「『真実の愛』のため、
卒業パーティー中に起きたこの国の王太子による突然の宣言。パーティーに出席している者たちは、『真実の愛』『王太子と公爵令嬢の婚約破棄』『王太子と聖女の婚約』という情報過多によりパニックに陥った。
宣言をした
「承知しました。『真実の愛』のためならば潔く私も身を引きましょう」
粛々と頭を下げるアリアにシュンメルの眉がピクリと上がる。アリアの従順な態度を鼻で一笑すると怒りを灯した瞳で睨みつける。
「今更そのような態度をとっても、貴様の罪が許されるわけではないぞ」
シュンメルの言葉にアリアの頭が微かに反応し、ゆっくりと頭が持ち上げられる。アリアの表情には恐れも怯えも一切浮かんでいない。ただ無機質にシュンメルを見つめ返すのみ。アリアの態度にシュンメルたちの怒りボルテージが上昇する。
限界に達したシュンメルがアリアに罵声を浴びせるよりも前に彼の側近の一人ヒューガが一歩前に出た。
「シュンメル様に代わり、私があなたの罪を明らかにしましょう」
ヒューガが前に出たことで落ち着きを取り戻したシュンメルがニヤリと笑みを浮かべる。
アリアの表情は一切変わらないが、ヒューガはその余裕もこれまでだと眼鏡を押し上げ書類を取り出した。
「一つ、聖女に対する侮辱罪。一つ、聖女の所有物に対する器物破損罪。あなたの罪について詳細をまとめたこの書類は後程国王陛下に証拠として提出するものです。これだけでもあなたが王太子妃としてふさわしくない証拠となるでしょうが……あなたの大罪は何より聖女の『真実の愛』を邪魔したことでしょう」
アリアが『真実の愛』を邪魔したという発言に黙って聞いていた周囲の人々が騒めく。
この国において
今代の聖女ミーナは『真実の愛』を得るために学園に入学してきた。
ならば、その聖女の真実の愛を邪魔した
「いくら貴様も聖女候補だったとはいえ、真の聖女であるミーナの『真実の愛』を邪魔することは許されない。だが、今までの功績を考慮し、処刑は勘弁しておいてやろう」
シュンメルがミーナとの『真実の愛』を知らしめるように肩を抱き、アリアに告げる。ミーナは頬を染め、シュンメルに見惚れていた。
それでも、アリアの表情は変わらない。
「かしこまりました。では、私は婚約破棄の処理が済みましたらすぐにでも辺境の地にて修道女として生涯を捧げたいと思います」
処刑は免れたとはいえ、アリアの口から辺境の地という言葉が出て周囲から悲鳴が上がった。辺境の地は、騎士団に所属している大の男でも赴任するのを嫌がると言う土地。昼夜問わず魔獣がうろつき、常に命の危険が隣り合わせにある場所だ。そこに自ら行くと言うアリアに聞いていた女生徒たちは顔を青褪めさせ、中には倒れる者もいた。
アリアの取り乱す様子を見られなかったのは残念だが、これで顔を合わすこともなくなると思うとシュンメルは清々しい気持ちになった。アリアの申し出に許可を出そうとした時、扉が開く音が会場に響く。
邪魔をされないようにとこの日を選んだにも関わらず誰かが横やりを入れに来たのかと思い視線を向ける。
会場に足を踏み入れた予想外の人物に皆が驚きの声を上げた。
「叔父上!」
従者に付き添われ現れたのは一人の男性。シュンメルに似通ってはいるがどこか野性味を感じさせる端正な顔立ちの美丈夫。威厳あるオーラと筋骨隆々とした体形。体を支えるつえと顔色の悪さがなければ病を患っているとは誰も思わないだろう。
国の英雄とも呼ばれている現国王の弟、ガリレオの登場にその場にいた皆が興奮の声を上げる。
病を患ってからは戦場に立つことはなくなったが、今でも指導者として多くの戦士を育て上げ辺境の地を守っている。シュンメルにとっては幼少期からの憧れの人物でもある。
卒業式に来ると聞いていなかったシュンメルは、現状をすっかりと忘れガリレオに駆け寄った。その頬は皆と同じく興奮で赤く染まっている。
「よぉ、シュンメル。ちっと遅刻しちまったが…卒業おめでとう」
「いえ! 叔父上が来てくれただけで嬉しいです! ありがとうございます! とりあえず、こちらに座ってください!」
