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第77話

 嵐の中、スーツ姿の中年たかおみが全力で走っていた。

 もちろんそこらの一般人よりは余程早い。探索者としても早い部類ではある。


「司令部より『ゴリラ』へ。もっと急いで下さい」


「わぁーってるよ、俺は長距離走苦手なの! 鈍足パワータイプっつーか、持久力より瞬発力が持ち味の男なんだよ!」


「ああ、力士タイプですね」


「いやまぁそうだけど、何か棘ある言い方だなオイ!」


 戦闘で必要なのがどちらかといえば、もちろん瞬発力のほうだろう。場所がダンジョン内ならば特にそうだ。何日も戦い続けるわけではないのだから、前衛だろうと後衛だろうと、瞬間的に素早く動ける者こそが有利だ。故に探索者は皆、基本的には瞬発力を鍛える。鈍足パワータイプを自称するだけあって、元探の隆臣もその例に漏れなかった。それでも物足りなさを感じるのは、やはり比較対象が悪いからであろうか。


織羽おりはならとうに現着していますよ」


「うっせぇ! あんなバケモンと一緒にすんな! こちとら四十超えたオッサンなんだぞ!」


「とにかく急いで下さい。敵は鎧獅子レオナールが一体、治安維持部隊ガーデンも存外凌いでいますが、長くは保ちませんよ」


 隆臣が向かっているのは東連絡橋、つまりは大型魔物が現れた場所だ。

 探索者界隈では魔物を危険度で分類している他、その大きさによっても区分が成されている。


 『カテゴリーA』は小型を指す。

 西連絡橋に現れた狼などがこれに該当し、単体での脅威度はそれほどでもない場合が多い。しかし群れを形成していることがほとんどで、場合によっては中型よりも危険な存在になりかねない。つまりは熟練の探索者であっても、決して油断の出来ない相手だ。


 『カテゴリーB』は中型を指す。

 読んで字の如く、人間と同程度か少し大きい程度の魔物をそう呼ぶ。単体の脅威度が小型よりも上がり、基本的には五体以下でしか遭遇することはない。


 そして『カテゴリーC』は大型の魔物を指して呼称する。基本的には単独で姿を見せ、大きさは大型トラック程度にまで膨れ上がる。その個体脅威度は小型や中型のそれとは比較にもならない、階層主などといった所謂『ボスモンスター』がこれに該当する。今回東連絡橋に出現したのはコレであり、中でも鎧獅子レオナールは脅威度が中に設定されている。その名の通り強固な外殻に包まれており、『小夜啼』の威力を以てしても倒しきれない耐久力を持つ。仮に治安維持部隊ガーデン本隊の増援が間に合ったところで、対人装備の部隊に倒せる相手ではなかった。


 故にひそか治安維持部隊ガーデン上層部へと連絡を入れる際、増援は西側へ送るようにと伝えた。東側は迷宮情報調査室こちらで対処する、と。

 迷宮情報調査室は念入りな下見により、敵の出現予想地点とを十分に用意していた。だからこそ出現と同時に動き出せたし、治安維持部隊ガーデンよりも早く行動を開始することが出来た。しかし当然ながら、敵の出現位置を完全に特定することは出来ない。初期配置から離れた場所に出現した場合、発見することは出来ても、現着までにタイムラグが発生してしまうのだ。そのタイムラグを埋めるため、隆臣が必死に走っているというわけなのだが――――悲しいかな、隆臣は遅刻していた。


 なお、九奈白嵐士の護衛については問題ない。何故なら彼はこの日、偽の参加情報だけを流して会場入りしていないからだ。朝から雨が降っていた時点で襲撃を予見した隆臣が、嵐士の会場入りを差し止めた。今頃は自宅か市庁舎で、大量のボディーガードに囲まれながら仕事をしていることだろう。


ひそか今何キロォ!?」


「その林を抜けた先です。もうじき現場を目視出来るかと」


 細かな木々をへし折りながら、雑木林の中を隆臣が駆ける。

 その程度で怪我をすることなどありはしないが、濡れた葉や草が強風に舞い、度々隆臣の頬を打つ。


「くそッたれ! クロアとポジション変わっとけば良かった!」


「つべこべ言わずに走って下さい。ほら、そろそろ抜けますよ」


 通信越しに煽られるまま、小さな植え込みを飛び越え、林の中から隆臣が飛び出す。ひそかの言う通り、東連絡橋前広場の戦いはあまりよいとは言えない戦況であった。折れ曲がった街灯、地面に奔る深い爪痕。辛うじて陣形を維持しつつも、攻め込めずにいる治安維持部隊ガーデン。彼らの中には、ぐったりとして動かない者も数名見受けられる。そして広場の中央には、治安維持部隊ガーデンの部隊を睥睨する巨大な魔物の姿。成程確かに、長くは保たないであろう有り様だった。


「っと……あんま冗談言ってられる状況じゃねェなこりゃ」


 隆臣がネクタイを軽く緩め、首を軽く鳴らし、治安維持部隊ガーデンの背後からゆっくりと歩み寄る。あれだけ走り続けていたというのに、呼吸の乱れは微塵もなかった。そうして部隊のすぐそばまでやって来て、そこで漸く防衛部隊の隊長が隆臣に気づく。


