結局、休憩している間に都合良く馬車が現れるようなことはなかった。
お茶のセットを片付けながら、シアはボクに声をかける。
「せっかく火の用意をしましたし、ここでもう少し休憩ついでに食材調達といきましょうか」
「へ?」
今、ボクたちが陣取っている場所は街道の側だ。
田舎なのであまり整備の手は行き届いてはなくて、申し訳程度に整えられた道の近くで、お湯を沸かすための焚き火を囲んでいる。
「……あんまり食べ物があるようには見えないけど」
「確かに、今このあたりに生えてるのはあんまり美味しくない雑草ですけど……向こうにいけば、ちょっと良いものが生えてますよ」
シアはずっと昔、数百年もあちこち放浪していたらしい。
だから野草とか動物とかに詳しくて、魔王を討伐する旅の間はよく食材を現地調達してくれていた。だから今回も、そういうことなのだろう。
納得したので、ボクは自前の杖を持って立ち上がる。シアの方はもう、焚き火を消していた。
「それでは足元に気をつけて、ついてきてくださいね」
「うん」
シアの金色の髪を追いかけて、緑の隙間へ。
先導してくれるシアの歩調はゆっくりで、あとから来るボクのために草をきちんと分けながら進んでくれている。
こういうなにも言わずにさり気なく相手のことを気遣えるところが、彼女の凄くいいところで、好きなところだ。
ボクの腰くらいの高さの、青い香りのする草花の匂いを感じながらシアを追う。
焚き火をしていた場所から少し歩いたところで、前を行く彼女が立ち止まって、
「…………」
「シア? どうしたの?」
「いえ……すみません、リーナ。もう少し近くに」
言われたとおりに、その場で身構えたシアの近くまで寄る。
彼女の声は落ち着いているけれど、緩んでいるというほどでもない。
狩人の彼女が構えた。それは近くになにかがいる、ということだった。
「っ……」
草の隙間から、それが現れた。
鈍い輝きは、平和になってからしばらく見ていなかった刃物の色。
明らかな武器の登場に驚いているうちに、その持ち主の顔が見えた。
「…………」
ぬ、と現れたのは、ふたりの男。片方は人間で、もう片方は獣人だった。
どちらも太い筋肉を蓄えていて、武器の扱いに慣れている雰囲気。年齢もそれなりに経ているだろう、少なくとも人間の方はおじさんと呼んで差し支えなさそうだ。
ふたりとも髭や髪、体毛がまったく整えられてなくて、彼らが日常的に野宿をするような立場であると示していた。
ボクと彼らの間に立ち塞がるように、シアが一歩をに出る。
「……初対面でいきなり武器を向けられるような悪いことをした覚えはありませんが、なにかご用でしょうか?」
向けられた剣の先は、相手に悪意や害意があると明らかに物語っている。
そんな相手でも、シアはあくまで丁寧さを崩さずに声をかけた。
「見て分かるだろ、食べ物、金。俺と弟分のために、あるだけ置いていって貰おう」
ふたりの内、人間の方が質問に答える。
分かりやすい相手の目的に、シアはゆっくりと首を振って、
「食べ物もお金も、私たちで分け合うためのものですから、渡せません」
腰に下げていた鞘から、小さな短剣を抜いてシアが構える。相手の持っている剣と比べると、刃渡りは半分以下の短いものだ。
今、シアの装備に弓はない。焚き火のそばに、荷物と一緒に置いてきてしまっている。
「……兄ちゃん、どうする?」
「少しだけ痛い目をみせてやれ」
「しょうがないね。じゃあ、あんまり動かないでくれよ、お嬢さんたち」
あっさりと話し合いは終わって、戦闘になった。
昨日、コカトリスを狩ったのとは違う、武器を持った人との戦いだ。
種族は違えど兄弟分らしい、人間と獣人。ケモノの方が、武器を構えて突っ込んでくる。
