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第41話:今日も、剣道を

「『天照』、異名の返上を表明、か……」


 あの大会から一ヵ月。ついこの前販売された剣道日本にはそう書かれていた。


 異名って返上とかできんの? アレって周囲が適当に呼ぶだけじゃねぇか。

 公式でもう呼ばないでくださいって意味なのかな。よく分かんねぇ。


 じゃあ俺も『剣聖』なんて異名はこっぱずかしいので止めてもらおうか──。


「あ、そろそろ時間か」


 伸びをしたところで壁に掛けている時計が目に入る。もう道場に行く時間だ。

 準備はほとんどできている。後は竹刀を担げば完璧だ。


「おし、結! 行くぞ──……」


 と言って、気付く。もう少女はこの部屋にいないことを。


「……、結が戻ってからもう一ヵ月なのに、まだ慣れねぇなぁ」


 あの子のいる生活が濃すぎたんだ。

 剣道の匂いがすると言われた部屋には、あの子の匂いも混ざっていたのだが……少しずつ薄れていくのを感じていた。それでもふとした瞬間にあの子の匂いが思い出される。


 ……なんか変態っぽいな。今の発言は無しで頼む。

 とりあえず行くか。


 結がいたことの証明が薄れていくのに合わせて、夏の残滓も色褪せていく。

 まるであの夏の数週間が夢だったかのように、季節は巡っていく。

 少し冷え始め、蝉時雨も聞こえなくなった外に足を伸ばし、道場へ向かう。





 道場に着くと、白のワイシャツに黒のパンツという大人っぽい恰好の先生がいた。


「おう剣晴。時間通り来たな」

「おはようございます、楓先生。すいません、無理聞いてもらって」

「別にいいぞ。アタシとしても賛成だったしな」


 かんらかんらと笑う先生の顔を見てよかったと素直に思う。


「ま、これでおまえに貸しができたワケだ。さて、どうしてくれようかなぁ」


 前言撤回。相変わらず性格悪いなこの先生。


「あの大会で頭を下げた先生はどこ行ったんだか……」


 ──千虎は決勝のあと、表彰式に出なかった。記者連中からしたら優勝トロフィーを受け取る千虎をカメラに収めたかっただろうから、肩透かしを食らったことこの上ないだろう。


 あれから千虎の姿を見ていない。大阪に戻ったと思うが、音沙汰無しだ。

 相変わらず無敗記録は続いてるだろうに、何してんだか。


「無理のない範囲ならお手伝いしますから、さっさと準備しましょうよ」


「おお、そうだな。盛大にやるとしようか。にしてもなんでおまえ道着なの?」


「え? 逆に先生はどうして私服なんですか? てっきり着替えるのかと」


「は? 歓迎会でどうして道着に着替える?」


 沈黙することしばし。


「……二人の歓迎会って、稽古会のことじゃないんですか? そう信じてますよあの子たち」


「はぁ? 歓迎会っつったら飲み会だろうが! 成人だろうが未成年だろうが関係ねぇ! 無礼講だ! 酒をかっ喰らってくせぇつまみ摘まんで騒ぐもんだろうが!」


「アンタ馬鹿か! あの子らは小学生だぞ! 未成年の飲酒は犯罪です!」


「アタシが許す!」


「大馬鹿野郎!」


 アンタ本当に道場の師範か? もっと模範的な考えをしてください。


「……っていうか、迎えに行かなくていいんですか」


「ん? ああ、あの子は今日だけは自分の足で来たいんだと。普段はアタシが見に行ってるから心配ないぞ。掃除もな。あと、料理がしたいって言うから教えてもいる」


 そう言えばそうだった。この人は一通りの花嫁修業を終えているんだっけ。肝心の相手はいねぇけどな。しかし、そこを突っ込んだら殺される。


「何か言いたげだな」

「……いつか、先生にもいい人が現れますよ」


 元気出してください。そういう意図を込めて先生を見ると、なぜかこの人は竹刀を持ち出した。俺にはその竹刀が真剣に見えてしょうがなかった。


「そう言われて続けて早五年だよ。アタシゃいつまでハクバノ王子サマを待てばいい?」


「いい歳こいてハクバノ王子サマとか言ってっからじゃないすか?」


「もういやだァッ! おまえがアタシを娶りやがれェッッ!」


「人権侵害も甚だしいなッ!」


 マジで誰かもらってあげて。剣道関係者ならなお歓迎です。

 ギャースカギャースカと揉めていると、道場の前あたりで二人分の足音がする。




 ──予感があった。




 全国の決勝で敗れ、敗北の恐怖に飲まれたが、そんな俺の元に突撃してきた少女がいた。


 元気いっぱいで、どこか幼くて、自己中心的でワガママ……でも、それでいて目に鋭い切っ先を宿し、強迫観念に駆られた負けん気の強い少女。


 そして俺と似たような境遇で、俺よりも辛い立場から逃げてきた少女がいた。

 鈴を転がしたような声で、とても『良い子』。でも心の内には年相応の願いを持っていて、上手く表現することのできなかった少女。


 その子たちは、俺も含めて孤独だった。

 そんな子たちが、これからも俺と一緒につながりを作ってくれる予感が──あった。


 少女たちは仲が悪かった。偶然が重なったが故のすれ違いだった。

 しかし、剣を通じて互いに心を明かし、二人は歩み寄った。


 剣道の理念は勝敗に非ず。

 剣法の習得による人間形成の道。打って反省、打たれて感謝……稽古をしてくれた相手への礼が作る人のつながりにこそ、重きを置くべき武道だ。


 そのことを理解し、あの子たちは成長した。

 そして俺も輪の中に入り、孤独ではないと実感した。

 あの子たちが与えてくれた。

 これからはその輪がどこまで広がるのか……手をつないで、一緒に見ていきたい。




「「おはようございますっ!」」




 道場の扉が開けられる。元気な声が聞こえてくる。

 道着姿で、揃って礼をする。

 その姿を見たら、自然と頬が緩んでいた。


「ほら、稽古する流れですよ」


「マジかよ。師範室にいろいろと用意してたんだけどなぁ」


「それは後でいただきます。あ……親子丼の具材ってあります?」


 俺たちの会話を他所に、二人は俺の前に駆けてくる。

 黒い防具袋を担いで、腕には竹刀袋を抱えて。


「せんせーっ!」

「剣晴さん」


 この子たちは俺に──こう言うのだ。





「「今日も、剣道を教えてくださいっ!」」




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