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第35話

 それはなんてことのない、いつも通りの夜だった。

 最早恒例になりつつある、織羽おりは亜音あのん、そして椿姫つばきのメイド三人による雑談会にて。学園で何があったかだの、今日の夕食は良く出来ただの、庭の木に鳥が巣を作っていただの。それぞれ今日の出来事を交えつつ、酷くどうでもよい話題でひとしきり盛り上がっていた。


 そうしてしばらく、時間にすれば23時頃。

 明日も早起きをしなければならないからと、亜音あのん椿姫つばきがそれぞれ、織羽おりはの部屋から撤退した後のこと。


 無駄に着心地はいいが、しかし男が着るには些か可愛らしすぎる。

 そんなモコモコパジャマに身を包んだ織羽おりはが、就寝のためにウィッグを外そうとした、まさにその時。織羽おりはの研ぎ澄まされたセンサーが、屋敷の外に不審な気配を感じ取っていた。


 織羽おりはは気配だけで、それが一体誰のモノなのかがある程度判別出来る。特に身近な者の気配であれば、それこそ九分九厘といったレベルで当てられる。これが雑踏ともなれば多少は精度も落ちるが、しかしこんな夜更けの、それも屋敷の周囲であれば問題なく判別出来る。そんな優れた織羽おりはの感覚によれば、これは凪の気配ではない。花緒里かおりのものでもない。当然、亜音あのん椿姫つばきのものでもない。現在この屋敷の外周をこそこそと動き回っている気配に、織羽おりははまるで覚えがなかった。


(……侵入者? いや、まだ周囲を探ってるだけ……かな? ということはつまり、これは不審者だ。いやまぁ、別にどっちでもいいんだけどさ)


 可能性だけで言うのなら、いくらでも考えられる。

 この辺り一帯は金持ち街であり、コソドロにとっては相当なリターンが見込める地域である。その分リスクも大きいが、泥棒という線は普通に有り得るだろう。特にこの白凪館など、周囲の高級住宅と比べても、頭ふたつ以上抜けて金の気配を漂わせている。もしかすると、犯行前の下見に来ているのかも知れない。


 また、刺客という線も考えられる。

 そこらの一般家庭であれば一笑に付すことも出来る突拍子のない話だが、対象が凪だというのなら話は違う。怪しい海外組織によって、凪が連れ去られそうになった事件は記憶に新しい。そうした前例が既にあるからこそ、可能性としては十分にあり得る話だ。またぞろ、どこぞの組織が凪を狙いに来たのかも知れない。


 道に迷った一般人、という可能性も無くはない。

 しかしそこまで考えたところで、織羽おりははひとりでかぶりを振った。


(いや、それはないか……だったらこんなにコソコソ動き回らないだろうしね。明らかに気配を隠そうとしてるし、どう考えたって悪意アリだ)


 いずれにせよ、このまま放っておくわけにはいかなかった。

 屋敷の警備も、織羽おりはの仕事の範疇だった。最初に『そこらの男よりは戦える』などと説明してしまった所為である。当時は『軽く戦えます』くらいの設定にしておいた方が動きやすいのではないか、などという考えだったのだが――――今となっては、『まるでクソの役にも立ちません』と説明していた方が良かったと織羽おりはは後悔していた。無論それでは凪の専属メイドになれないので、所詮は無意味な後悔でしかないのだが。


 「はぁ……仕方ない、行くかぁ……」


 織羽おりははそう独りごちると、ファンシーなモコモコパジャマを脱ぎ捨て、いそいそといつものメイド服へ着替える。これから不審者を捕まえに行くというのに、そんな可愛らしい格好では流石に不味いだろうと。傍から見ればメイド服も大差はないのだが、織羽おりははすっかりそのあたりの感覚が麻痺していた。


 そうして着替えを終えたところで、織羽おりはが部屋の窓を開け放つ。

 梅雨が近づいているからだろうか。少し生ぬるい風が織羽おりはの頬を撫で、次いで湿った雨の匂いがした。


「おっと、一応も持っていこうか」


 窓から飛び出そうとした織羽おりはだったが、しかし思い留まる。そのままクローゼットの方へと向かい、中に設置された引き出しの二重底をひっぺがす。そこにはいくつかの投擲用ナイフと、例の店からパクってきた蜘蛛糸ロープが入っていた。

