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第56話

 ダンジョン内での襲撃事件から、ざっくり二週間ほどが経過した。

 あれほど大きく報道されていた事件だというのに、今ではほとんど話題に上ることも無くなっていた。人の噂も七十五日などとは言うが、それにしても早い鎮火である。これがただの時間経過によるものなのか、或いは何か別の力が働いたのか。その真相を知るものなど、殆ど居なかった。


 そしてそれは、白凪学園内でも同様である。

 確かに、事件直後の数日間は色々な噂が飛び交ったものだ。


 曰く、国宝院シエラと花車騎士ガーベラ・ナイツが凶悪犯をとっちめた。

 曰く、リーナの護衛が全ての敵を蹴散らした。

 曰く、既に探索者として活躍していた特待生が果敢に戦った。

 曰く、襲撃犯は九奈白凪にひと睨みされ、そのカリスマ性に泣いて謝った。


 などなど。

 流石はお嬢様学園というべきだろうか。噂には尾ヒレ背ヒレが付くものではあるが、それにしても装飾過多である。

 しかし何が嘘でどれが真実かなど、誰にも分からないのだ。それこそ、実習に参加していた者たちでさえも。なにしろあの時あの場に居た者達は、誰もが状況も分からぬままに逃げ帰ったのだ。そもそも、当時の状況を本人たちに聞くことは流石に憚られる。その上で、仮に『どうだったの?』などと聞かれても、ふんわりやんわりとした答えしか返せない。参加者ですら真実を知らない以上、こうして噂が独り歩きするのは当然の帰結である。


 しかして、織羽おりはの名前はほんの僅かにすら話題にはならなかった。

 圧倒的な実力を持つ襲撃犯を単身で撃退し、全員をほぼ無傷で生還させた織羽おりは。しかしその事実を知るのは凪とルーカスだけだ。その場にはリーナも居たが、当時の彼女はルーカスの指示に従って行動しただけなので、やはりこの事実は知らない。更にルーカスは普段学園外で待機しているため、そういう意味では、真実を知るのは凪だけとも言える。つまり織羽おりはを取り巻く環境には、何ら変化がなかったということだ。


「ふんふーん」


 授業の開始を静かに待つ凪の隣で、今日も趣味の裁縫に勤しむ織羽おりは。学内では、特に授業前は一切の仕事がないのだ。

 だからといってサボっていてもよい理由にはならないが。

 一体誰に分かるだろうか。こんなふざけたメイドが、実は凄まじい戦闘能力の持ち主であるなどと。


 そうして、例の襲撃事件から二週間が経過した現在。

 ぐるりと教室内を見回してみれば、お嬢様方は友人たちと、他愛のない世間話に花を咲かせている。高価なものを買っただの、美味しい紅茶がどうだのと。それこそ、まるで先日の事件などなかったかのように。たくましいと言うべきか、はたまた平和ボケしているとでも言うべきか。喉元過ぎればなんとやらとはよく言ったもので、実にお嬢様学園その光景に、凪はいっそ安心感すら覚えていた。


「あれからまだ二週間しか経っていないのに、すっかりいつもの学園に戻っちゃいましたね」


 海外の迷宮都市出身だからだろうか。

 凪の隣に座るリーナは、どこか不思議そうにそう呟いた。


「良いことじゃない。大人達が裏で色々と動くのは結構だけれど、それは学生が知る必要のないことだもの」


「そうですけど……」


「いくら大企業や財閥の娘といっても、所詮はまだ十五、六の子供よ。社会の汚い部分なんて、将来嫌でも知ることになるわ。今は学生として青春を謳歌すればいいのよ」


「……凪さんって、たまに鋭めのブーメラン投げますよね」


 ちくりと刺すリーナのその言葉は、要約すれば『お前が言うな』である。

 自覚があったのだろうか。凪はただ無言で眉を寄せ、渋い顔を作るのみであった。


 その後も軽い雑談をしつつ、教師の到着を待つこと暫く。

 本来の始業時間よりも十分ほど遅れて、漸く八神教諭が姿を見せた。


「申し訳ありません、遅くなりました」


 一般的な学校であれば、あるいは冗談めかした野次のひとつも飛んでいただろう。『先生遅刻ですかぁ?』だとか、そういった類の野次が。

 しかしここ白凪学園は、そうしたアットホームな雰囲気――目一杯よく言えばの話だが――とはまるで正反対の校風である。教師が少々遅れた程度で、そんな野次を飛ばす者など一人も居ない。誰もがただ姿勢を正し、次の言葉を黙して待つのみである。


