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第71話 本のゆくえ

 ドーファン家の嫡男・ドミトリに案内されたのは、三十メートルほど離れた位置にある、隣の棟だった。


 建物自体はドミトリの館と同じくらいの広さだったが、中は本棚だらけですべての部屋が本で埋まっていた。

 蔵書量は、ちょっとした街の図書館より多いだろう。


「ドーファン家は現在、父、母、僕に、二人の弟、三人の妹の八人家族だが、実際のところこの図書館を使っているのは僕だけだ。弟妹ていまいたちにはもっと本を読めと言っているのだがなかなか定着しない。困ったものだよ」

「でも、本を購入しているのはお父さまでしょ? ご両親は読まないの?」

「いや、購入担当は僕だ。昔は両親も本好きだったらしいが、今彼らが読むのは新聞くらいさ。えっと、購入後すぐの本はここにあるはず……。あったあった。さ、ここだ」


 招き入れられたのは、古びた机一台と椅子、そして本棚が一台あるだけの実にこじんまりとした部屋だった。

 本棚には三十冊ほどの本が乱雑に立てられている。


「購入した本はいったんここで僕が見る。内容によって熟読したりチェックだけだったりするのだが、ともあれそれを経てからクロエ――先ほどのメイドがジャンルごとに本棚に入れるというわけだ。さ、見てくれ。まだ移動はしていないはずだ」


 わたしの足元の影からヌっと姿を現した白猫アルが本棚に手をかざすも、すぐこちらに振り返って、無言で首を横に振った。

 その反応は『ない』だ。


 背表紙をチェックしていたわたしは、ドミトリの方に振り返った。


「移動済みの本はない?」

「ないな。タイトルも冊数も僕の記憶の通りだ。お探しの本はなかったのか?」

「……ここの本を購入した際、他に誰かいた? ここに本を運び込むのに誰かの手を借りたとか」

「いや、運んだのは古美術商当人だし、立ち会ったのも僕とクロエだけだ。他にはいない」


 わたしは考え込むフリをしてドミトリに背を向けた。

 察したアルがわたしの真正面に移動する。


『どう思う? アル』

『どう思うも何も、ここまで近寄ってクィンの反応を感じないってことは、ここにクィンの棲む悪魔の書はないってことだ』

『状況から見て古美術商のロジエさんの手によってこの街に運び込まれたこと自体は間違っていないはずだわ。なのにここにない。本はこの家にしか売っていないはずなのに』

『まさか……クィンの棲む悪魔の書は本の形をしていない?』


 テレパシー交信をしながらアルが考え込む。


『それって、何か他のものの中に隠されているとか?』

『置物の中に、とかで古美術商も気づいていないとか? ありうるぞ、エリン! だが、ロジエが他の古美術品をどこに売ったのか……』

『待って! ホテルで起きたあの事故。呪いが徐々に濃くなっていくにせよ、悪魔の書がそばにないのにあれだけの事故なんて起きる? わたしが防がなかったら死傷者も出ていた大事故だったのよ?』

『ってことは、まだ悪魔の書は古美術商の部屋にある? ちっ、先入観でセンシングをおこたっていた! やられた!!』

『まずい! わたしが借りたせいで今のロジエさんは破邪の護符なしで悪魔の書の隣にいる! クィンのもたらす不幸の波動をモロに受けてしまうわ!!』

「エリンさん、どうかしたかい?」


 動かなくなったわたしに不審を抱いたのか、ドミトリが後ろから声をかけてきた。

 アルとのテレパシー通話を打ち切ったわたしはドミトリに頭を下げた。


「ごめんなさい、ドミトリさん。わたしの考え違いだったみたい。急いでロジエさんのところに戻らないと!」

「そうか。仕方あるまい。では、プレイこそできなかったが、僕を楽しませてくれた礼をしておこう。クロエ!」


 いつの間にこの図書館に入ったのか、ドミトリ専用の老メイドが、手に何かを捧げつつ部屋に入ってきた。

 だが、相変わらず無言だ。 


「え、これ……」


 それは黒色のゴスロリ服だった。レースたっぷりで、縫製もデザインもかなりいい。結構な値段がしたはずだ。


「いやなに、君の言ったことが本当かどうか確かめさせたんだが、その際、ホテルの洗濯機の話を聞いてね。とりあえず一着だけ代わりを用意させた。やはり伝説のプリンセスにはふさわしい服装というものがあるからね。お抱えの店に急遽頼んだものなので元々着ていたものと比べると劣るかもしれないが、それは勘弁してくれたまえ。なにせ時間がなかったものでな」

「ありがとう、ドミトリさん!!」

「お、おい!」


 わたしはドミトリに勢いよく抱きつくと、その両頬にキスをした。

 そのくらいしても惜しくないくらい、ありがたかったのだ。

 抱きつかれたドミトリが目を丸くしている。


「あなた、最高だわ!! これで満足に戦える!」

「お、おぉ! 頑張ってきたまえ、エリン姫!!」


 その場で急いで着替えたわたしは、走って屋敷を出た。

 これだけ激しく動いても、胸がこぼれないか下着が見えたりしないか、余計な心配をしなくてもいい。


 キュキュっ!


 ドーファン邸の前で待たせておいたミーティアと合流すると、門扉もんぴに繋いでおいた手綱を解いた。

 飛び乗ると同時に、ホテルに向かって全力で走らせる。


 再びホテル・マグノリアへ。

 急がなければ、次はもっとひどい事故が起きる!


 今度こそ追い詰めるわ、悪魔クィン=フォルトゥーナ! あんたのもたらす不運を、一気に引っくり返してやるから、首を洗って待ってらっしゃい!!


 疾風のごとく山を走り抜けるミーティアに必死につかまりながら、呪いでここまで好き勝手振り回してくれた礼をどうしてやろうか考え、わたしはニヤリと笑ったのであった。

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