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最終話

 波乱まみれの探協総会から暫く。

 迷宮情報調査室のオフィスは、既に普段どおりの様子へと戻っていた。


「いてっ」


 ソファの上でちくちくと刺繍に勤しんでいた織羽おりはが、じっとりと自身の左手の薬指を見つめれば、そこには赤く小さな珠が滲んでいた。何故だか妙な恥ずかしさを覚え、織羽おりはが室内を見渡す。普段は何かとやかましいオフィスではあるが、現在は織羽おりはと、そして山積みの書類と格闘する隆臣の二人しかいなかった。


 織羽おりはが裁縫中に怪我をするのは珍しい。

 というより、これまでには一度もなかった事だ。織羽おりはが呆けているのは、誰の目にも明らかだった。


 あの殆ど死人しびとのようだった少年が、漸くやるべきことを見つけたらしいと、隆臣が喜んだのはつい先日のこと。

 少年の生き生きとした瞳を見たのは、隆臣にとっても初めてのことだった。本当はこんな瞳をするのかと、当時は柄にもなく感慨に耽ったものである。


 しかし数日前、織羽おりはは突然帰ってきた。再び、その瞳に空虚を宿して。

 あれほどやる気に満ちていた瞳が、ほんの数日でここまで濁るものだろうか。織羽おりは曰く『任務が終わったので、予定通りに戻ってきた』とのことであったが――――何かがあったのは明白だ。それからというもの、織羽おりははずっとここでダラダラと過ごしている。


 そもそもの話、隆臣は織羽おりはに対し帰還命令など出してはいない。当然だ。九奈白凪の側に付けていた方が織羽おりはにとって良い方に転がると、隆臣はそう考えていたのだから。つまり織羽おりはは勝手に帰ってきたのだ。無論隆臣は理由を問い質したが、返る言葉は『別に何も』の一点張りであった。


 しかし一体何があったのか、隆臣にはその大凡の予想がついていた。

 隆臣がちらりと、書類越しの織羽おりはへと視線を送る。そうして小さなため息とともに、呆れるように一言。


「なあ」


「んー?」


「……さてはお前、男だってバレたんだろ。 んで、それを嬢ちゃんに拒絶されたとか、どうせそんなんだろ?」


「……は?」


 隆臣の予想はドンピシャだった。バレたのではなく自分からバラした、という違いはあるが。

 伊達に何年も織羽おりはを見ていない――――と言いたいところだが、しかし隆臣がこの答えに行き着いたのには、もっと別の理由がある。


 その理由は織羽おりはの格好にあった。

 任務が終わったという割に、彼は未だ女装メイド状態のままなのだ。誰がどう見ても未練タラタラである。


「べべべべ別にそんなんじゃないが? いきなり何言っちゃってるワケ? 意味不明すぎて、ヘソで茶が沸くんだが?」


「キョドりまくってんじゃねぇか。つーか女装やめてねぇし」


「これは別にアレなんだが? 毎日女装しすぎて、クセになっちゃっただけだし? 今はしてないほうが違和感あるっていうか?」


「あーはいはい、わかったわかった。はぁ……んなこったろうと思ったよ。まぁ、俺にも責任の一端はあるわな……」


 織羽おりはが目を泳がせながら、刺繍枠フープへと高速で針を刺しまくる。分かりやすいにも程がある反応だった。

 とはいえ、今回の任務を命じたのは他でもない隆臣だ。普段ならばゲラゲラと笑って転げ回っているところだが、今回ばかりはそんな気になれなかった。隆臣が責任を感じていることに気づいたのか、織羽おりはが窓の外へと視線を向ける。


「まぁ……遅かれ早かれ、だよ。いつかはこうなってた」


「……すまん」


 織羽おりはの情操教育にある意味丁度良いのではと、そう思って引き受けた今回の護衛依頼。そんな隆臣の目論見通り、途中までは順調そのものだった。なんだかんだと言いつつも、織羽おりはがメイド生活を楽しんでいるのは見て取れた。だが結果はご覧の通りだ。


 彼が他者との関わりを苦手としていることは、隆臣もよく知っている。親睦を深めた相手から拒絶される、その辛さも知っている。

 故に隆臣は、諦観に染まる瞳で虚空を見つめる織羽おりはに対し、ただ謝ることしか出来なかった。


 しかし謝罪はしつつも、隆臣には少し気になる事があった。

 以前に少し会話をした限りではあるが――――その時に受けた印象では、凪は随分と織羽おりはの事を信頼していた。それこそ『長年連れ添った主従』だと言われても、なんの違和感も感じない程に。それほどまでに、二人の関係は進展しているように見えた。だからこそ、たとえ性別がバレたからといって、凪がその程度で織羽おりはを拒絶するようには、隆臣にはどうしても思えなかった。


