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見えない脅威

 ――その夜は、アキラ・レスカ威療士が率いるチーム〈ファイア・マカロンFM〉のパトロール当番だった。


『――レンジャーチーム〈FF〉、こちら、ネクサス』

「ネクサス。FFリーダー、アキラ・レスカだ。きょうはチーフが担当かい。コイツぁ、身が締まるねえ」

『オペレーター席に座れば、皆が一介のオペレーターですわよ』

「あいよ。で、通報だな?」

『ええ、いま座標を送りましたわ』

「……クックムだ? こんな時間に倉庫で何やってんだよ。若いやつらのドンチャンか」

『あいにく、CASから状況が伝わってきていませんの』

「そいつぁ、どういうこった?」


 パトロール中に受信した、市内有数のほとんど自動化された倉庫が密集する地区から寄せられた、通報。

 オペレーターから告げられた予想外の言葉を耳にしながら、救助艇の機内でアキラの薄い眉が中央に寄っていた。

 ここカシーゴ・シティには、反転感情を計測する自動通報装置エモ・アラームが、街の至る所に設置されている。

 旧来の監視カメラと異なり、人物の感情係数に特化したエモ・アラーム・システムならば、プライバシーに配慮しつつ、涙幽者の出現をいち早く検知できる。

 そんなCASは、統合データーベース〈ミーミル〉の管理下にあり、厳重なセキュリティとメンテナンスを欠かさないと聞く。

 つまり、“状況が伝わらない”ということは、本来ならあり得ないことだった。


『座標のCAS5台で、複数のセンサが同じ係数の個体を検知しているのですが、〈ミーミル〉にもデータがありませんのよ。しかも近い数値、などというものではありませんわ。完全に同一ですわ』

「そいつぁ、変だよな。インデックスは、DNAみたいなもんで全く同じヤツなんていないはずだろ?」

『ええ、比喩が少々、不正確ですが、そのようなものという認識で概ね間違いありませんわね。これではまるで、瞬間移動する幽霊ですわ』

「幽霊、かい。あんたがそういうの信じてるなんてな、オペレーター・カニンガム」

『幽霊とオカルトは別物ですわよ? エネルギーの結集として幽霊の存在は科学的に検証されていますし、理論上は物理的特性を持つことが証明されて――』

「へいへい、小難しい話は遠慮しとくよ。幽霊だろうがスペクターだろうが、アタシらが行って、様子を確かめる。スペクターなら〈ドレスコード〉して帰るし、機材トラブルならあんたに報告、だろ?」

『ええ、頼みましたわ。充分にご注くださいまし。この頃、〈ミーミル〉に記録がない、特異個体の出現が北米各地で報告されています。危険と判断した場合は、速やかに撤収を』

「ラジャー。通信終了オーバー

「隊長! ボク幽霊こわいっす」

「心配すんな、サイアム。なんかわかんねぇ幽霊より、牙むいて来るスペクターのほうがよっぽど怖えよ」

「"洟垂らし"、ウチの専門。みんなで命、救う」

「その通りだ、ヴィキ。アタシらは、命を救うレンジャーなんだ。いつも通り闘って、いつも通り勝つ……じゃなかった救命する。それだけだ。――そんじゃ、チームのために!」

「「「チームのために!!」」」


 †   †   †


「――ちっくしょうっ! どうなってやがる! ネクサス! 応援はいつ来る!」

『……通信、が………………いま……向かっ…………』

「リー、ダー……」


 絶え絶えの呼びかけが耳朶を打ち、アキラはノイズに塗れた通信機から思考を現実へ引き戻した。


「サムっ!? しっかりしろ! いま運んでやるからな!」

「急いで、アキラ。カバーしきれないっ」


 蒼く発光する〈ユニフォーム〉を纏うヴィキが、絶えず円を描いて高速移動する。

 それは彼女の個有能力ユニーカによるものだが、冷静沈着がトレードマークなその声に疲労と怯えが混じっていた。


「くそ……っ! なんだよあれ!」


 負傷したサイアムを手当てする間も、は出現と消滅を繰り返していた。ヴィキの反応のおかげで辛うじて食い止めているが、徐々に包囲が狭まっている。


「……コロ、す……レン、ジャー……ヒト、ゴロシ……」


 そうして擦れてひび割れた声が、怨嗟の言葉を繰り返していた。

〈ギア〉越しにも、アキラの目にも、は黒い巨躯の涙幽者にしか見えない。が、ひたすら破壊を振り撒く涙幽者と異なり、影たちは執拗にアキラたち


「船まで退避だ! ヴィキ、下がれ! ネクサス! 応答しろ! ……くそっ! 通信できねぇ!」


 担ぎ上げたサイアムが咳き込む音が聞こえ、次の瞬間、アキラは左肩に生温い感触を覚えた。


「すんません、リーダー……ボクのゲロ、が」

「しゃべんな! 絶対助けてやるからな!」


 潤んで歪んだ視界。種々雑多な〈ギア〉のアラートが、チームメイトの身の危機的状況を無機質に伝えてくる。

 それが他人事のように感じかけて、アキラは慌てて首を激しく振り払った。

 これは、現実だ。

 救命活動に出動した先で未知の涙幽者に遭遇し、不意打ちを受けている。通信が遮断され、応援を呼ぶこともできない。

 最優先すべきことは、ここを離脱することだ。


(〈ハート・ニードル〉が効かないスペクターなんかいんのかよ……っ!)

「――きゃっ」

「ヴィキっ?!」


 チームメイトの悲鳴が耳に届き、振り返ったアキラの視界にヴィキの姿が映る。

 それを突き立てた張本人――輪郭が朧気な涙幽者が、ぎょろりとこちらへ濁ったその双眸を向けてくる。

 そして、ニタリと口元を歪ませた。


「ヴィキをはなせッ!!」


 全身を熱いものが駆け巡っていた。

 アキラのユニーカはいわゆる支援型バフで、クルーがいなければ何ら攻撃性を持たない。が、支援していたクルーは、自分を除いて全員が倒れていた。

 ただ怖かった。

 夕食のときまでふざけあっていた仲間たちが、今は生死も定かではない状態で、周囲に伏している。

 なぜ、という疑問よりも、この状況を切り抜ける方法が思い浮かばない自分の愚かさに、アキラは気が狂いそうだった。

 威療士ならば、たとえ一人ででも脱出し、状況をネクサスに伝える。そうすることが、被害の拡大を抑える最良の方法だ。

 が、思考にその規則が掠めることもなく、アキラはただ、無我夢中でユニーカを自らに纏わせ、サイアムを担いだまま、ただ涙幽者へ突進した。


「――」


 刹那、重いが、閑散とした倉庫街に響いた。

 直後、残忍な笑みを浮かべていた涙幽者の顔が――ことに気が付き、アキラは呆然としてしまう。

 そうして、倒れかかるヴィキの身体を受け止めつつ、アキラは周囲を見回す。

 が、動くものは何一つ見当たらず、ただ弱々しいクルーの息遣いと、自身の弾けそうに速い拍動だけが、アキラの耳を打っていた。

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