 不審者を制圧するだけならば、こんなもの織羽おりはには必要ない。だが時として、こういった分かりやすい武器は便利なのだ。丸腰の状態で『動くな』と警告するよりも、首筋に刃物を当てて警告した方が伝わりやすい。同じ理由で拳銃なども所持しているが、流石に館内には置いていなかった。銃というのは、アレで意外とかさばるのだ。


 織羽おりはが革製のベルト――――レッグホルスターを太腿に巻き、取り出したナイフをすべてそこに収納する。これは星輝姫てぃあらの趣味である。曰く『メイドっていったら、太ももナイフはマストっしょ』とのこと。もちろん織羽おりはにはまるで理解出来なかったが、当時の『もうどうにでもなーれ』状態の織羽おりはは、それを黙って受け入れてしまったのだ。


 そうしてロープを懐に仕舞い、織羽おりははいよいよ窓から飛び出した。部屋は二階に位置しているが、そんなことは何の問題にもならない。例の誘拐事件の時など、高さ三十メートルから飛び降りたのだ。たかが数メートルの高さなど、織羽おりはにとっては平地とさして変わらないのだ。




       * * *




 屋敷の敷地は広いが、駆ければ何分もかかる程ではない。

 織羽おりはは気配を完全に隠し、不審者の背後を取るように迂回しつつ、それでいて素早く対象へ接近する。


 いくら怪しいからといって、いきなり背後から襲いかかってふん縛るわけにもいかない。なにしろ相手はというだけで、何もしていないのだから。敷地内に侵入したわけでもなければ、攻撃を仕掛けてきたわけでもない。これで奇襲でもかけようものなら、たちまち織羽おりはの方がお縄である。


 ともあれ、これといった障害もなく不審者の背後を取ることに成功した織羽おりは。そのまま近くの街灯――高級住宅街に設置されているが故か、無駄に高級そうな街灯だ――の上へと音もなく跳躍する。相手に気づかれた様子はなかった。見れば不審者はつま先立ちになりながら、白凪館の敷地内を覗き込もうとしていた。不審者の正体は随分と小柄で、見た目中学生程度の少女であった。


(え、何……? 覗き? いやいや、あんな少女がこんな夜中に、こんな場所で?)


 まるで状況が分からなかった。

 なんというか――――シンプルな覗きにしては不自然な箇所が多い。


 そもそもこの場所は庭園側で、屋敷本体までは随分と距離がある。仮に外壁の上から敷地内を覗き込めたとしても、真っ暗な庭が見えるだけだろう。そしてこれが如何にもといった容貌の不審者ならばともかく、実際には年端もいかなそうな少女である。凪の風呂でも覗こうとしているのならば、出来れば隆臣のようなオッサンであってほしい。そして何よりも――――


(……あの感じ、多分探索者だよなぁ。それも多分、相当強い。下手すると、この間のなんとかって誘拐犯よりずっと)


 眼下で一生懸命背伸びをしている少女は、明らかに一般人とは違っていた。

 織羽おりはが最初に気配を感じた時から、実は薄々気になっていたことではある。この少女は最初から、のだ。織羽おりはでなければまず気づけないだろう、という程度には巧妙に。つまりはそれだけの実力を持っているということであり、その気になればこの程度の外壁、軽々飛び越えられるだけの身体能力を持っている筈なのだ。


 しかしこの少女はそうしない。何故かは織羽おりはにも分からないが。


 (うーん……分からん! めんどいし、眠いし、とりあえず捕まえるか)


 ちょうど寝る前だった織羽おりはは、この時点でかなり面倒くさくなってきていた。

 考えたところで分からないのだから、さっさと捕獲して吐かせよう。見た目は少女だが、しかし不審者には変わりないのだ。それが高い実力を持つ探索者であれば尚の事、さっさと捕まえた方が話は早いだろう。そう考え、織羽おりはは脚に装備したナイフへと手を伸ばす。


 織羽おりはは街灯の上から跳躍し、一切の音も立てずに着地。そのまま少女の背後へと忍び寄る。

 そうしてナイフを突きつけ、背後から警告を行う。


「動くな」


「――――ッッ!?」


 少女の肩がびくりと揺れる。まさか、いつの間に。そんな声が背中から聞こえてくるような狼狽ぶりであった。

 刹那、少女が振り向きざまにを振り抜いた。


 「なっ――――!?」


 それに反応し、織羽おりはが大きく後退する。

 夜の闇に白銀が閃き、どこからか甲高い音が鳴り響く。それは金属音というよりも、耳鳴りのように不愉快な音だった。


 織羽おりはの傍らには、真っ二つに両断された街灯が転がっていた。


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