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第78話

 九奈白本島とKCCを行き来するには、東西に架かったふたつの連絡橋を渡るしかない。

 しかし厳密にはもうひとつだけ、普段は使用されていないルートがあった。有事の際の避難用に作られた、巨大な海底トンネルである。


 両島間の距離がそれほど離れているわけではないため、トンネルの長さは然程でもない。

 しかし車両も通れるようにと作られており、横幅は非常に広かった。大型車両であっても、ゆうに四台は並んで通過できるだろう。もちろん普段は使用されていないため、現在は非常灯の灯りが仄かに道を照らすのみである。そんな薄暗く静かで、ひんやりとした空気で満ちたトンネルの中を、一人の男が歩いていた。


 瞳に濁った光を宿す、長身痩躯の男。

 ふたつの連絡橋に魔物を放り込んだ張本人、アールだ。


 『黒霧ヘイズ』幹部の一人、アールは非常に用心深い男だ。

 そもそもアールは部下に指示を出すばかりで、現場には殆ど姿を見せない。それは本人の技能スキルが非戦闘系であるが故だ。確かにアールは素の戦闘能力も高く、技能スキルを持たない四桁以下の探索者程度では、まるで相手にならない力を持っている。特にナイフを使った戦闘術などはかなりのものだ。しかし逆を言えば、所詮はその程度でしかない。今回の様に魔物を利用することも出来るが、だからといって別に魔物を使役出来るわけではないのだ。最悪の場合、自らが放った魔物に殺されてしまう可能性すらある。そうした理由もあって、戦闘系技能スキルを持った高位の探索者が相手となれば、アールの勝ち目は低いのだ。だからこそ今回も、陽動のために魔物を放った。自身の侵入がバレぬように。


 特殊な技能を用いて裏で糸を引く、保身に長けた男。

 アールという男を端的に表現すれば、概ねそんなところだろう。そしてそんな臆病な男が何故、こんな場所を一人で歩いているのかといえば。


「くそ……、この俺を顎で使いやがって……ッ」


 偏に自分では太刀打ち出来ない程、恐ろしい相手に命じられたからであった。

 今はこうして悪態を吐いているアールだが、直接本人に文句をいうことなど出来はしない。あの女――――ナインの機嫌を損ねればどうなるか、彼は嫌と言うほど理解していた。そもそもからしてアールは、ナインから蛇蝎の如く嫌われているのだ。同じ組織に所属し、同じ幹部という地位にありながら、しかしとてもではないが敵わない相手。目をつけられた時点で、声をかけられた時点でお終いの歩く天災。それがアールから見たナインという女であり、彼の抱える劣等感の源でもあった。


「チッ……今に見てやがれ。いつか必ず殺してやる」


 目の前を飛んでいた一匹の羽虫を叩き落とし、ぎりと奥歯を軋らせる。

 同じ組織の一員とはいえ、所詮『黒霧ヘイズ』は犯罪組織だ。利害が一致しているからつるんでいるというだけで、断じて仲間などではない。アールは自分のことしか考えていないし、それはナインも同じだろう。どうすれば自分がボスの椅子に座れるか、アールにとって重要なのはそれだけだった。


 そうしてアールがぶつぶつと、一人文句を言いながら歩くこと暫く。

 彼の眼前にはトンネルの終着点、巨大なゲートが姿を現していた。このゲートを潜ればKCCの中心、展望台の地下へと抜けることが出来る。流石は世界有数の迷宮都市というべきだろうか、トンネルを封鎖する形で聳えるそのゲートには、惜しむことなくダンジョン産の資源が投入されていた。ゲートの開閉は、または現地でキーを使うことにより行う仕組みだ。鉄程度の素材であればともかく、とても強引に破れるような作りではない。


「さァて……」


 ポケットを弄り、アールが取り出したのは一枚のカードキー。

 このトンネルに進入する直前、から渡されたものだ。数週間前に会場スタッフとして潜り込ませ、設営準備の段階から警備の穴や脆弱な箇所などを報告させている。もちろんその内通者は既に、口封じの為始末してある。敵だろうと味方だろうと、アールにとって利用価値のないものはゴミと同じなのだ。


 そうしてゲートの脇へと設置された端末の前に立ち、アールがカードキーを通そうとしたその時だった。

 重厚な音と振動を伴い、ゲートがひとりでに開き始めた。もちろんアールはまだ何もしていない。


 (なんだと……? 警備にバレた……いや、早すぎる。よしんばそうだとして、なら敵は後方から追いかけてくる筈……どういうことだ?)