刃は分厚くて、斬られれば充分に大けがになる鈍い光が、まっすぐにシアへと向かって、
「っ……!」
「はぁ……!?」
甲高い音と、相手の驚いた声が、空に抜ける。
相手の武器より遙かに短く、薄いダガーで、シアは相手の武器を弾き飛ばした。
自分よりずっと線の細いエルフの女に、力負けしたのがショックだったのだろう。相手は目を開いて、
「う、そだろ!? ぐえっ!?」
相手のびっくりした表情の真下、首根っこをシアがひっつかんで、投げ飛ばした。
シアの倍以上の体格がありそうな獣人が、草の隙間へと転がっていく。
ふ、と息を整えて、シアは今度は人間の男に視線を向けた。
「……まだ、続けますか?」
「うちの弟分を吹っ飛ばす、か……どういう女だ、あんた?」
「人より少し、目が良いだけですよ」
シアは、もの凄く目が良い。
単純に遠くまで見通せるというだけじゃなくて、本気で集中すれば景色がゆっくりに見えるほどの動体視力も持っている。
その理由は、本来ならばあらゆる魔法に使えるエルフの高い魔力がすべて、瞳に集中しているため。彼女の視覚は常時、あらゆる補助魔法がかかっているのに等しいのだ。
「打てば飛びそうな場所に武器をぶつけて、不意打ちで崩れそうなタイミングで投げる。簡単なことで、そんなに力がいる技じゃありません」
「簡単じゃねえだろ、それは……!」
彼の言うとおり、簡単なことじゃない。
武器とか格闘術とかに詳しくないボクでも、それくらいは分かる。少なくとも、見えたからといって気軽にできるようなことではないだろう。
憤った声を乗せて、兄貴分がシアへと斬りかかる。
「っと……」
軽い調子の声と同時に、重たい音が響いた。
相手の長剣に比べれば玩具のような短剣で、シアは相手の斬撃をいなす。
二度、三度と火花が散ったけど、それだけだった。男の剣は、シアの毛先にも届かない。
「くっ……おわっ……!?」
焦った四度目の剣を、シアは受けなかった。
金色の髪をなびかせながら、彼女は一歩を踏み出す。
相手の攻撃に合わせて前進して、刃を回避しつつ懐へ。相手を強引に踊らせるようにして、シアは相手の腕を取って体勢を崩し、そのままひねり上げた。
「うぐっ……!?」
「はい、これで終わりですね。無理に暴れると腕が折れますから、大人しくしていてください」
武器が落ちる音が、終わりの合図になった。
いくらシアが男に力で劣っていても、ああまで完全に捕まえてしまえば動きを封じるくらいは難しくない。まして彼女は、相手が抵抗する動きを『見て』対応する。
「くっ、そ……うぎっ!?」
「だから、動かないでくださいって。本当に怪我しちゃいますよ」
少しでも動こうとすれば、シアはそれを見てから最適な力と角度で相手を抑え込む。
確かに彼女は弓使いだけど、別に近接で戦えないわけじゃない。
魔力の宿った瞳がもたらす高すぎる動体視力での見切りと、彼女が長年で身につけた技術は、近寄られたって充分に通用する。
そもそも、魔王を討伐するための過酷な旅を乗り越えたボクたちにとって、今更数人の暴漢に襲われた程度は脅威でもなんでもない。
たとえこの場に、勇者と聖騎士が不在だとしても。
「このっ……ぐえっ!!」
「とっくに気づいてるよ」
背後から飛びかかってきた獣人に向けて、最大限弱めた魔力をぶつける。
炎や水といったものに変換していない純粋な魔力エネルギーは衝撃波に似ていて、弟分は全身から壁にぶち当たったようにひっくり返った。
獣人は頑丈だ。まして日常的に武器を振るっているような相手なのだから、地面に投げ転がされた程度で気絶しないことくらい、ちゃんと分かっている。
構えた杖を降ろし、吐息する。今度こそ、戦闘は終わりだった。