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田中に生まれて
田中に生まれて
梅野飴
文芸・その他ショートショート
2024年11月27日
公開日
3,492字
連載中
田中に生まれた男の子の話

第1話

 田中に生まれ思うことがある。

 田中は多い。私の生まれ生きるこの九州には殊更に田中が生息している。私のクラスに二人いる。同学年に五人いる。割合は男男男女男。田中は男がやや多い。根拠はない。

 かく言う私も田中。田中の雄。中二の田中。思春期真っ只中の田中。田中の中の田中。繊細な人は田中田中で目を廻す頃合いか。はて田中とはなんだったか。田とは中とは。田中とはこれで正しいか、左右反転させてみようか天地を返してみようかなどなどと田中に対する認識が崩壊していく頃合いか。しかし赦して欲しい私は田中なのだから。

 言わずもがな先祖は百姓であったろう。田の中に家を構えていたのであろう。己に苗字を付すにあたり『そうだオイラは田の中に住んでるから田中になろう』と閃いたことだろう田中の始祖。ご先祖様。貴方のその素直な感性をお恨みします。なぜもう少し己の名に拘らなかったのか。貴方の周りは本当に田のみであったか。川はなかったか?森は、坂は、なかったか?犬を飼ってはなかったか?なぜ己の存在証明を田にだけ求めた?同じ状況、発想でありながら中田と付けた中田さんのご先祖様。その富んだ感性が羨ましい。仕上げに一捻りを加える遊び心。俺はお前らとは違うと掻く天邪鬼的ロックスピリット。田中にないものが中田にはある。

 先日歯科医にて名を呼ばれた田中が私を含め三人立ち上がった。なに驚くこともない。これは田中に生まれては避けられない現象である。だのに世間はくすくす笑う。今この空間に田中が三名もいるという現状に。予期せず三名の田中が炙り出された滑稽に。安心することなかれ冷静沈着な第四の田中がまだこの中に潜んでいるかもしれないという恐怖に。世間は肩を震わせ笑う。

 何も世に田中が多いことのみが問題の所以ではない。例えば佐藤。鈴木。彼らは田中よりこの国に多く生息している。が、彼らは田中ほどシンプルな生き物と認識されていない。通りを往く佐藤鈴木が、彼らの始祖が、かつてどのような人間であったかは現代に生きる我々に推し量ることはできない。田中の始祖は割と推し量れる。およそどのような人間でどのような景色の中に生まれ育まれどのように朽ちていったかほどほどに見当がつく。その推測が事実かはさておき、問題なのはこの国の人々が田中と出会ったその瞬間に目の前の田中の数百年向こうにある過去まで見通せた気になってしまうということで、私はそれを軽んじられていると感じてしまう。

 ああなんだ、こいつは田中か。

 緊張して損をした。田中なら大丈夫だろう。これが東郷なら、鬼塚なら、冷や汗もかこうが田中ならそこまで気を張る必要もない。このように田中は田中というだけで侮られる。由々しき事である。

 さて、何故私がこのように己の苗字を嘆いているかというと暇だからである。暇には莫大なエネルギーが眠っている。人は暇を与えられると途方もない思案を巡らせる生き物だ。その暇をかつてのローマ市民は『人生とはなんぞや』と哲学に割き二千年後の現代を生きる田中は『田中とはなんぞや』と田中学に割いている。

 では何故私が暇かというと今この夕刻の教室にて孤独だからである。精神的にではない。物理的に孤独状態である。この東岡中学二年三組の教室には今、この田中意外誰もいない。同級生達はとうに田中を一人残しこの場所から去った。故に孤独の田中は教室で補習執行の時を待っている。数学の世良はまだやってこない。田中は補習があるから残るようにと担任に託けておいて自分は現れない。なんという不届者。やはり田中を侮っているのか。己が世良であるが故、田中を目下に見て侮っているのか。

 ああ補習は仕方がない。中間考査にてクラス唯一の赤点範囲内である数学36点を叩き出したこの田中に非がある。しかし、だとしてもこのようにぞんざいな仕打ちを受ける謂れはない。大方、田中には放課後に予定などないだろうなにせ田中なのだから。とでも思っているのだろう。