従者に代わってガリレオを支え、空いている席へと誘導しようとするが、ガリレオは断った。
一度辺りを見回したガリレオは、ようやく目的の人物を見つけると柔らかな笑みを浮かべた。英雄が初めて見せる表情に男性は驚き、女性はうっとりと見惚れる。ガリレオは歩き出そうとしたが、ふらりと体が揺れた。従者が手を出すよりも早く動きガリレオを支えた人物がいた。
「っと、わりぃ」
「いえっ……それよりも、なぜそんな体でここに来たのですか!」
「なぜって……決まっているだろう」
ガリレオがバツが悪そうに苦笑する。
咎めるような視線を向けたアリアだったが己が注目を浴びていることに気づいて、さっと表情を繕う。ガリレオは笑いを堪えながらアリアの頭を一撫ですると、表情を一変させてある人物に顔を向けた。
真顔のガリレオはそれだけで威圧感を増す、視線を向けられたミーナは青を通り過ぎて真っ白になっていた。会ったこともないはずの二人の異様な雰囲気にシュンメルも含め周りは困惑する。事情を知っている様子のアリアは静観していた。
最初に口を開いたのはガリレオ。
「久しいな。
ビクリとミーナが体を揺らした。予想だにしなかった発言を聞いて一斉にミーナに視線が集まる。動揺を隠せないシュンメルは二人の間に入り疑問を口にした。
「ちょ、ちょっと待ってください! なぜミーナを婚約者と呼ぶのですか?! ミーナには婚約者はいないはずです。彼女が言っていました。学園に入ったのは『真実の愛』を探すためだと!」
「へぇ……それはそれは。ミーナ嬢がそんなことを?」
ミーナは足元を見て震えるばかりで何も答えようとはしない。シュンメルは縋るようにガリレオを見た。ガリレオは肩を竦めて返すが、引く様子のないシュンメルに仕方がなく話し始めた。
「ミーナ嬢は平民出身ではあるが、聖女という立場と潜在能力を買われ兄上の勅命の元、一年前俺の婚約者となった。おおかた、『真実の愛』に目覚めた聖女の力で俺の体を治癒させようと考えたんだろうな。だが、彼女は聖女の力に目覚めるどころか、まともに聖魔法を使うこともできなかった。このままじゃあ時間の無駄だってんで、俺の婚約者として学園に入学させ、聖魔法と貴族のマナーを学ぶことを優先させたんだよ」
衝撃の事実に周囲は顔を見合わせる。特に衝撃を受けたのはシュンメルだろう。
ミーナは本来ならば、学園で聖魔法を学び、辺境伯の妻として将来のためにマナーや人脈を得なければならなかったのだ。決して、『真実の愛』を探すためではなかった。
いくら聖女とはいえ、病床にいる婚約者を放置し、貴族のマナーを学ぶこともせず、婚約者のいる男性たちと意図的に懇意にしていたという事実は受け入れられるものではない。
おそらくアリアはそのことを知っていたのだろう。
アリアが過去にミーナに苦言を呈した言葉を思いだす。
『異性の方とばかり懇意にするのはいかがなものかしら』
『平民出身とはいえ、マナーを学ぼうとせずに学園に何しに来ているのですか』
『王太子殿下とはもっと距離をあけて接してください』
どれもこれも侮辱ではなかったのだと思い至る。浅はかだったのは自分だった。
シュンメルは何も知ろうとせず、多くの目がある場所で取り返しのつかない宣言をしてしまった。
この国の英雄から
「どうやら、聖女様は学園で『真実の愛』を見つけてしまったようだな。邪魔をして俺も処分されたくないから婚約を破棄するとしよう」
聞かれていた!全て承知の上でガリレオはこの場に立っている。そして、おそらく父上も全てを知っているのだろう。知っていて今まで黙っていたのだろう。自分たちは試されていたのだと気が付いたシュンメルはもはやまともに立っていることもできずに膝をついた。
ミーナも側近たちもまずい状況だということは理解しているようで慌ててシュンメルの周りに集まる。
ミーナはシュンメルを心配して手を伸ばすが、その手は払いのけられた。真実の愛を誓い合ったはずのシュンメルに睨みつけられて絶句する。シュンメルはうなるように言葉を紡いだ。
