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第88話

 隆臣が撤収準備を始めた頃。


「おいすぅ」


 満身創痍の千里せんりを引きずりながら、クロアがひょっこり姿をみせた。

 小柄なクロアが高身長の千里を運ぶには、担いで引きずるしかなかった。クロアの技能スキルで変えられるのは重さだけで、サイズ差はどうしようもない。お陰で千里せんりはガンガンと、しこたま頭部を打ち付けている。


「せめて逆だろ……」


 流石の隆臣もこれにはドン引きである。

 そんな隆臣には一切の反応を見せず、ただきょろきょろと周囲を見回すクロア。


「……あれ? メイドちゃん居なくなぁい?」


「アイツなら御主人様を抱えて、さっさと戻っていったぞ」


 そう言う隆臣が指差すのは島の中央。

 展望台の崩落で騒ぎになっているであろう、会場のある方角だ。


「えぇー? 折角メイドちゃんの戦いが見られると思ったのにぃ……じゃあ、あのイカれ女はぁ?」


「自己紹介か? ……まて、冗談だ」


 じろりと睨むクロアの圧に、隆臣が若干気圧される。

 イカれ女の自覚があるクロアだが、どうやらナインと同列視されるのは遺憾であるらしい。今でこそ無分別に人を襲うことのないクロアだが、つい先日まではただの危険人物だったのだが――――彼女の中では、イカれ具合によってカテゴリ分けでもされているのだろうか。


ナインならあっちだ」


 隆臣が立てた指をくるりと回し、今度はすぐ側の海へと向ける。

 海は先程までの風雨により、荒れに荒れていた。水温も随分と下がっていることだろう。島内は随分とマシになってきたが、海上の霧は依然深く広がっている。弱った状態でこんな荒れた海に、しかも高所から落ちたとなれば、如何に探索者といえどまず助からない。おまけにナインは腹に穴まで空いているのだ。遺体が揚がるのも時間の問題だろう。


 クロアが海の方へと身体を向けたことで、千里せんりの頭部がじょりじょりと芝を擦る。そこで漸く千里せんりが目を覚ました。


「アイタタタぁー! え、何!? 敵襲!?」


「あ、やっと起きたぁ」


 千里せんりは頭部から少なくない血を流しており、とても無事とは言い難い状態だった。だが展望台の崩落に巻き込まれた事を考えれば、この程度ならむしろ軽傷なくらいだろう。


「おう、おつかれさん。ふたりとも無事でなによりだ」


「あー、うん。なんかめちゃくちゃ頭痛いけど……ま、なんとか無事だよ。クロアちゃんが下に居なかったらヤバかったかな」


 そう、千里せんりがこの程度で済んだのはクロアのおかげだった。

 クロアが戦った場所は地下の避難通路。その出口は展望台の下へと繋がっている。アールに対処した後、会場へと戻ったクロアは、丁度千里せんりの真下にいたのだ。無論クロアも驚きはしたが、そこは流石の元暗殺者。技能スキルを駆使して冷静に瓦礫を躱しつつ、一緒に落ちてきた千里せんりもついでに回収したというわけだ。


 そうして今いるこの場所へと向かう途中、二人は撤退中のナインを発見。

 朦朧とする意識の中にあって、しかし千里せんりは見事に標的を射抜いてみせた。とはいえ限界だったのだろう、その後は再び気を失った。これが戦闘の裏側、その真相である。


「いやー、やっぱコイツを引き込んだのは正解だったな! ガハハ! 流石は俺の慧眼!」


「っていうか室長、回復薬ポーション持ってない?」


「ほら、使え。下級だが応急処置にはなるだろ」


 隆臣が回復薬の瓶を放り投げ、千里せんりがそれをキャッチする。

 なにはともあれ、迷宮情報調査室のメンバーは全員無事だった。会場に集まった総会参加者達も、誰一人怪我をしていない。多少の騒ぎにはなってしまったが、そちらは九奈白凪が対処するだろう。九奈白市の観光名所がひとつ崩壊してしまったが、テロを防いだ対価と考えれば安いものだ。