 勝手に開いてラッキー、などと思えるほど楽観的でもない。あからさまに不審な現象にアールは眉を潜め、油断なく静かに警戒を始める。そうしてたっぷり二分ほどをかけ、漸くゲートが開いた。ゲートの向こう側――――アールが向かおうとしていた先から現れたのは、少女であった。


「やっほぉー、ひさしぶりぃ」


 どこか間延びした、酷く呑気な声。

 それを聞いた途端、アールの顔にはわかりやすい『怒り』が浮かんでいた。


「テメェ……よくもまぁ俺の前にツラが出せたもんだな、えぇ?」


「ボクだって、アンタのキモいツラなんて二度と見たくなかったけどねぇ。これもお仕事だから仕方ないよねぇ」


「この尻軽が……ウチの組織にはマトモな女はいねェのかよ、なぁオイ黒鴉」


「あはは、気安く呼ぶなよオッサン」


 裏切られた者と、裏切った者。それらを考えれば、アールの言葉は尤もなものであった。

 しかしクロアはまるで悪びれもせず、それどころかポケットに手を突っ込んだまま、アールに向かってひと睨みをくれた。如何に相手が犯罪組織といえど、裏切った側が取るにしてはあまりにもデカすぎる態度であった。


「……どうして俺の居場所が分かった?」


「逆になんでバレてないと思ったワケ? 監視なんてされてるに決まってるじゃん」


「舐めるなよクソガキ。監視カメラは避けたし、警備も気づかれる前に潰した」


 くすくすと、まるで小馬鹿にするかのように笑うクロア。


「オッサンさぁ……ここに来る途中で、羽虫を一匹潰したでしょ? ほら、コレと同じヤツ」


 そう言ってクロアが指差す先には、ふよふよと力なく漂う羽虫が一匹。何処にでもいるような指先サイズで、この薄暗いトンネル内であればそれこそ、纏わりつかれでもしなければ気付けないほど。それは先ほどアールが手で払い、叩き落としたものと同じ羽虫だった。しかしそれが何だというのか。確かに人の寄り付かない非常用トンネルではあるが、虫の一匹も居ないワケではない。よもや仲間を殺された報復に、虫が仇の居場所を知らせたわけでもあるまいし。


 アールがそう言葉にしようとするより前に、クロアは答えを告げた。

 まるで悪戯に成功したかのような、小悪魔的な笑みを浮かべて。


「これさぁ、虫じゃなくてカメラなんだよ。めぼしいところには事前に撒いてあるんだ」


「……チッ」


「普通は気づくと思うけどねぇ……オッサンさ、もう随分長い間自分で戦ってないでしょ? 耄碌したんじゃなぁい?」


 終始小馬鹿にした態度のクロアだったが、最後の言葉には侮蔑が込められていた。クロアは相手の内面を見抜く能力に長けている。戦闘好きのクロアからすれば、自ら手を汚すことのないアールはただの卑怯者、或いは臆病者なのだ。クロアが必要以上に舐めた態度を取っているのは、偏に彼女がアールを毛嫌いしているからであった。


 一方のアールはといえば、もはや爆発寸前だ。

 居場所がバレて先回りされたこともそう、裏切り者の小娘からバカにされたこともそう。組織内でどれほど高い地位にいようとも、アールの器は本質的に小さいのだ。平時よりナインから軽く見られていることも相まって、既に彼の我慢は限界を迎えていた。


「舐めやがって……ッ! 俺がガキに優しいように見えんのか、えぇオイ? ぶっ殺すぞテメェ」


「あははは! 出来ない事は口にしない方がいいんじゃなぁい? 魔物を撒くか、無抵抗の弱者を虐めるくらいしか出来ないくせに。やーい、ざぁーこ♡」


 終わらないクロアの挑発に、アールはいよいよナイフを取り出す。そうして慣れた手つきでくるくると、まるで威嚇でもするかのようにナイフで遊んでみせる。とても耄碌しているとはおもえない、熟達した刃物捌きであった。どうやら怒りのあまり、もはや言葉すら出ないらしい。ただただ怒りを湛え、ぎろりとクロアを睨みつける。


 そんな狂気の男を見ても、しかしクロアの表情は変わらない。

 ちろりと、僅かに唇を舐める。そうして微笑みを浮かべ、アールに手招きをしてみせた。


「かかって来なよ。このあとオッサンが見る走馬灯、全部ボクの顔にしてあげる」

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