 その時教室の戸がガラリと開いた。私は睨むように教室右前方の戸へ目を向ける。しかしそこにいたのは世良ではなく息を切らした瑠璃ちゃんだった。

「あれ?田中君だけ?先生は?」

 瑠璃ちゃんが教室をぐるりと見渡す。これ俺に言っているのか。言ってるよな。うん。だって今ここには田中しかいないもの。

「ま、まだ来てなくて」

「なんだーさっき茜に『田中は補習って世良が言ってたよ』って言われたから慌てて帰ってきたのにー」

「る、田中さん、数学赤点だったの?」

「え?違うよ?」

「じゃあその補習の田中って、多分俺のことだと思うよ」

「……?」

 瑠璃ちゃんは不可思議そうにその大きな瞳でこちらを見つめる。

「えっと、だから補習を受けなきゃいけない田中ってのは多分俺のことで、その、田中さんは違うんじゃ……」

「あっ」

 素頓狂な声をあげる瑠璃ちゃん。かわいい。

「あー!じゃあ私部活行ってよかったんじゃん!うわあ私アホだー!」

「はは……」

 田中瑠璃。このクラスのもう一人の田中。髪はショートより少し長く目は小動物のようにくりりとし黒目が大きい。女子バレーボール部所属。快活な性格で肌は少し褐色がかっている。成績は優秀だが時々信じられないほどアホウな言葉を散らす。らしい。けれどもこの噂はどうやら本物だったようだと私は目前で項垂れる彼女の姿を見て察する。

 会話をしたことはなかった。いや、正確には幾度かあったがそれは全て連絡事項のようなものでおよそ会話と呼べる代物ではなかった。そして、私たちはお互いを田中君田中さんと呼び合う。当然だ。同じ田中だからといって瑠璃ちゃんなどと気安く呼べるほどの女たらしではない。平均的中学二年男子の田中なのだわかってほしい。

「まあでも、ちょっとラッキーかも」

 瑠璃ちゃんは顔を上げイタズラぽくにまっとする。

「……え?」

 田中くんとおしゃべりできたから……とは言ってくれなかったが、かわりに彼女はこちらに歩み寄ってくる。必然鼓動が早まる。しかし彼女はそのまま窓に張り付き外を眺める。そして校庭の方を指差してまたイタズラぽい顔でこちらを向く。

「今日、女バレは体育館使えるの5時からだからさ。最初の1時間は外周とか筋トレなんだ」

 彼女の指さした方に視線を移す。なるほど確かに女子バレー部らしき皆様はこのクソ暑い中、イチニイチニと大声を出して走っている。

「へへへ……」

 汗を流す同僚達を見下ろし悪ガキのように笑う。なんていかん娘だ。かわいい。

「でも補習なかったのバレちゃったらやばいし。そろそろ行ったほうがいいかな」

『そんな!部活なんてサボってここにいなよ!』とは言えない。なにせこちとらただの田中である。それどころか臆病風に吹かれた弱田中だ。結局絞り出した返事は『あ、うん』というクソ味噌に情けない言葉のみで、そのセリフすら妙ちくりんに甲高い声で発してしまい己の女免疫のなさに死にたくなる。もうダメだ。つかの間訪れた青春ぽいワンシーンは本当にワンシーンのみで終わってしまう。

 しかし、彼女は帰るそぶりを見せず教室内をウロウロと歩き始めた。あわわわわ。このような時、中二男子はどう対応するのが正解なのだ。あれか。プロポーズか。いや待て早まるなお前はただの田中だ。あわわわわ。

「そういえば、田中くん下の名前なんだっけ」

 彼女はこちらを見ないまま尋ねる。

「……幸太郎」

「へー」

 あっ、知らなかったんだ瑠璃ちゃん。同じクラスなのに。瑠璃ちゃん。

「おおやけ太郎?」

「しあわせ太郎」

「あーそっちか。なるほど幸太郎くんか。いい名前だね」

 今度はこちらを見てにこりと笑う。えっ、なにこの時間。すごい。幸せ。いま田中すごく幸せ太郎。

「じゃあ今度から私、幸太郎くんって呼ぶね」

「へっ」

「だって同じ田中なのに苗字で呼び合うって変じゃん」

「う、うん」

「たなか……じゃなかった幸太郎くんは私の下の名前知ってる?」

 知ってる。超知ってる。

「えっと……」

「あーひどーい。瑠璃だよ。瑠璃色の瑠璃。覚えといてよー」

「うん……覚えた」

「じゃあ幸太郎くんも私のこと瑠璃って呼んでね」

 田中に生まれて思うことがある。

「うん。わかった。えっと……瑠璃……ちゃん」

「そう!よくできました!よろしくね幸太郎くん!」

 田中も捨てたもんじゃないかもしれない。

「そろそろ5時になっちゃう。流石に行かなきゃ」

「うん」

 否。

「じゃあまた明日ねー幸太郎くん!」

「うんまた明日。瑠璃ちゃん」

 田中に生まれて。

「あ、いますごいこと気づいちゃったんだけどさ」

「なに?」

 田中に生まれて……。

「もし私と幸太郎くんが結婚したらどっちも田中のまんまじゃん!すごくない!?」

 本当によかった。

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