「なぜ黙っていた? なぜ、叔父上の婚約者だと言わなかった?! 知っていたら」
「知っていたらどうだというのです? 何かかわったというのですか? 『真実の愛』とはその程度のものだったと?」
「アリアっ……おまえもおまえだっ! なぜ、知っていたのなら言ってくれなかったのだ」
「言いましたわ。何度も『婚約者がいる方と懇意にするべきではない』と」
「……っ、それでわかるわけないだろう!」
「公の前でガリレオ様とミーナ様の事を口にできるとでも?」
「それは…」
「せめて、二人きりで話をする機会さえいただけていたら……。それも、今更ですわね」
とうとうシュンメルは黙り込んだ。アリアはそれ以上追い詰める事はせず、これ以上の醜聞を避けるため、移動するよう促した。
別室では笑みを浮かべた国王が待っていた。一切の動揺を見せずにアリアがカーテシーをすると、われに返った面々が慌てて次々とあいさつをする。
ガリレオが国王から一番近い席に座った。顔色が悪いことに気付いた国王はアリアに視線を送る。心得たようにすぐさまガリレオの元へと行き、手をかざすと淡い金色の光がガリレオの体を包んだ。ガリレオの顔色がある程度よくなったのを確認すると聖魔法をかけるのを止め、取り出したハンカチで甲斐甲斐しく汗を拭った。親しげな二人にシュンメルは訝しむが国王に鋭い視線を向けられ疑問を口にすることは叶わなかった。
「もう大丈夫だ。ありがとうな」
「いえ」
ソファーに座ったアリアの頬は心なしか赤い気がする。二人の間にある自分の知らない絆を感じ取ったシュンメルは不快感を覚えた。自分が知る限りアリアとガリレオにここまで親密になるような接点はなかったはずだ。辺境の地は王都から遠い、シュンメルさえガリレオに会うのは久方ぶりだった。
それなのになぜ、と浮かんだ疑問の答えはすぐに国王からもたらされた。
「自分たちの処遇より二人の関係が気になるようだな。ならば先に教えておこう。アリアにはそこの聖女のかわりにガリレオの治癒を任せていた。毎日、王城の
王城にある
「さて、そんな忙しい彼女がいったいいつどのように聖女に危害を加えたのだろうか」
国王の目がミーナに向けられる。ミーナは何も言えず救いを求めるようにシュンメルを見たが視線を返すこともされず、慌ててヒューガや他の面々を見るが視線を逸らされるばかりだ。ミーナは覚悟を決めて国王に向き直った。
「ア、アリア様にされたことは気のせいだったのかもしれません。でも! シュンメル様との『真実の愛』は本物です!」
勢いよく立ち上がり宣言するミーナにシュンメルは思わず「馬鹿が!」と言いそうになった。
だがすでに多くの生徒たちの前で宣言してしまったことを思い出す。逡巡した後決心してシュンメルも立ち上がった。
「叔父上には申し訳ないと思っていますが、私はミーナを愛しています。それに、ミーナが『真実の愛』に目覚めればその力で叔父上を助けることができるはずです。だから」
「婚約者も己がすべきこともないがしろにした上で成り立つ愛が『真実の愛』か」
「「……」」
黙り込む二人に国王は目頭を揉み、溜息を洩らす。ガリレオに視線を向けるとガリレオは片方の口角を上げ、頷いた。
「わかった。シュンメルとアリア嬢、ガリレオと聖女の婚約は破棄。そして、シュンメルと聖女、ガリレオとアリア嬢の婚約を新たに認めよう」
シュンメルとミーナが手を握りあい喜びの声を上げる横で淑女らしからぬ声をアリアが漏らした。
ガリレオがアリアをからかうように声をかける。
「余命幾許もない俺の妻になるのは嫌か?」
「まさか! ち、ちがいますっ。そうではなく、その、私でいいんですか?」
「王太子妃候補でもなくなったアリアが扉を毎回使うよりは俺の側にいたほうが効率が良いだろう」
「そ、それはそうですが。何も妻でなくても。……だから、修道女になろうとしたのに」
アリアの口から小さく零れた落ちた言葉をガリレオは聞き逃しはしなかった。
