レスリックが視聴覚室に到着した。
事情を知らない別の教師がレナとリヴィアに男子生徒二人に謝罪するよう求めていた。
「とにかく暴力をふるったことだから。君たちが矛を収めなさい。誠心誠意、保護者の皆さんに謝罪するんだ」
「私。退学。構わない。学ぶこと。ない」
「ボクもです。どうぞ退学処分で」
二人は頑なに謝罪を拒否していた。
困った顔の教師。折れやすい方を説得した方が楽だからだ。あの保護者たちは引っ込みがつかない。
「邪魔するよ。レナ。リヴィア。待たせたな。お前たちの謝罪は不要だ。俺が頭を下げた。それで先方の保護者も足りるだろう」
レスリックが入室し、教師の体が固まる。
教頭が小走りに走って教師に耳打ちする。青ざめる教師。
「なぜここに」
「申し訳ございません」
まさかレスリックが足を運ぶなど思いもよらなかった二人が驚きの声をあげる。
「我が娘たちよ。さっさとこんな場所から帰るぞ」
教師は視線を落とす。
背後の兵士の圧も凄いが、大統領の娘をこんな事態に追い込んだ上司たちを激しく恨んだ。
「お嬢様方。レスリック様の言う通りです。あなたたちがいるべき場所ではありません。早く帰りましょう」
女性兵士が優しい視線を向ける。
「構いませんよね?」
「はい。一切の問題はありません。お気を付けてお帰りください」
女性兵士の問いかけに硬直した表情の教頭が即答した。
二人はレスリックとともに帰宅の途についた。
「おじさま。ごめんなさい」
「本当に申し訳ありません」
二人はレスリックに謝罪した。
「この不始末に頭を下げることも親のつとめだ。もっとも俺はお前たちが悪いわけではないと判断しているが、世間体的にだな」
不敵に笑うレスリック。
「ようやく俺も親らしいことができた。お前たちにあんな連中を関わらせてしまった俺のミスでもある。しかし今後、学校内での暴力はやめるようにな」
「はい」
「わかりました」
二人はレスリック大統領その人に頭を下げさせた事態になったことを後悔している。
レスリックのほうは気にしていない。駄々一つこねたことがない二人が怒った。飛び級で中学生とはいえ、二人ともまだ十歳にも満たない姉妹だ。
むしろそんな年齢で中学生を殴り飛ばしたことに驚きがあった。頭脳だけではなく身体能力も高い。
レスリックとともに帰宅した二人をヘルザが出迎えた。
通信に出られなかったことが、大変な事態を引き起こしたことは理解している。
「迷惑をかけたな兄上」
「なあに。保護者として美味しいところをもっていってすまんな。たまには俺にも父親役をさせろ」
「兄上は早く伴侶を見つけるべきだと思うぞ」
「お前もな」
レスリックは気にもしていない。むしろヘルザの役割を奪ってしまった感はあるのだ。たまには父親らしいこともしたかったらしい。
ヘルザならもっと痛烈にやり返していた可能性もある。
「レナが怒りの感情を示した。俺にとってもお前にとっても朗報だ」
「そうだね」
報告を兵士から聞いたリヘザは何かの間違いかと思ったほどだ。
「二人の怒るきっかけはアンジだな。安心したぞ。君たちにもきちんと怒ることができるのだと」
ヘルザの本音だった。二人の境遇は知っている。感情を押し殺すことに慣れてしまった。レナに関しては障害もある。
「相手は賠償も求めていたからな。俺の弁護士を向かわせる」
「ではこの件は兄上にお任せしよう」
「任せろ。リヴィア。レナ。何かあったらすぐ俺に言え。そうそう、もうあの学校にも行かなくていいからな」
「そうだな。世間体的に通っていた学校だ。行かなくていい。差別的ないじめがある学校など学び舎といえるわけがない」
レスリックの意向にリヘザも同意する。これは彼女のコミュニケーション不足が生んでしまった事態でもある。
「嬉しい」
「ありがとうございます! おじさま!」
