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第89話

 九奈白市内にある高層ビルの一室にて。

 でっぷりとした腹に、てかてかと脂ぎった顔。すめらぎグループの最高経営責任者、皇龍造が秘書に向けて怒声を浴びせていた。


「どうなってる!? 報告はまだか!?」


「は……その、実行チームからの連絡はまだ……」


「精鋭ではなかったのか!? 小娘を一人始末するだけの仕事に、一体どれほど時間をかけている!?」 


 それは叱責ではなく、ただの八つ当たりだった。

 皇グループは国内のダンジョン産業に於いて、九奈白家に次ぐ地位にある。だが如何に二番手といえど、九奈白との間には大きな隔たりがある。国内トップどころか、世界にすらその名を轟かせている九奈白とは比べ物にもならない。つまり皇にとっての九奈白とは、『目の上にできた、絶対に治らないたんこぶ』のような存在なのだ。


 そんな劣等感まみれの彼が部下に命じたのは『九奈白凪の誘拐または暗殺』である。

 テロによる総会の失敗と、後継者である娘の身柄、或いは九奈白嵐士本人の暗殺。これらを併せ、九奈白を表舞台から引きずり下ろす算段であった。


 本来の予定では、総会前にケリをつけるつもりでいた。

 故に海外の犯罪組織である『黒霧ヘイズ』に大金を支払い、その手を借りた。こんなことが明るみに出れば即刻ブタ箱行きだが、しかし少なくとも、正攻法で九奈白を超えることは出来ないのだ。故に皇龍造は、『黒霧』というリスクを背負う決断をした。そうまでしても、彼はこの国の頂点に立ちたかったのだ。


 しかし蓋を開けてみればどうだ。

 悪名高い『黒霧』は娘の身柄確保にことごとく失敗し、そして九奈白嵐士本人には『六位』が護衛に付いてしまった。その結果、総会は予定通りに開催されてしまう。そうして龍造はいよいよ痺れを切らし、最後のチャンスである総会二日目に行動を起こした。自社所属の荒事専門チームによる、九奈白凪への襲撃計画を。


 子煩悩で有名な九奈白嵐士のことだ。間違いなく娘には護衛を付けていることだろう。

 しかしそれでも、龍造は成功を信じて疑わなかった。襲撃チームは現役・元探索者で構成された腕利きのチームだ。少数の護衛など問題にはならない。


 直前の報告では、メイドが二人付き添っているだけとのこと。護衛が付いているだろうと考えていた龍造にとって、これはまたとない好機だった。金に物を言わせて集めた襲撃チームだ、難なく達成出来るに違いない。ごくごく簡単な仕事、殆ど子どものお遣いも同然の仕事。そう思っていた。


 しかし今、報告が一切届かない。

 作戦決行を告げてから、既に一時間以上が経過しているというのに、だ。


「もしかすると、通信機器が故障したのやも……」


「チームの全員分がか!? そんなわけがあるかッ! いいからさっさと――――」


 顔を真赤にした龍造が、秘書へと何事かを言いつけようとしたその時。執務机に備え付けられていた内線が、彼の言葉を遮った。


「ッ……やっと来たか!」


 実行チームからの報告を心待ちにしていた龍造は、微塵も疑うことなく内線へと手を伸ばす。重要な報告が内線に届くなどと、そんなことはあり得ないというのに。

 そうして龍造が応答しようとした時、突如として通話が始まった。まだ触ってもいない内線が、ひとりでに繋がったのだ。


「あーあー。マイクテスト、マイクテスト。はろはろー、もしもーし! 聞こえてるー?」


 スピーカーから聞こえてきたのは、若い女の声だった。

 それはいやに陽気で、底抜けに明るい頭の悪そうな声。龍造はもちろんのこと、隣に居た秘書ですら聞いたことがない声だった。というより、上司の部屋に内線を飛ばしてこんな態度を取る部下など、皇グループ内には一人も居ない。龍造は秘書と一瞬顔を見合わせ、訝しみながら誰何した。


