけど、ネクサスに搬送されるスペクターは、クラス2以上だったはず……)
通常、メディカルセンターに搬送が義務付けられているのは、クラス1の涙幽者だ。このクラスの涙幽者は、限定的な
一方、広範な能力や、危険性の高い能力を持つ涙幽者は、クラス2以上とされ、枝部の専用区画へ収容される。
専用区画への出入りは厳しく管理され、チームリーダー以上でなければ威療士であっても、立ち入りを許されない。そのため、ティファニーたち一般威療士の間では、その存在が都市伝説扱いされ、冗談の種になっている傾向があった。
「あり得ないわ! ネクサスからスペクターを連れだすなんて、絶対むり」
「彼ラガドウヤッテ来カハ、問題ジャナイ。氏ニハ、ソレガデキル権限ガアッタ。ソレダケノコトダ。アノ方ハ、高イポジションニイルノダロ?」
「ネクサスの事務官は、たしかに私らより立場は上だけど……」
威療士の仕事は、チームプレイだ。
それは現場に出る威療士チームだけを指すのでなく、メディカルセンターや枝部のスタッフも当然、含まれる。
前者は負傷者の治療を、後者は威療士のサポートを担う、というようにだ。
さらに枝部は、威療士制度そのものを維持するための、行政機関としての側面も併せ持つ。いわゆる
だから正直、ティファニーにはよくわからないジャンルだったし、あまりよい印象もない。
(面接で落としてきたの、いつもスーツ組だったし。現場に出もしないで、威張り腐っちゃって)
だが、彼らが一定の地位を築いていることは知っていた。
アシュリーはよくチームに対し、「媚びる必要はまったくありませんが、事務官とはまあまあの関係を保ってください。彼らの機嫌を損ねると、ただただ面倒ですので」と言っていた。アシュリーがそう言うなら、ティファニーとしてはただそう努力するだけのこと。
もっとも、「事務官の相手をするくらいなら、僕は喜んでスペクターを選びますよ」とも、チームリーダーは言っていたが。
「タイラ氏ハ、日頃カラ、『ドレスコードダケデハ、スペクターニ対処デキナイ』ト、仰ッテイタ。子ドモタチニヨク、言ッテイタ。『オマエタチガ大人ニナル頃ニハ、
「だからスペクターを人形に変えたっていうの?! しかもトゥルー……息子の手をつかって?」
思わず大きな声を出しそうになって、慌てて押し殺す。幸い、トゥルーはまだ、部屋の端で人形ごっこに夢中なようだった。
「氏ノ考エガ何デアレ、トゥルーニサセタコトハ、間違ッテイル。――ダガ、オカゲデ、ワタシハ助カッタ」
「……助かった?」
「言ッタダロ。アノ日、事件ガ起キタト。タイラ氏ハ、予定ヲ切リ上ゲテ、オ帰リニナッタ。鉢合ワセシタ夫人ハ、氏ヲ激しく責メテイラシタ。息子ヲ、道具ニシテイルト。――ソシテ、夫人ハ、“染マッテ”シマワレタ」