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第50話 池の中

「マリア、町長さんの面倒を見てもらってていい?」

「構わないが、あんたはどうするつもりだい? まさかこのまま進むつもりかい?」

「相手の得体えたいが知れなさすぎるぜ。ここはいったん出直して、仕切り直した方がいいんじゃないか?」

「……ドリトス?」

「んぁ?」


 右手の人差し指をクイクイっと動かして、耳を貸せというジェスチャーをすると、呼ばれたドリトスが素直に右耳を寄せてきた。

 そこでヒョイっとドリトスの後方に回ったわたしは、ドリトスの尻を思いっきり蹴とばした。

 完全に不意を突かれたドリトスが、もんどりうって池に落下する。


「どわぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」

 ドッボォォォォォォォォォォン!!


「ちょ、エリン嬢ちゃん!?」

「あと頼んだわよ、マリア! ディフェンシニオス スパエラ(防御球体)!」

 ドボォォォォン!!


 わたしはマリアの焦る声を背中に受けながら、湯池に飛び込んだ。

 あっという間に球体のフィールドが発生し、わたしを包み込む。

 防御球体は下向きの水流をまとうと、急速に潜航した。

 水に落ちた――否、落としたドリトスを見つけるべく、球体の中から目を凝らす。


 えーっと……あ、いたいた。

「ガボゴボガボゴボ!!」


 水深数メートルのところでジタバタと水をいて水面を目指そうとしているドリトスの姿を発見した。

 わたしの作った下降水流に巻き込まれて溺れそうになっている。はっはー。


 球体を接近させたわたしは中から手を伸ばし、ドリトスの襟首を引っつかむとフィールドの中に引っ張り込んだ。


「ぶはぁ!! はぁはぁっはぁ。……おいお嬢! 何をして……くれ……てんだ……」


 余程苦しかったのか、ドリトスは防御球体の中で引っくり返ると、ゼーハーと荒い呼吸をしながら怒った。

 息が続かないようだが。


 とそのとき、わたしの知覚に、急速に接近しつつある巨大な何かが引っかかった。

 こんなものが池の中に自然発生するわけがない。ということは敵ということだ。

 わたしはドリトスの抗議を無視すると、手に持った短杖ワンドで宙に素早く魔法陣を描いた。


「汝、我がしもべよ、大気をまといてころもと成せ。アトモスファエリカ インドゥメンテス(大気の衣)!」

「おい! 誰がしもべだ!」


 出現した魔法陣は、わたしの振る短杖に合わせ球体フィールドの中を舞うと、仰向けのままぷんすか怒るドリトスの胸の辺りにピタっと貼りついた。

 少し休んで復活したドリトスが、上半身を起こして自分の胸を見る。


「あん? なんじゃこりゃ」

「空気の鎧よ。これで水中でも息ができるわ。大金出すんだからしっかり働いてよね! そぉら、行ってこぉぉぉぉいい!!!!」

「だわあぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!」


 わたしの蹴り一発でまたも球体から水中に放り出されたドリトスは、慌てて手足を動かした。

 と、そのすぐ脇を、高速移動物体が通りすぎる。


「な、なんだ!?」


 敵の存在に気づいたドリトスが真顔になって斧を構える。

 全長十メートルにも及ぼうかという蛇特有の長い身体。水蛇ストーシーだ。

 人間程度の大きさなら難なく丸のみにしてしまう。


 以前一度見たことがあるのだが、あの蛇のお腹の中をクッキリと外から分かる形で人間が移動していく様ときたら、もう完全に悪夢だ。


「待て待て待て。あれを俺一人で何とかしろって!?」

「魔法のおかげで水中でも普通に動けるでしょ? ついでにほら、こいつも! 武器強化テルマンプリミケーションネェム!!」

「おぉぉぉ、なんじゃこら! 斧が軽いぞ! こりゃ凄ぇ!!」


 ドリトスは水中であるにも関わらず、地上戦闘時とまるで変わらない身軽さで両刃斧をグルングルンと振り回した。

 暗い水中で、刃がまばゆく光り輝いている。


「うおぉぉぉ! これなら勝てる! 俺は強い! かぁかってこいやぁぁぁぁ!!」

 グギャアァァァァァァァァアァァアアアア!!


 両手で必殺の構えを取って待ち受けたドリトスは、急速接近する水蛇のアタックをすんでのところでかわすと、すれ違いざまに斬りつけた。

 水蛇の身体は相当に硬いはずだが、わたしのほどこした武器強化が効いているようで、斧がその強靭きょうじんうろこごと肉をスッパリと切り裂く。


 ギャギャギャギャギャァァァァァァァァアァアアアアア!!!!

「ドリトス、カッコいい! 頑張ってーーーー! ……おとりはまかせた」


 派手に水中戦闘を始めたドリトスと水蛇を放って、わたしは尚も池の中を下降していった。


 程なく底が見えてくる。

 泥が堆積たいせきした、よくある水底だ。

 海妖はいたものの、中身はちょっと深めの何てことない普通の池だった。

 あっけなさを感じつつ着地した防御球体は、だが残念ながら底をすり抜けた。 

 泥の中を更に下まで落ちていく。


「アル! これ何? どうなっているの!?」


 堆積物の中を通り抜けているからか、視界がゼロの中、わたしはアルを呼んだ。

 予想外の事態に、さすがのわたしも慌てる。


「落ち着け、エリン。ボクはすぐ傍にいるよ。大丈夫だ、泥の層はすぐ抜けるから。ほら!」


 アルの言う通り、視界不良はすぐに回復した。

 同時にわたしは更なる深みへと落ちつつあることを認識した。

 だが、問題なのはその景色だ。

 わたしは防御球体の中で目を見張った。


「マリンスノー!? 海に繋がっているですって!?」


 わたしを出迎えたのは、視界一面のマリンスノーと、見たこともない魚たちだった。

 慌てて周囲を見回すと、意外とすぐ近くにアルがいた。

 素直に中に入ってくればいいのに、球体に掴まるだけで海の中を泳いでいる。


「ほーら、底が見えてきた。そろそろ着地するぞ。直前に海が途切れるから注意しろよ」

「海が途切れる? ちょっと待ってよアル、それどういう意味? それに下にあるアレは……きゃああああ!!」


 いきなり落下スピードが増した。

 アルの言った通り、水のある層を抜け、空気のある層に入ったわたしは、そのまま自由落下した。

 っていうか、海の底に空気で満たされたエリアがあるってどういうこと!?


 地面まで約五十メートル。

 わたしは落下しながら防御球体を解除すると、素早く魔法陣を描いた。


「ベントゥス(風よ)!」


 上向きの風によって落下速度を極限まで落としたわたしは、大理石の床にふんわりと着地した。

 正面に目をやる。


「何よこれ……」


 そこにあったのは、白大理石を積んで建てられた巨大な神殿だった。

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