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第36話

 金属の転がる音が、夜の闇に溶ける。

 重厚感のある街灯が地面を転がったにしては、異常なほど小さな音だった。


(チッ……)


 ウィッグの毛先がすっぱりと、僅かに短くなっていることに気づき、織羽おりはは内心で舌打ちする。

 街灯の上から眺めていた時は、武器など持っているようには見えなかった。だが先程ちらと見えたのは、間違いなく刃物であった。


「……どちら様でしょうか。ここがどなたのお屋敷なのか、分かっておいでですか?」


「……」


 織羽おりはが問いかけるも、不審者は答えない。

 先ほど一瞬振り返った不審者だが、しかし今は再び後ろを向いている。その状態のまま、ただ僅かに肩を震わせるのみである。背中越しであるため表情は分からないが――――少なくとも、織羽おりはを恐れているわけではなさそうだった。


「……答えるつもりはない、ということですか。一応お伝えしておきますが、お嬢様は既に入浴を済ませております。覗こうとしても無駄ですよ」


 そんなユーモア溢れる織羽おりは誰何すいかは、しかし見事に無視される。もちろん織羽おりはも、答えが返ってくるなどとは思っていなかったが。

 そうして織羽おりはがため息ひとつ、不審者少女へと向かって一歩距離を詰める。問答をするつもりがないのならそれでもよい、こちらも事務的に対応するだけだ、と。するとそこでようやく、不審者少女が小さな声を発した。


「――けた」


「……なんです? よく聞こえませんでしたが」


 それはか細く、震えるような声だった。

 少女の言葉がよく聞き取れなかった織羽おりはが、もう一歩近づく。そこでようやく、少女の声を聞き取ることが出来た。


「みつけた」


「あ、はい」


 少女の言葉に、織羽おりはの唇がひくひくと痙攣する。

 あまりのことに『あ、はい』などという意味の分からない返事をしてしまう。


(はいじゃないが!? っていうか怖すぎでしょ! ホラーかな?)


 現在は23時を回っており、深夜と呼んで差し支えのない時間帯だ。

 そんな夜の闇に紛れ、こんな人気ひとけのない場所で。場違い以外の何物でもない少女がひとり、刃物を手にして。いざ声をかけてみればいきなり斬り掛かってきて、あまつさえ『みつけた』である。これがホラーでなくて一体なんだと言うのか。ダンジョンには霊体系の魔物も存在しているし、織羽おりはも幾度となく戦ってきた。そんな織羽おりはを以てしても、これには背筋が寒くなった。幽霊よりも生きている人間が怖い、などというのはよく聞く話だが――――今まさに、織羽おりははそれを体感していた。


 それでもどうにか、織羽おりはは言葉を絞り出す。努めて冷静に、なるべく平坦な声色で。


「みつけた……というのは、一体何のことでしょうか?」


「ウフフ。とぼけちゃって。そんなの――――」


 少女の背中に凄まじい殺気が膨らむ。

 織羽おりはがホルスターからナイフを抜き取るのと、少女が振り返るのはほとんど同時だった。


「――――貴女を、に決まってるじゃんッ!」


「ひえっ」


 刹那、金属の軋る激しい音が鳴り響く。

 そのあまりの剣速故か、打ち付ける白刃が僅かに火花を散らす。

 そうしてようやく、少女の得物が刀だと判明した。片刃で反りのない、いわゆる直刀だった。薄闇の中ということもあって、刀の軌道は酷く見づらい。そもそもの間合いも読みづらい。加えて少女の攻撃は、そこらの探索者とは比べ物にもならない程に速く鋭く、容赦がなかった。顔、首、胸部と、一切の迷いもなく急所を狙ってきている。しかし初撃を受け流したその後も、織羽おりはは少女の攻撃を難なく捌いてみせた。


「あははは! 流石だね! そんな小さなナイフで受け切るなんて!」


「お褒めに預かり光栄で――――はて? 流石というのは……? 貴女とは初対面だと思うのですが」


「そだねぇ!」


 怪訝そうな顔を浮かべる織羽おりはと、随分と楽しそうに盛り上がる不審者少女。激しい剣戟の間に行われる会話としては、酷く呑気で場違いな内容だった。

 くるくると器用にナイフを操りながら、織羽おりはが少女をよく観察する。しかしいくら記憶を辿ってみても、織羽おりはは少女の顔に憶えがなかった。


 フードの隙間から僅かに見える、少し幼い顔立ち。

 両の耳にはそれぞれ特徴的なピアスが光っていた。小柄な体格を考えれば、恐らくは織羽おりはと同年代くらいだろうか。一般的に見て、可愛らしく整っている方だと言えるだろう。妖しく狂気に濡れた瞳さえ除けば、ではあるが。


