足元に転がったコンクリートの破片をつかみ、
見た目は何一つ変わらないが、これで、この無機質な瓦礫は、栄養満点の食べ物に様変わりした。
そうして、自分を串刺しにせんと迫る無数の木枝を、桁違いに軽く感じる体を捻って回避し、枝が生えてきている顕現元――タイラへ引き戻されるベクトルを最大限に活用すべく、空いた片手で枝を握り込む。
直前、〈ギア〉からは【対象の推定完全代謝時間まで、残り3分56秒】という、〈ドレスコード〉のタイムリミットが告げられており、アシュリーの背を急かしてきていた。
「早食いは、あんまり健康的とはいえないんですけど、ねッ!」
「――――」
「痛いときは痛いって、言ってくださいよ?」
着用者の過負荷を防止するための、〈ユニフォーム〉の
それを解除した今は、
身体強化の
この、複数の
(反動は大きいですが……っ)
複数の
今や、タイラは完全に反転感情へ染まりきり、その全身から幾多もの枝を生やしながら、滂沱の涙を流す典型的な涙幽者と化していた。
アシュリーにとって幸いなのは、タイラの体躯が未だビークルの中にあるという点だ。
とうに、木枝によって蜂の巣にされているビークルだが、運転席部分はかろうじて原型を保っている。おそらく、涙幽者化による肥大化によって脚が挟まっているのだろう。おかげで、タイラの体躯はほとんど固定されているといっていい。
(もしかして、事務官は最初からこれを狙っていた……?)
眼前に迫ったタイラの表情からは、何も読み取れない。激怒と祈り、その双方の表情が入れ替わり立ち替わり、浮かぶだけだ。そして体は、先から変わらず、周囲へ破壊的な枝攻撃を撒き散らかすだけだ。
もし、完全な涙幽者化によって自己を消失しているとしたら、まだいい。
このまま、その心臓に〈ハート・ニードル〉を突き立て、
対象は深い眠りの底へと落ち、破壊は完全に収まる。再び目覚めるかどうかは、彼自身の
(子を愛するあまりスペクター化した……というには、無理がある話ですね)
正確に涙幽者の救命を実行するためには、ただ目の前に見えているものだけを考えていては足りないことが多い。必要以上の感情移入は禁物だが、これから救命する相手の“想い”を、少しでも推し量るべきだというのが、アシュリーの信条だった。
(タイラ事務官が言うとおり、ご子息がスペクター化していて、強力なユニーカの持ち主だとすれば……これは時間稼ぎ、ですかっ!)
そう推測を立てれば、辻褄が合う。
先刻の、ティファニーの負傷通知。あれはおそらく、タイラの息子によるものだろう。
タイラの言葉が気に掛かるところだが、既にサマンサを応援に向かわせた以上、彼女たちを信頼するのがリーダーとしての務めだ。それに、救助艇にはエドゥアルドが控えている。同じくティファニーの負傷通知を受けとっているはずだから、一目散に向かっていることだろう。
ガレージの外では、マイクとデレクが外部へ侵出した枝の対処にあたっている。
見事、チームが“釘付け”にされている状況であることに気が付いて、アシュリーは、すうっと汗が引いていくのを感じていた。
(まさか?!)
「――――」
引き戻された太枝から、朽ちかけているビークルのルーフへ、飛び移る。
が、その判断が甘かったらしく、アシュリーの足は盛大に屋根を踏み抜いていた。
「しまっ――」
片手に瓦礫、もう一方に〈ハート・ニードル〉を握った状態ではさすがに動けなかった。
弾丸をも弾く〈ユニフォーム〉が、容易く貫かれる音が聞こえた、と思ったときには、自分の骨が砕かれる鈍くおぞましい音が耳の奥に届いていた。
そうして、激痛を感知するよりも早く、けたたましい警告を〈ギア〉が視界へ浮かび上がらせていた。
【――警告。複数の反転感情波を検知。二体以上の涙幽者出現可能性あり】