彼らしくもないほうけた表情を浮かべている。ガリレオの表情を見て聞かれてしまったことに気が付いたアリアは顔を真っ赤にして口を押えた。
「まったく。強引にでも理由付けしたというのに」
「変にかっこつけようとするからだぞ」
からかうような国王の言葉に舌打ちで返したガリレオがアリアに向き直った。自然とアリアの姿勢が伸びる。
「アリア。俺は年若いおまえにふさわしい男じゃねぇかもしれねぇ。剣一筋で生きてきて、女の喜ばせかたも碌に知らねぇ、いつ死ぬともしれぬ男だ。それでもおまえが許してくれるなら、俺の妻となってほしい」
一回りも下の小娘に頭を下げてまで告げるガリレオに、アリアの瞳から涙が零れ落ちた。隣にミーナがいるにも関わらずシュンメルは思わずアリアに目を奪われる。
アリアが頷きガリレオの傍まで行くと、衰えて尚逞しい腕の中に引き寄せられた。突然始まった弟のラブシーンを前に国王が気まずげに咳ばらいをする。アリアは慌てて離れようとしたがガリレオは離れることは許さないとばかりに膝上に抱え直してしまう。
タガが外れた獣はどうしようもないと国王は諦めて首を横に振る。調子にのったガリレオはとろけるような笑みを浮かべアリアの額に口づけを落とした。さすがの国王も動きを止め、まじまじと己の弟を見る。
ガリレオの口づけがまぶた、頬、手、そして唇に落とされようとした瞬間国王のわざとらしい咳払いが聞こえた。が、ガリレオはあえて聞こえないふりをして唇を重ねた。
同時に、
二人の唇が離れる瞬間、眩い黄金の光が二人を包みこんだ。しばらくすると光も落ち着き、ぼうぜんと顔を見合わせるアリアとガリレオ。
「今のは……まさか……」
「ガリレオさ、ま?」
ガリレオは拳を握っては開き、続けてアリアを横抱きしたまま立ち上がると部屋の中を歩き始める。黙って見ていた従者は突如持っていた剣を己の主に投げつけた。周りがギョッと目を剥く中、ガリレオはそれを難なく片手でキャッチすると迫ってきた剣を受け止めた。アリアを抱えたままのガリレオとそれでも手加減をしようとはしない従者の攻防が続く。
アリアは気付いた。
二人とも瞳孔が開き切って、口元に笑みが浮かんでいる。これ、本気のやつだ。と
いち早く正気に戻った国王が手をたたくとさすがに二人の動きが止まった。アリアは安堵の息を洩らした。
「聞くまでもなさそうだが……」
「ええ兄上。これは例のアレ、
「さすがにそれ以外ありえないだろうな。となると、いろいろ手続きをせねばなるまい」
「兄上……俺は嫌ですよ」
「しかし、民は納得するまい」
「だが、それでは辺境の地はどうするのです?」
「それこそ、扉を使うしかあるまい。それとも、おまえが常にいなければ戦士たちは使い物にならないのか?」
「は? そんななよっちぃ鍛え方を俺がしているとでも? あ……っとその前にまずこっちだな」
国王の挑発に乗ってしまったガリレオがわれに返り慌ててアリアを下ろす。膝をついてその手を取ると乞うように見上げた。アリアはすでに理解しているように苦笑して、国王にちらりと視線を送るとガリレオに向き直った。
「先程の言葉に付け加えさせてほしい。アリア、俺とともにこの国を支えて欲しい」
「私の返事は変わりませんわ。ガリレオ様と、この国を生涯支えさせてくださいませ」
立ち上がったガリレオがアリアを引き寄せ抱きしめる。『真実の愛』を目にした国王が祝福の拍手を送る。歴史的瞬間に出くわしたシュンメルたちは片膝をつき臣下の礼をとった。その隣でミーナだけが現状を理解できずにぼうぜんとしていた。
今後の話し合いのため、国王を先頭にガリレオとアリアが部屋を出た。
残った面々でミーナに説明をする。ようやく理解したミーナは発狂したように叫び、ガリレオに追いすがろうとしたがシュンメルが後ろから羽交い絞めにした。
聖女も王太子という立場もすでに『真実の愛』に目覚めた二人のものとなった。もはや、どうにもならない、否してはならないのだ。
『真実の愛』を邪魔しては今度は自分たちが処罰対象となるのだから。