ダンジョン内での襲撃事件から、ざっくり二週間ほどが経過した。
あれほど大きく報道されていた事件だというのに、今ではほとんど話題に上ることも無くなっていた。人の噂も七十五日などとは言うが、それにしても早い鎮火である。これがただの時間経過によるものなのか、或いは何か別の力が働いたのか。その真相を知るものなど、殆ど居なかった。
そしてそれは、白凪学園内でも同様である。
確かに、事件直後の数日間は色々な噂が飛び交ったものだ。
曰く、国宝院シエラと
曰く、リーナの護衛が全ての敵を蹴散らした。
曰く、既に探索者として活躍していた特待生が果敢に戦った。
曰く、襲撃犯は九奈白凪にひと睨みされ、そのカリスマ性に泣いて謝った。
などなど。
流石はお嬢様学園というべきだろうか。噂には尾ヒレ背ヒレが付くものではあるが、それにしても装飾過多である。
しかし何が嘘でどれが真実かなど、誰にも分からないのだ。それこそ、実習に参加していた者たちでさえも。なにしろあの時あの場に居た者達は、誰もが状況も分からぬままに逃げ帰ったのだ。そもそも、当時の状況を本人たちに聞くことは流石に憚られる。その上で、仮に『どうだったの?』などと聞かれても、ふんわりやんわりとした答えしか返せない。参加者ですら真実を知らない以上、こうして噂が独り歩きするのは当然の帰結である。
圧倒的な実力を持つ襲撃犯を単身で撃退し、全員をほぼ無傷で生還させた
「ふんふーん」
授業の開始を静かに待つ凪の隣で、今日も趣味の裁縫に勤しむ
だからといってサボっていてもよい理由にはならないが。
一体誰に分かるだろうか。こんなふざけたメイドが、実は凄まじい戦闘能力の持ち主であるなどと。
そうして、例の襲撃事件から二週間が経過した現在。
ぐるりと教室内を見回してみれば、お嬢様方は友人たちと、他愛のない世間話に花を咲かせている。高価なものを買っただの、美味しい紅茶がどうだのと。それこそ、まるで先日の事件などなかったかのように。たくましいと言うべきか、はたまた平和ボケしているとでも言うべきか。喉元過ぎればなんとやらとはよく言ったもので、実にお嬢様学園
「あれからまだ二週間しか経っていないのに、すっかりいつもの学園に戻っちゃいましたね」
海外の迷宮都市出身だからだろうか。
凪の隣に座るリーナは、どこか不思議そうにそう呟いた。
「良いことじゃない。大人達が裏で色々と動くのは結構だけれど、それは学生が知る必要のないことだもの」
「そうですけど……」
「いくら大企業や財閥の娘といっても、所詮はまだ十五、六の子供よ。社会の汚い部分なんて、将来嫌でも知ることになるわ。今は学生として青春を謳歌すればいいのよ」
「……凪さんって、たまに鋭めのブーメラン投げますよね」
ちくりと刺すリーナのその言葉は、要約すれば『お前が言うな』である。
自覚があったのだろうか。凪はただ無言で眉を寄せ、渋い顔を作るのみであった。
その後も軽い雑談をしつつ、教師の到着を待つこと暫く。
本来の始業時間よりも十分ほど遅れて、漸く八神教諭が姿を見せた。
「申し訳ありません、遅くなりました」
一般的な学校であれば、あるいは冗談めかした野次のひとつも飛んでいただろう。『先生遅刻ですかぁ?』だとか、そういった類の野次が。
しかしここ白凪学園は、そうしたアットホームな雰囲気――目一杯よく言えばの話だが――とはまるで正反対の校風である。教師が少々遅れた程度で、そんな野次を飛ばす者など一人も居ない。誰もがただ姿勢を正し、次の言葉を黙して待つのみである。
「さて、授業を始める前に……本日より、皆さんと共に勉学に励む生徒を紹介します。まぁ、平たく言えば転校生ですね」
八神教諭の口から放たれた言葉に、流石の淑女予備軍達も俄に色めき立つ。
『まぁ、一体どのような方でしょう!?』だの『お友達になってもらえるかしら!?』だのと、最低限の品位を保ちつつ。
とはいえ無理もない。現在は夏季休暇を目前とした時期である。こんな半端な時期にやってくる転校生など、気にするなという方が難しい。
「凪さん、転校生だそうですよっ! ワクワクしますねっ!」
リーナですらご覧の有様だ。
しかしそんな中、凪だけは眉を顰めていた。
(なんですって? おかしい……私は何も聞いていないし、そもそもうちには途中編入制度なんてないはず……どういうこと?)
九奈白家が経営する学園であるが故に、大抵の事は凪の耳にも入ってくる。
もちろん学園の全てを知っているわけではないが、しかしこと特殊な案件に限って言えば、凪はほぼほぼ知っている筈なのだ。
だが今回の転校生について、凪は何も知らなかった。
そもそも白凪学園は超が付くほどのお嬢様学園であり、その特殊な環境故に、他校からの途中編入を認めていない。つまり転校生など、制度上の理由で絶対に存在しない筈なのだ。これは一体どういう事かと、訝しみながら教室の扉を見つめる凪。その直後、八神教諭の合図とともに、一人の少女が入室してきた。
随分と小柄で、恐らく身長は150センチにも届かないであろう。目の上で綺麗に切り揃えられた黒髪に、少々――――いや、かなり派手な色をしたヘアエクステンション。少々タレ目がちで幼く見える顔だが、何故だか不安を掻き立てられるような、そんな濁った眼差し。制服はよく似合っているが、しかしよく見れば細部のデザインが通常のものとは異なる。所作が特別目立つということもないが、どこぞのお嬢様とも思えない。
一言で言えば、ひどく『異質』な少女であった。
(大抵の金持ち娘は見たことがあるつもりだけれど……知らない子ね。あんなに目立つ外見なら、一度見たら忘れないと思うのだけれど……あら?)
ふと、凪が隣の席へと視線を送る。
先程まで裁縫に夢中だった筈の
「なん……だ……ですと?」
まるでうわ言のように、訳のわからない言葉を呟く
基本的には憎たらしい程の真顔でいることが多い
「ちょっと
不思議そうに顔を覗き込む凪だが、しかし
(クソっ、あのゴリラ……やりやがったッ! アイツ馬鹿なの? 死ぬの?)
八神教諭に促されるまま、教壇の上へと歩を進める転校生。
(どういうつもりだよあのカスゴリラ! 誰が
そんな
妙にねっとりとした自己紹介と共に、じっとり湿度たっぷりな視線を、最後列に座る
「ウフフ。