「さて、授業を始める前に……本日より、皆さんと共に勉学に励む生徒を紹介します。まぁ、平たく言えば転校生ですね」


 八神教諭の口から放たれた言葉に、流石の淑女予備軍達も俄に色めき立つ。

 『まぁ、一体どのような方でしょう!?』だの『お友達になってもらえるかしら!?』だのと、最低限の品位を保ちつつ。

 とはいえ無理もない。現在は夏季休暇を目前とした時期である。こんな半端な時期にやってくる転校生など、気にするなという方が難しい。


「凪さん、転校生だそうですよっ! ワクワクしますねっ!」


 リーナですらご覧の有様だ。

 しかしそんな中、凪だけは眉を顰めていた。


(なんですって? おかしい……私は何も聞いていないし、そもそもうちには途中編入制度なんてないはず……どういうこと?)


 九奈白家が経営する学園であるが故に、大抵の事は凪の耳にも入ってくる。

 もちろん学園の全てを知っているわけではないが、しかしこと特殊な案件に限って言えば、凪はほぼほぼ知っている筈なのだ。


 だが今回の転校生について、凪は何も知らなかった。

 そもそも白凪学園は超が付くほどのお嬢様学園であり、その特殊な環境故に、他校からの途中編入を認めていない。つまり転校生など、制度上の理由で絶対に存在しない筈なのだ。これは一体どういう事かと、訝しみながら教室の扉を見つめる凪。その直後、八神教諭の合図とともに、一人の少女が入室してきた。


 随分と小柄で、恐らく身長は150センチにも届かないであろう。目の上で綺麗に切り揃えられた黒髪に、少々――――いや、かなり派手な色をしたヘアエクステンション。少々タレ目がちで幼く見える顔だが、何故だか不安を掻き立てられるような、そんな濁った眼差し。制服はよく似合っているが、しかしよく見れば細部のデザインが通常のものとは異なる。所作が特別目立つということもないが、どこぞのお嬢様とも思えない。


 一言で言えば、ひどく『異質』な少女であった。


(大抵の金持ち娘は見たことがあるつもりだけれど……知らない子ね。あんなに目立つ外見なら、一度見たら忘れないと思うのだけれど……あら?)


 ふと、凪が隣の席へと視線を送る。

 先程まで裁縫に夢中だった筈の織羽おりはが、アホみたいな顔で転校生を見つめていた。


「なん……だ……ですと?」


 まるでうわ言のように、訳のわからない言葉を呟く織羽おりは

 基本的には憎たらしい程の真顔でいることが多い織羽おりはにしては、随分と珍しい表情であった。少なくとも凪は見たことがなかった。


 「ちょっと織羽おりは……? どうしたの?」


 不思議そうに顔を覗き込む凪だが、しかし織羽おりはにとってはそれどころではなかった。


(クソっ、あのゴリラ……やりやがったッ! アイツ馬鹿なの? 死ぬの?)


 八神教諭に促されるまま、教壇の上へと歩を進める転校生。

 織羽おりははそれを見下ろしながら、ありったけの怨嗟を内心で吐き散らしていた。恐らく今頃はゲラゲラと笑っているのであろう、ここには居ない迷惑な上司へと。


(どういうつもりだよあのカスゴリラ! 誰がって言ったんだよアホカスぅ! あー最悪! 意味わかんない。っていうかひそかさんは!? あの人が居てこんなことになる!? 止めなかったの!? なんでぇー!?)


 織羽おりはの脳内では、いくつもの疑問だけがぐるぐると渦を巻いていた。

 そんな織羽おりはの都合など知らぬと言わんばかりに、転校生が壇上で口を開く。

 妙にねっとりとした自己紹介と共に、じっとり湿度たっぷりな視線を、最後列に座る織羽おりはへと向けながら。


 「ウフフ。天久あめくクロアだよぉ。みんなよろしくねー♡」



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