「……なぁ織羽おりは。嬢ちゃんには俺から――――」


「必要ないし、別に隆臣の所為じゃない。それに、どのみちただの仕事なんだ。何度もやってきた、いつも通りの中のひとつ。任務が終われば元に戻る、ただそれだけの話だよ」


「いや、だが……」


「あーもう、うっさい! この話はこれでお終い! いいからさっさと次の仕事よこせ!」


 織羽おりははそう言うと、隆臣に向かってピンクッションを投げつける。数本の針が刺さっており、投擲武器としてはそこそこ危険な代物だ。誰がどう見ても空元気だが、しかし本人が『もう終わった事』にしてしまっている。罪悪感を覚えている隆臣には、それ以上何も言えない。飛んできたピンクッションを右手で払い除け、隆臣が再びため息を吐き出す。そうしてゆっくりと息を整え――――織羽おりはの空元気に答えるよう、一枚の書類をつまみ上げた。


「そう、か……。んじゃあ次はこの――――」


 隆臣が次の任務を与えようとしたその時、オフィスの扉が控えめにノックされた。

 顔を見合わせる織羽おりはと隆臣。誰何すいかなどするまでもなく、誰が来たのかはすぐに分かった。迷宮情報調査室のメンバーの中で、入室時にノックをする者などひそかしかいないのだから。そうして扉を開いたのは、やはりひそかであった。


「室長、実は来客が――――あぁ、織羽おりはもいましたか」


「来客ぅ……? つーか、ウチに直接か? どういうことだよ」


 迷宮情報調査室は公的機関ではあるが、極めて秘匿性の高い部署である。

 たとえからの命令であろうとも、書面での通達が殆どなのだ。直接の来客など、普通に考えればあり得ない。


「実は少々困った事になっていまして……とりあえず、案内しても良いでしょうか」


「あ? いいワケねーだろ追い返せ。つーか、そんくらいお前も分かってるだろ? そもそもなんでこの場所が――――」


 ぐだぐだと隆臣が理屈をこね始めた、その瞬間。

 隆臣の言葉を遮るように、勢いよくオフィスの扉が開かれた。


「いいから開けなさい!」


 凛とした、織羽おりはの耳にすっかり馴染んだ声が聞こえた。

 予想もしていなかった事態に、織羽おりはが思わずソファから飛び上がる。そうして視線を、声のする方へと向ければ。


「え……なっ……お、お嬢様!?」


 ここに居るはずのない――――二度と会う事はないと思っていた少女が、そこにいた。

 少し機嫌が悪そうな、つんと尖った唇。凪にしては珍しい表情だった。


「……見つけたわよ。随分と手こずらせてくれたわね、織羽おりは?」


「は? え、いや……何故ここが……?」


「苦労したわよ……本当に。こんな組織が国内に存在するなんて、知らなかったもの。貴女を探す糸口がまるで掴めなくて、おかげでお父様に頭を下げる羽目になったわ。恐らく、私がお父様に何かをお願いしたのはこれが初めてよ。それと、お父様の大層なニヤケ面もね。一体どうしてくれるのかしら?」


 胸の前で腕組をしたまま、織羽おりはの方へつかつかと歩み寄る凪。

 対する織羽おりははといえば、未だに混乱したままであった。阿呆のように口を半開きにしたまま、ただ呆然と凪の瞳を見つめている。


「なん……で……」


「……あの時は、すぐに答えを出せなくてごめんなさい。でも私の答えを聞く前に、黙って消えるのはどうかと思うわ」


 凪はそう言って、懐から何かを取り出した。あの日、織羽おりはが置いていった黒いリボンであった。

 それは、織羽おりはが敬愛する先生からの贈り物。織羽おりはがメイドであるための証。


「これが私の答え。勝手に居なくなるなんて許さないわ。私にはまだ、あなたが――――貴女が必要なのよ」


「えっ……あ……」


 リボンを半ば強引に織羽おりはの手に握らせると、次いで凪は隆臣の方へと振り返る。


「契約は延長よ。問題あるかしら?」


「クククッ……いんや、無いぜ。嬢ちゃんの身の安全が保証されるまで、っつー条件ではあったが――――基本は三年契約だったしな。その分の金も嵐士から受け取ってるし……解約も延長も、少なくとも三年間はそっちの好きにしてもらって結構だ」


「そ。ならそうさせてもらうわ」


 どこか嬉しそうに、歯を見せながら笑う隆臣。

 事務処理の事を考えてか、ひそかだけは頭を抱えていたが。


「……帰るわよ、織羽おりは


 そう言って再び、凪が織羽おりはの方へと向き直る。

 少しだけ染まった頬が、凪の胸の内を表しているかのようで。


 自身を放ったまま矢継ぎ早に決まってゆく状況に、しばし呆気にとられていた織羽おりは

 しかし凪に呼びかけられたことで、漸く自体を飲み込めたらしい。織羽おりはがぐにぐにと顔を揉みほぐし、手渡されたリボンを胸元に取り付け、最後に『ぱちん』と頬を叩く。そうして織羽おりははまっすぐに凪を見つめ、にこりと優しく微笑んだ。


 それは凪が何度も目にしてきた、いつもどおりの笑顔だった。


「――――畏まりました、お嬢様マイプリンセス





 第一部 完

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