「なっ……いつの間に!? 待て、今ここは立ち入り禁止――――って、アンタもしかして……あの天久隆臣か!? いや、天久さんですか!?」


「おう、ご苦労さん」


 迷宮情報調査室の職員は、基本的に正体を隠して行動することが多い。そもそも組織の存在自体を知っているものが少ないし、任務の性質上表立って動くわけにはいかないからだ。先程隆臣が言っていたように、もし本当にここへ来たのがクロアであったなら、要らぬ問答が発生した可能性は高いだろう。しかし迷宮情報調査室の職員の中で唯一、隆臣だけは広く顔を知られている。もちろん『迷宮情報調査室長』という本当の肩書を知る者など居ないが、『国内最高位の探索者』『六位』という肩書ならば誰もが知っている。或いはそうした諸々も含めて、ひそかはここの救援に隆臣を選んだのかもしれない。一番の理由は『近いから』であろうが。


「退いてろ。俺がやる」


 隆臣の登場に、治安維持部隊ガーデンは戸惑いつつも静かに陣形を崩し、道を開ける。一方で、鎧獅子レオナールもまた動きを止めていた。野生の勘、或いは嗅覚とでもいうのだろうか。隆臣の纏う強者の気配を感じ取り、警戒するように唸り声を上げていた。


 鎧獅子レオナールという魔物は、確認されている魔物の中でも相当強い部類だ。

 国内最上位クラスのパーティが複数、或いは『黄金郷エルドラド』のようなトップギルドが精鋭を集めて狩る相手。間違っても一人で戦う相手ではない。加えて現在の隆臣は徒手空拳に黒スーツ、つまりは防具も何もない無課金装備である。如何に『六位』といえど、流石に危険なのではないか。その場の治安維持部隊ガーデン員達は誰もがそう思った。それでも異を唱えられないのは、偏に隆臣の纏うオーラの所為だろうか。


「ホラ、来いよデカ猫」


 人語を解しているわけでもあるまいに、しかし鎧獅子レオナールはその一言に激昂し、瞬発する。その姿はまるで、最高速に達した大型車両のようであった。車両とは異なる部分といえば、それがほとんど停止状態から始まったということ。つまりは加速の化け物だ。長い距離を助走の果てにたどり着いた速度ではない。一瞬で、本当にいきなり目の前に現れたのだ。辛うじて反応は出来ても、気付いた頃には既に対処不能。まるで今までの戦闘がただのお遊びに思えてしまう程の、そんな突進だった。


 現に隆臣の背後にいた治安維持部隊ガーデン員達は、誰一人として動けなかった。足が竦んだとか、恐怖したとか、そういうことではない。ただあまりにも急な接近であったため、脳の処理が追いつかなかったのだ。しかし当然ながら隆臣は違う。この場でただ一人、不敵な笑みを浮かべながら鎧獅子レオナールを見つめていた。


 隆臣はゆっくりと、まるで弓弦ように右腕を引き絞る。

 彼が何をしようとしているのかなど一目瞭然だった。これは『今から殴りますよ』という合図、つまりはテレフォンパンチである。ボクシングなどの対人戦に於いて、それは悪いパンチの見本とも言われている。しかし魔物が相手となれば話は違う。スペック面では明らかに魔物側が上であり、それを分かっているのか、魔物は基本的にフェイントなどを使用しない。つまり対魔物戦に限って言えば、力を込めやすいテレフォンパンチは最善手たり得るのだ。無論全ての魔物に通用する手だとは一概に言えないが、少なくとも鎧獅子レオナールのような獣形には効きやすい。敵は探索者という存在を舐めているのだから。


 身体能力は人間が下で、魔物が上。いくら大振りの方が力を込めやすいといっても、所詮は格下の攻撃に過ぎない。故に一撃食らったところで仔細なし。恐らく魔物側はそう考えているだろう。それも間違ってはいない。そこらの探索者が鎧獅子レオナールを殴りつければ、それこそ腕の方が使い物にならなくなる。もしこの時の鎧獅子レオナールに思い違いがあったとすれば、それは目の前の人間がということだろうか。


「ぬオラァァァァッッ!」


 敵を食いちぎらんとする鋭牙と、ごくごく普通の大振りパンチ。

 ふたつが交錯し、広場内へと凄まじい衝撃を伝える。後ろで見ていた治安維持部隊ガーデン員たちは、あまりの迫力につい目を閉じてしまった程だ。そうして暫くの後、広場には静寂が訪れる。隊員たちがゆっくりと目を開いた時、そこにあった光景は――――。


「痛ってぇ……チッ、ちょっと血ィ出たじゃねぇか」


 悪態を吐きながら拳をハンカチで拭う隆臣と、肉片となって宙を舞う鎧獅子レオナールの残骸であった。

 一撃、ただの一撃だ。見る者全ての言葉を奪うには、それは十分過ぎるほどの威力を持っていた。

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