九奈白市内にある高層ビルの一室にて。
でっぷりとした腹に、てかてかと脂ぎった顔。
「どうなってる!? 報告はまだか!?」
「は……その、実行チームからの連絡はまだ……」
「精鋭ではなかったのか!? 小娘を一人始末するだけの仕事に、一体どれほど時間をかけている!?」
それは叱責ではなく、ただの八つ当たりだった。
皇グループは国内のダンジョン産業に於いて、九奈白家に次ぐ地位にある。だが如何に二番手といえど、九奈白との間には大きな隔たりがある。国内トップどころか、世界にすらその名を轟かせている九奈白とは比べ物にもならない。つまり皇にとっての九奈白とは、『目の上にできた、絶対に治らないたんこぶ』のような存在なのだ。
そんな劣等感まみれの彼が部下に命じたのは『九奈白凪の誘拐または暗殺』である。
テロによる総会の失敗と、後継者である娘の身柄、或いは九奈白嵐士本人の暗殺。これらを併せ、九奈白を表舞台から引きずり下ろす算段であった。
本来の予定では、総会前にケリをつけるつもりでいた。
故に海外の犯罪組織である『
しかし蓋を開けてみればどうだ。
悪名高い『黒霧』は娘の身柄確保にことごとく失敗し、そして九奈白嵐士本人には『六位』が護衛に付いてしまった。その結果、総会は予定通りに開催されてしまう。そうして龍造はいよいよ痺れを切らし、最後のチャンスである総会二日目に行動を起こした。自社所属の荒事専門チームによる、九奈白凪への襲撃計画を。
子煩悩で有名な九奈白嵐士のことだ。間違いなく娘には護衛を付けていることだろう。
しかしそれでも、龍造は成功を信じて疑わなかった。襲撃チームは現役・元探索者で構成された腕利きのチームだ。少数の護衛など問題にはならない。
直前の報告では、メイドが二人付き添っているだけとのこと。護衛が付いているだろうと考えていた龍造にとって、これはまたとない好機だった。金に物を言わせて集めた襲撃チームだ、難なく達成出来るに違いない。ごくごく簡単な仕事、殆ど子どものお遣いも同然の仕事。そう思っていた。
しかし今、報告が一切届かない。
作戦決行を告げてから、既に一時間以上が経過しているというのに、だ。
「もしかすると、通信機器が故障したのやも……」
「チームの全員分がか!? そんなわけがあるかッ! いいからさっさと――――」
顔を真赤にした龍造が、秘書へと何事かを言いつけようとしたその時。執務机に備え付けられていた内線が、彼の言葉を遮った。
「ッ……やっと来たか!」
実行チームからの報告を心待ちにしていた龍造は、微塵も疑うことなく内線へと手を伸ばす。重要な報告が内線に届くなどと、そんなことはあり得ないというのに。
そうして龍造が応答しようとした時、突如として通話が始まった。まだ触ってもいない内線が、ひとりでに繋がったのだ。
「あーあー。マイクテスト、マイクテスト。はろはろー、もしもーし! 聞こえてるー?」
スピーカーから聞こえてきたのは、若い女の声だった。
それはいやに陽気で、底抜けに明るい頭の悪そうな声。龍造はもちろんのこと、隣に居た秘書ですら聞いたことがない声だった。というより、上司の部屋に内線を飛ばしてこんな態度を取る部下など、皇グループ内には一人も居ない。龍造は秘書と一瞬顔を見合わせ、訝しみながら誰何した。
「……誰だ」
「おっ……? っしゃー! 繋がったっぽいぜイケオジー! ほれ、好きに喋って良き。アタシのテクに感謝しろなー?」
しかしその問いかけに、声の主は答えない。そればかりか、すぐ側にいる誰かと話し始めた様子である。
続いてその後に聞こえてきた声は、龍造もよく知る相手のものだった。
「さて……皇龍造。私が誰だか分かるかね?」
「ッ……九奈白、嵐士ッ!」
それは憎き九奈白家当主の声であった。憎きと言っても、一方的な逆恨みでしかないのだが。
忌々しげにその名を口にする龍造だったが、しかし嵐士は歯牙にも掛けていないような、酷く淡々とした口調で言葉を続けた。
「久しいな。こうして話すのは二年ぶりか」
「貴様、一体何のつもりだッ! いや、そもそもどうやってここに……っ」
「ふむ……いやなに、私には心強い友人が居てね。君と話をするために、こうして助力を願ったわけだ。しっかりと金は取られたがね」
「何を意味の分からん事を、つらつらと!」
嵐士の言う友人とは、もちろん隆臣のことだ。
そうして派遣されてきたのが迷宮情報調査室の
しかしその分、
「さて……世間話に花を咲かせるような仲でもない。本題に入ろう。私が何故、こんな手を使ってまで君に連絡をしたか分かるかね?」
「っ!」
「結構。どうやら心当たりはあるようだ。ならば、私が何を言いたいかも分かるだろう?」
「……」
先程までの激昂ぶりはどこへやら、一転して黙りこくってしまう龍造。
この状況にあっては最早、それは自白しているのとそう変わらない。
「今更黙秘しても意味がないことくらい分かっているだろう? 私がこうして連絡をしたということは、もう『
「何の話だか分からんな。それよりも貴様、このようなことをしてタダで済むと――――」
顔に焦りを浮かべながら、話を逸らそうとする龍造。
まるで意味のない行為だ。そんな言い訳じみた龍造の言葉を、嵐士は途中で切り捨てる。嵐士はこう言っているのだ。そんな地点はとうの昔に通過している、と。
「私はね……君のことがそれほど嫌いではなかった。企業としてはライバル関係にあるが、共にこの国のダンジョン産業を担う戦友でもあると、そう思っていた。だからこれまでの小賢しいちょっかいも、私は黙認してきた」
そう、皇グループが九奈白にちょっかいを出すのは、実はこれが初めてのことではない。小さな嫌がらせまで含めれば、それこそ数えるのが億劫になる程度にはあった。しかしどれも些細なものだと、嵐士はそれらを適当にいなしてきた。足の引っ張り合いなど、どこの業界でも少なからず発生するものだからと。
「だが……娘に手を出されて黙っていられるほど、私は優しくない」
ドスの聞いた低音で、嵐士は静かに告げる。
瞬間、部屋の扉が大きな音を立てて破られる。現れたのは大勢の、武装した
「なッ……!? 馬鹿な、いつの間に!? 警備はどうなって――――」
「機能する筈がないだろう。賊が侵入したわけではないんだぞ。誰だって捕まりたくはないさ。そこにいる君の秘書のように、ね」
「な、なんだとッ!?」
床に押し付けられながら、しかしどうにか体を捻って隣へと視線を送る龍造。
そこには組み伏せられることなく、ただやんわりと拘束を受ける秘書の姿があった。自身とは明らかに違うその対応に、龍造は鬼のような形相で秘書を睨みつけた。
「きっ、貴様――――裏切ったなッ!?」
しかし秘書の男は黙したまま、まるで汚物をみるような瞳を上司へと向けていた。
「くそッ、クソッ! 九奈白ぉぉおおお!」
龍造が怨嗟の声を上げる。
「ではサヨナラだ、戦友。もう二度と言葉を交わすこともないだろう」
しかし繋がったままの内線からは、鋭く冷たい言葉が返るばかりであった。