嬉しそうな二人に、レスリックも笑い返しながら去って行った。
残されたリヘザは二人と対話を始める。
「本来は私が赴くべきだった。怒ったりはしないよ。どう聞いても男子生徒が悪い。あの学校を選んだ私のミスだ」
リヘザが嘆息した。
娘がそんな嫌がらせを受けていたなどつゆ知らず。保護者失格だと自責の念に駆られている。凡人の嫉妬を考慮するべきだった。ましてや相手は未熟な男児だ。
二人が報告するまでもないと判断したのだろうが、彼女自身も大学教授である。そんな学び舎には行かせたくない。
リヴィアは別の疑問があったようだ。
「一つ教えてください。今回の件で知りました。レナもアンジに関わっていた人物だったのでしょうか?」
「そうだよリヴィア。君と同じく彼女はアンジ殿に救われた。溶融炉の中に生きたまま落とされそうになってね。間一髪ラクシャスが間に合って生還できた」
「そんな話、聞いていません……」
「彼は言わないだろうさ。その時の衝撃でレナはブローカ失語症という障害を負ってしまった。アンジ殿はいたく後悔していたそうだ。もっとうまくやれなかったかと」
「私。感謝しかない」
「アンジらしいですね」
リヘザは二人を励ますつもりで、人生最大の失言をしてしまう。
兄との酒の席では毎回愚痴ってしまうほどのものだった。
「私からお説教はないよ。君たちの怒りは正当なものだからだ。――しかし」
一呼吸置いて、優しく微笑みかけるリヘザ。
「今日の反省も含めて二人に課題をだそう。一つはきちんと大学を卒業すること。リヴィアとレナ、それぞれに課題を与えるから、それをこなすように。二つの課題をクリアしたらとっておきのご褒美をあげよう」
姉妹は目をぱちくりさせた。
「課題?」
「まずリヴィアだな。もう少し女性らしい言葉遣いに改めなさい。別に女らしく生きろというつもりはかけらもないよ。私だってそうだからね。それよりもう一つの理由――」
意地悪な笑みを浮かべるヘルザ。
「アンジ殿と二度と再会しないなら今のままでもいいと思うけどね。別人に生まれ変わって再会したいのだろう? ボク口調で再会したら即座にバれるぞ」
「わ、わかりました!」
自分でも口調は気にしていたところだ。
「レナは?」
「レナの課題は笑うことだ。作り笑いなど必要ではないよ。心からの笑顔を浮かべられるようになりなさい。リヴィアの課題よりも難しいかもしれないが、私も付き合う」
「レナ。笑えない」
俯きながら答えるレナ。本人も笑えるものなら笑いたい。
「今日、君はアンジのことで怒った。私はとても嬉しかったが怒りなどという感情は覚えなくていい。喜びを基本とした微笑みをできるようにしなさい」
「理解はしている。無理」
「無理ではないさ。こちらにおいで」
レナはリヘザの近くまでいく。リヘザはレナの唇をつまみ、笑顔の形にしてつり上げる。
「レナは自分のことを無表情、無感情だと思い込んでいる。しかしそれは違うと今日証明された。表情筋の訓練も私をしよう」
「表情筋。要らない」
「そんなこといわない。アンジに嫌われたくはないだろ?」
「うん……」
「表情筋は使わないと衰えるんだ。人と話さないこと。無表情でいる時間が長いことが要因とされる。レナはその二つともあてはまるだろう?」
「理解している」
「だから練習するんだ。この課題を乗りこなしてみせなさい。幸いリヴィアがいる。リヴィアも協力してくれないか」
「ボク――私に何ができるのでしょうか? できることならなんでもします」
「アンジとラクシャスの話をしてあげて欲しい。――レナはアンジ殿とラクシャスが好きだろう?」
「アンジ。ラクシャス。この世の誰よりも愛している。どんな些細なことでも知りたい」
内心驚きを隠せないリヴィア。
彼女に負けないほどの激情をアンジのみならずラクシャスにも向けている。