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第55話

 事件の翌日。

 白凪学園実習生への襲撃事件は、ニュースや新聞等で大きく取り上げられていた。

 といっても『そういった事件があった』という概要がざっくりと伝えられているだけだ。犯人の情報や実習の参加者など、そうした細かい部分は一切報道されていない。というよりも、そういった情報は全て秘匿されており、一般のメディアには知る術がないのだ。


 今回実習に参加していた生徒達は特待生の二人を除き、全員が上流階級のお嬢様方である。

 事件に巻き込まれただの、怪我をしただの。万一、そうした風聞が立てばだ。故に個人情報については、特に念入りに隠蔽がなされていた。実際は擦り傷を負った者が数人居る程度で、怪我人と呼べるような者などほとんどいないのだが。


 こうした情報操作や隠蔽は、迷宮情報操作室のお家芸である。彼らはダンジョン関係の事件でなければ動かないが、今回はばっちり彼らの管轄だ。裏で暗躍する謎の組織らしく、実に鮮やかな手並みであった。余談だが、こうした情報操作を実際に行うのは織羽おりはが所属している『迷宮情報調査室』ではなく、その分室である『二課』の仕事である。調査室が要請を出し、に承認されれば初めて二課が動く。ひどく回りくどい体系ではあるが、組織とは得てしてそういうものだ。閑話休題。


「おぉ……なんか凄い騒ぎになってますね」


 朝食を終えた後、自身のスマホを眺めながら織羽おりはが呟いた。


「仕方ないわ。ダンジョン実習は多くの学園で行われているけれど、襲撃なんて前代未聞だもの」


 恐らくはこれから数日間、この話題は続くであろう。

 それを想像したのだろう。織羽おりはが淹れた紅茶を飲みながら、凪は少しうんざりとした声音でそう答えた。


 実際に被害を受けた――というよりも狙われた本人だ――凪ではあるが、襲撃犯に関しての情報は何も知らされていない。昨日の今日ということもあるだろうが――――そもそもの話、襲撃犯があの後どうなったのかさえ知らなかった。知ろうと思って知れるかどうか、それすら怪しいと言わざるを得ない。如何に凪が金と地位を持っていたとしても、所詮は一人の小娘に過ぎないのだ。人より出来ることは多いが、だからといって全てを思い通りに出来るわけではない。


「ダンジョン実習なんて即刻禁止にするべきだ、なんて声もあるみたいですねぇ」


「そういう声もあるでしょうね。私に言わせれば的外れな意見だわ。危険なのはダンジョンに限った話じゃないもの」


「それはまぁそうですよね。魔物に襲われたとかならいざ知らず、襲撃なんていつ何処で起こるか分かりませんし」


「強いて言うなら、ダンジョンへの入場をもっと厳しくチェックするべきね。どうやって協会の目を掻い潜ったのかは知らないけれど、そもそも『侵入を許した』という点が問題になるんじゃないかしら」


「協会はこってり絞られるでしょうねぇ……」


「少なくとも、今までより警備レベルが上がるのは間違いないわね。二桁クラスの相手にどれだけ効果があるのかは、甚だ疑問だけれど」


「色んな課題が見えて丁度良かったですね」


「ポジティブ過ぎるわ」


 世論はともかくとして、今回の事件が防げたかどうか。

 正直なところ、凪は『不可能だった』と考えている。今まで同様の事件が起きなかったことからも分かるように、協会とて万全な警備体制を敷いてはいたのだ。それでもなお防げなかったのが今回の事件だ。相手がそこらのチンピラや探索者崩れであれば、問題なくシャットアウト出来ていただろう。だが運悪く、今回はそうではなかった。


 例えば、誰にも見つからないうちに警備を倒されればどうだろうか。一瞬の隙を付いて忍び込まれればどうだろうか。

 どれだけ警備を強化しても、それを上回る力の前では無力だ。上位の探索者とは、それほど理不尽な力を持っているのだ。恐らくは、がそうであるように。完全に防ごうと思えばそれこそ、一桁探索者を警備に雇わなければならないだろう。そして当然ながら、そんなことは不可能だ。故に凪は探索者協会に同情こそすれ、責める気にはなれなかった。


「というよりも……昨日の今日で、お嬢様はよく平静でいられますね。結構な怖い思いをされたと思うのですが」


「当たり前だけど、ちゃんと怖かったわよ? でも……」


「でも?」


「……いえ、なんでもないわ」


「えー」


 少し拗ねたようで、それでいて恥ずかしそうで。

 濁した言葉の奥に何が秘められていたのか、織羽おりはにはまるで見当もつかなかった。


 そうして食後の時間をゆっくり堪能すること暫く。


「ところでお嬢様、今日のご予定は?」


「特に決めていないわね。昨日の今日だし、部屋でのんびり休もうかしら。出かけたいのなら好きにして構わないわよ」


 本日は週末、土曜日だ。

 昨日の事件がなくとも、元から学園は休みである。もちろん学園の関係者は大忙しであろうが。

 先の言葉は、凪なりの気遣いでもあるのだろう。あれだけの事件があったのだから、たまにはメイドの仕事を忘れて羽を伸ばしなさい、と。随分とまぁ丸くなったものである。


 しかし、そんな凪の気遣いが伝わることはなかった。


「うーん……いえ、やめておきます。実は色々手伝って欲しいことがあると、椿姫つばきさんと亜音あのんさんから頼まれていまして。最近は実習の準備で忙しかったので、後回しにしちゃっていて。なので今日は、そっちを片付けてしまおうかと思います。それに――――」


「それに?」


「仕事をしていないと落ち着かないので」


「そ、そう……まぁ貴女がそうしたいのなら、別に構わないけれど……」


 そう言うと、織羽おりはは静かに席を立つ。

 『こいつ、マジか』とでも言いたそうな、凪の胡乱げな視線には気づかずに。


「ではまた、何か御用の際はいつでもお呼び下さい」


 そうしていつものマイ箒(オリハルコン製)を手に、意気揚々と庭へ駆け出していった。


「……はぁ。あの子に回りくどい言い方をするのはダメね」


 紅茶を片手に、凪が独りごちる。

 普段は何でも卒なくこなす万能メイドだが、こういった部分に関しては、織羽おりはは非常にポンコツだった。

 言外に『仕事を休んでゆっくりしなさい』と言うのではダメらしい。ため息を零しつつ窓の外へと視線を向ければ、そこには椿姫つばきと一緒になって、凄まじい勢いで草をむしる織羽おりはの姿が。それを見た凪は、ふたつめの小さなため息を吐き出した。そんな彼女の下へと、新しい紅茶セットを手にした花緒里かおりがやってくる。


「ふふふ。対人スキルという意味では、お嬢様も大差ないですよ?」


「なっ……!」


 ただの対人雑魚主従であった。


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