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第90話

 総会は予定通りに三日目の本会議を終えた。

 三日目には特に何の事件も発生せず、ほぼほぼ例年通りの会議となっていた。


 二日目には展望台の崩落というハプニングこそあったものの、会議棟には一切の被害がなく、怪我人等も皆無。加えて凪による事情説明や、事後の対応も迅速であったためだ。初日と二日目に行われた展示の評判もよく、参加していた国内企業の殆どが、新規顧客という確かな成果を手にした。これにより国内のダンジョン産業は、より一層の飛躍を遂げることとなるだろう。


 結果として、今回の総会は間違いなく成功と呼べるものとなった。

 その裏側で起こっていたあれこれについては、当然ながら表に出る筈もない。強いて言えば、紙袋を被った不審な二人組が会場内で目撃されたくらいだろうか。とはいえまさか天下の九奈白家令嬢が、そんな意味不明な行動に出ているなどと、一体誰に想像出来るだろう。その些細な報告は、総会成功のニュースに隠れてひっそりと消え去った。


 そのついで、皇グループのトップが退任するというニュースもあった。

 しかしそれもまた、多くの一般人にとってはどうでもよい話である。結局大した話題にもならず、やはりすぐに忘れられていった。


 そして総会終了から数日後。

 凪が参加するということもあり、近頃は総会関係の仕事でバタバタとしていた白凪館であったが、今ではすっかり普段と変わらぬ日常を取り戻していた。

 二日目にはやむを得ずマイクを手にしたりもした凪だが、元より彼女は一企業のトップとして参加したに過ぎず、九奈白家を代表していたわけではない。多少は父の仕事を手伝ったりもしたが、所詮はその程度でしかない。凪は総会での疲れを癒やすかのように、のんびりとしたひとときを居間パーラーで過ごしていた。


 そう、凪が居るのは居間パーラーだ。自室ではない。

 総会が終わってからというもの、凪は居間で寛ぐことが増えていた。これには花緒里かおり亜音あのん椿姫つばきも目を丸くした。部屋から出てくること自体は増えていたが、まさか何の理由もなく居間で寛ぐ姿が見られるとは。確かに近頃はデレ期――本人は否定しているが――に入っていた凪だが、それでもやはり珍しいことだった。ちなみに本人曰く『自室に一人で居ると、無駄にいろいろ考え込んでしまうから』とのことである。


 凪が技能スキルに目覚めたことは、亜音あのん椿姫つばきには伝えられていない。何も仲間外れにしようだとかそういったつもりではなく、単に『あの子達が知ったら、変に気を使われそうだから』という理由からだ。つまりは使用人に対して気を使っている、或いは心配されたくないという凪の気持ちの表れだろう。再び他人を信じるようになった凪の姿に成長ぶりを感じたのか、花緒里かおりもニコニコ笑顔であった。


 白凪館の居間には、大きなグランドピアノが設置されている。金額にして三千万円をゆうに超える、某有名メーカーの最高級ピアノだ。

 紅茶をゆっくりと口に含みつつ、心地よいピアノの音色に耳を傾ける凪。弾いているのは勿論織羽おりはである。凪が一人で寛いでいるところに現れ、徐ろにピアノを弾き始めたのだ。有名なクラシック曲に始まり、近頃流行りの曲や、どこで覚えたのかアニソン・ゲーム音楽の類まで。凪には分からない楽曲も多かったが、織羽おりはは無駄に大量の引き出しを持っていた。おまけに、そのどれもが無駄に上手い。立場上、芸術方面にはそれなりに明るい凪が聞いても、プロの演奏と違いがわからないほどであった。


 惜しむらくは、この演奏を聴いている者が凪一人ということだろうか。

 他の三人のメイド達は現在、買い出しなどの理由で各々外出している。ある意味独り占めの状況だったが、出来れば他の三人にも聴かせたかったと、凪はそう感じていた。


 そうして演奏が終わった後、凪は呆れたかのように口を開いた。


「……貴女、本当になんでも出来るのね」


「なんでもというわけでは……あとはヴァイオリンとカスタネット、タンバリン芸くらいが精々です」


「楽器に優劣をつけるつもりはないけれど、落差が凄いわね……タンバリン芸?」


「カラオケなんかで盛り上がりますよ。行ったことないですけど」


 などと怪しいセリフを吐きつつ、織羽おりはがピアノの屋根を閉じる。たったそれだけの所作から、凪は目を離せなかった。

 美しく洗練されたその動きは、自称パーフェクトメイドに相応しい優雅さといえるだろう。少なくとも、戦闘を生業にしている者の動きとは思えなかった。


 そうして居間に静寂が訪れる。紅茶を飲む凪と、それを微笑みながら見守る織羽おりは

 織羽おりはと二人きりのこの時間が、凪には不思議と心地よかった。こうして誰かと二人きりの状況など、以前までの凪であれば酷く不快に感じていたというのに。


 そんな静寂の中、織羽おりはが口を開く。

 先日林の中で見せたものと全く同じ、酷く真面目な表情で。何か空気が変わったような、そんな気がした。


「実は、お嬢様にお話があるんです」


「……何かしら? 珍しく真面目な顔をして、なんだかちょっと怖いわね」


 眉を顰め、凪が手にしたティーカップを静かに置く。

 そういえば確かに、今日の織羽おりはは呼んでも居ないのに現れた。それはつまりというわけだ。凪は酷く不安を掻き立てるような、嫌なものを胸に感じた。


「実は私――――お嬢様に隠していることがあるんです」


「……誰だって隠し事のひとつやふたつ、あるのが普通だと思うけれど? というより、今更じゃないかしら? 私はもう、貴女の上司とだって直接会っているのよ?」


 織羽おりはの言う隠し事など、凪はもう知ってしまっている。

 それは織羽おりはがメイドではなく、どこぞの組織に所属する戦闘員だということ。直接の上司である天久隆臣と出会った時点で、それは今更以外のなにものでもなくなっている。それでも凪は、総会二日目のあの日から今日まで――――否。初めて織羽おりはに救われたあの日から、彼女は敢えて何も聞かずにいた。織羽おりはがどこの誰であろうとも、凪にとっては既に些細な事となっていたから。


 しかし、織羽おりはが今話そうとしているのは、どうやらその事ではないらしい。


「いえ、お嬢様が今想像しているものとは別の事です。そして本来はきっと、話す必要のないことです」


「……? 話が見えないわね。話す必要がない隠し事を、わざわざ打ち明けようというのかしら?」


「……気づいておられないかもしれませんが、私はお嬢様に救って頂いたんです。そんなお嬢様に嘘をついたまま、白凪館ここを離れる事は出来ません」


 凪の心臓がどきりと跳ね、その切れ長の瞳が見開かれる。

 嘘をついていた? 否、そんなことはどうでもいい。それよりも、このメイドはその後になんと言った?


「貴女……今、なんて……」


 突然の事に耳を疑い、珍しく動揺を露わにする凪。

 しかし織羽おりははただ、そっと微笑むだけであった。


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