「……誰だ」


「おっ……? っしゃー! 繋がったっぽいぜイケオジー! ほれ、好きに喋って良き。アタシのテクに感謝しろなー?」


 しかしその問いかけに、声の主は答えない。そればかりか、すぐ側にいる誰かと話し始めた様子である。

 続いてその後に聞こえてきた声は、龍造もよく知る相手のものだった。


「さて……皇龍造。私が誰だか分かるかね?」


「ッ……九奈白、嵐士ッ!」


 それは憎き九奈白家当主の声であった。憎きと言っても、一方的な逆恨みでしかないのだが。

 忌々しげにその名を口にする龍造だったが、しかし嵐士は歯牙にも掛けていないような、酷く淡々とした口調で言葉を続けた。


「久しいな。こうして話すのは二年ぶりか」


「貴様、一体何のつもりだッ! いや、そもそもどうやってここに……っ」


「ふむ……いやなに、私には心強い友人が居てね。君と話をするために、こうして助力を願ったわけだ。しっかりと金は取られたがね」


「何を意味の分からん事を、つらつらと!」


 嵐士の言う友人とは、もちろん隆臣のことだ。

 そうして派遣されてきたのが迷宮情報調査室の情報セキュリティCISO担当、『電脳遊泳ネットサーフィン』の星輝姫てぃあらであった。隆臣が友人だからといっても、やはり仕事は仕事だ。当然ながら高額な依頼料を請求されている。


 しかしその分、星輝姫てぃあらの仕事は流石であった。強固なセキュリティを鼻歌交じりで突破し、皇グループ本社ビル内の内線を、まるでオープンチャンネル無線のようにしてしまった。挙げ句リモート操作で勝手に通話まで始めてしまったのだから、最早どういった技術なのかすらよくわからない。ともあれ、こうして現在の状況が作られたというわけだ。なお当然ながら、他社のシステムに侵入するのは歴とした犯罪行為である。


「さて……世間話に花を咲かせるような仲でもない。本題に入ろう。私が何故、こんな手を使ってまで君に連絡をしたか分かるかね?」


「っ!」


「結構。どうやら心当たりはあるようだ。ならば、私が何を言いたいかも分かるだろう?」


「……」


 先程までの激昂ぶりはどこへやら、一転して黙りこくってしまう龍造。

 この状況にあっては最早、それは自白しているのとそう変わらない。


「今更黙秘しても意味がないことくらい分かっているだろう? 私がこうして連絡をしたということは、もう『詰みチェック』なんだよ。まぁ……証拠を集めるのには多少苦労したがね」


「何の話だか分からんな。それよりも貴様、このようなことをしてタダで済むと――――」


 顔に焦りを浮かべながら、話を逸らそうとする龍造。

 まるで意味のない行為だ。そんな言い訳じみた龍造の言葉を、嵐士は途中で切り捨てる。嵐士はこう言っているのだ。そんな地点はとうの昔に通過している、と。


「私はね……君のことがそれほど嫌いではなかった。企業としてはライバル関係にあるが、共にこの国のダンジョン産業を担う戦友でもあると、そう思っていた。だからこれまでの小賢しいちょっかいも、私は黙認してきた」


 そう、皇グループが九奈白にちょっかいを出すのは、実はこれが初めてのことではない。小さな嫌がらせまで含めれば、それこそ数えるのが億劫になる程度にはあった。しかしどれも些細なものだと、嵐士はそれらを適当にいなしてきた。足の引っ張り合いなど、どこの業界でも少なからず発生するものだからと。


「だが……娘に手を出されて黙っていられるほど、私は優しくない」


 ドスの聞いた低音で、嵐士は静かに告げる。

 瞬間、部屋の扉が大きな音を立てて破られる。現れたのは大勢の、武装した治安維持部隊ガーデンであった。瞬く間に床へと組み伏せられ、拘束される皇龍造。ただの肥えた狸が、屈強な彼らに対抗出来る筈もなかった。


「なッ……!? 馬鹿な、いつの間に!? 警備はどうなって――――」


「機能する筈がないだろう。賊が侵入したわけではないんだぞ。誰だって捕まりたくはないさ。そこにいる君の秘書のように、ね」


「な、なんだとッ!?」


 床に押し付けられながら、しかしどうにか体を捻って隣へと視線を送る龍造。

 そこには組み伏せられることなく、ただやんわりと拘束を受ける秘書の姿があった。自身とは明らかに違うその対応に、龍造は鬼のような形相で秘書を睨みつけた。


「きっ、貴様――――裏切ったなッ!?」


 しかし秘書の男は黙したまま、まるで汚物をみるような瞳を上司へと向けていた。


「くそッ、クソッ! 九奈白ぉぉおおお!」


 龍造が怨嗟の声を上げる。


「ではサヨナラだ、戦友。もう二度と言葉を交わすこともないだろう」


 しかし繋がったままの内線からは、鋭く冷たい言葉が返るばかりであった。

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