「スゴいスゴい! やっぱり間違いないね! ルーを倒したっていう謎のメイド、キミなんでしょ!?」


ルー……? 何の話だろ? 困ったな……何を言ってるのかまるで分からないや) 


 少女は大変楽しそうだったが、しかし一方の織羽おりははますます困惑する。少女の話が何ひとつ理解出来ないのだ。文脈から察するに『ルー』とやらは人名だろう。だがそんな名前の知り合いは居ないし、眼の前の少女同様、記憶の何処にも存在しなかった。もしかすると今の任務に就く以前――――調査室絡みの手合でだろうか。そうだとすると余計に憶えていない。憶えているはずがない。


「失礼ですが、人違いかと。私の知り合いにそのような方はおりません」


「あっはははは! 記憶にも残ってないんだ!? まぁでもそうだよね、あいつ弱っちぃもんねぇ!」


 少女の振るう凶刃が月明かりに照らされ、織羽おりはに迫る。織羽おりはがくるりとナイフを回し、それを弾く。

 仮に高位の探索者が傍で観戦していたとして、一体どれだけの者がこの戦いについてこられるだろうか。少なくともこんな時間、こんな場所で行われるようなレベルの戦いではなかった。

 そうして織羽おりはが攻撃を凌ぎ続けることしばらく。時間にすれば二、三分かそこらであろうか。周囲の住民が異変に気づいたのか、少しずつ辺りが騒がしくなってくる。


「っと……流石にこれ以上はマズいですね」


「だねぇ。名残惜しいけど直接顔も見れたし、今日はここらで帰ろうかなー」


 先程までの狂気はどこへやら。

 まるでスイッチが切れたかのように正気へ戻った少女が、一転してこの場を立ち去ろうとする。


「おや、帰れるとお思いで?」


「よゆーよゆー! 確かにキミはすごく強いけど、目立つのを嫌ってる。そうでしょ? アタリでしょ?」


「……今のが本気だと思われては困りますね。貴女を捕縛してそこらに転がすだけなら、一分もかかりませんよ」 


「あはっ、そうかもね! でも……」


 少女はそう言うと大きく息を吸い込む。

 そして大声で、こう叫んだ。


「きゃああああああ! へんたぁぁぁぁぁい!!」


「ッ!?」


「あははははは! 目立ちたくないんだよね? 早く逃げないと事情聴取されちゃうよ? 今からだと朝までコースかなぁ?」


「このっ……!」


 織羽おりはが少女に迫ろうとするが、しかし思い留まる。

 捕縛するのは簡単だが、しかし逃げに徹された場合は話が違う。これだけの実力を持った相手を追いかけるとなると、流石に数分でというわけにはいかないのだ。


 治安維持部隊ガーデンは優秀だ。勤勉な彼らのこと、通報があればほんの数分で駆けつけることだろう。このまま現場に居続ければ、仮に通報とは無関係だとしても、事情聴取で拘束されるのは間違いない。まして織羽おりはは今回の件にガッツリ関係してしまっている。あれやこれやと調べられれば、いらぬ事まで掘り返される恐れがある。最悪の場合は『女装メイド姿のガチ変態』として逮捕される可能すらある。その後の事など考えたくもないが、恐らくは怖い顔をしたひそかが迎えにくることになるだろう。それだけは何としても避けたかった。


 織羽おりはが男であるということに気づいたわけでもないだろうが――――少女の取った手段は、奇しくも織羽おりはに刺さりまくっていた。


「それじゃーね、謎の最強メイドさん。また遊びにくるよ」


「……次は容赦しません」


「ウフフ、それは楽しみだね!」


 織羽おりはからすれば鬱陶しいことこの上ないセリフを残し、少女は音もなくその場から去っていった。


「……何だったんだ一体……おっとマズいマズい、早く部屋に戻らないと……」


 そうして織羽おりはも、まるで逃げるようにしてその場を後にする。

 遠くからは既に、小さなサイレンの音が聞こえ始めていた。



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