「なべて世は事もなし、ってな。よーし、んじゃあさっさと撤収すんぞー」


 こうして、迷宮情報調査室の面々は人知れず島を去った。

 花鶏あとり達が治安維持部隊ガーデンを引き連れて戻った時には、既にもぬけの殻となっていた。




       * * *




 凪を抱えながら、織羽おりはが林の中を疾走する。

 多少は切り傷もあった織羽おりはだが、そんなものは探索者にとって、怪我のうちにも入らない。隆臣から没収した回復薬を一口飲んだだけで、全ての傷が綺麗に消え去っていた。戦いの名残といえば、傷ついたメイド服くらいのもの。それすらも大量のスペアが保管されている為、被害はほぼほぼ皆無であった。


 そうして会場へと戻る最中、織羽おりははぽつりと言葉を零した。


「お嬢様――――ありがとうございます」


「……急に何? お礼を言うのは私の方だと思うけれど」


「いえ。ただ言っておきたくて」


「なによそれ」


 唐突に告げられた謝辞に、凪が胡乱げな表情を見せる。

 一体何を指しての『ありがとう』なのか、彼女にはまるで見当がつかなかった。


「……私は、多分死んでいたんだと思います。生きているという嘘を吐きながら、ただその場を彷徨うだけの屍。それが私でした」


「……」


 断片的かつ抽象的な言葉。

 それの意味するところなど、流石の凪にも分からない。だがそれでも、決して冗談で言っているわけではない、ということだけは分かった。織羽おりはの表情が、珍しく真面目だったからだ。普段の仏頂面とも違う、なにか決意のようなものを感じさせる真顔。前を見据える瞳は、どこか喜色を浮かべているようで。


 織羽おりはの脳裏に、かつてクロアから指摘された言葉が蘇る。


 ――――ボクからもひとつ質問、いいかな?


 それは、織羽おりは自身が気付かない振りをしていたもの。

 来栖織羽という人間の全てを、酷く端的に言い表した言葉。


 ――――キミは、いびつだね。本当のキミはドコにいるの?


 あの時、織羽おりはは問いに答えられなかった。

 あの時、自分の心が既に壊れていることを初めて自覚した。


 誰かを助けたい、護りたい。妹との約束は未だこの胸にある。

 しかしその一方で、それらを否定する自分が心の何処かに居た。何の意味も無い行為だと、ただの自己満足に過ぎないと。


 誰かを救う度、自分は『幸せ』とやらに近づいているのだと思っていた。だがそうではなかった。信念に基づいて人助けをしていたつもりだったのに、実際にはただの贖罪行為と成り果てていた。かつて抱いていた『誰かを救いたい』という信念は、妹の死と共にすり替わっていた。


「もしかしたら、今もまだそうなのかもしれません。でも……それでも」


 だが、不安そうな瞳で助力を乞う凪の姿に、最も救いたかった存在が重なった。

 その瞬間、かつて抱いていた信念が再び鼓動を始めていた。


「……もう一度だけ。そう思ったんです」


 それはいつかの凪の言葉。

 少女は、他人を。

 少年は、自分を。

 互いが互いのおかげで、そう思えるようになっていた。


「今のはそのお礼です。我ながら抽象的な話だとは思いますが……まぁ、決意表明みたいなものだと思って頂ければ」


 そう言って自嘲気味な笑顔を浮かべる織羽おりは

 崩落した展望台が、もう目と鼻の先まで近づいていた。そうして織羽おりはがスピードを上げたその瞬間、凪が小さく呟いた。織羽おりはにも聞こえないほどの、ほとんど独り言のような声だった。


「ならやっぱり……私の方こそ、ありがとう」


 いつの間にか、雨は上がっていた。


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