空野は休暇を途中で切り上げ、また東京に戻った。
その足で病院へと向かう。とにかく黒瀬に会いたかった。彼女の未来を救い出したい。その思いが益々強くなる。
だが便利な手足を授けることだけが黒瀬に顔を上げさせるのだろうか。
どれだけ高性能の機械を手に入れてもそれを使っていけば日常になる。大事なのはその日常であり、機能はあくまで一つの要素でしかない。
大事なのは知ることだ。黒瀬の過去を、黒瀬の思いを知らないと彼女のためにできることは限られる。そう考えた空野は優しく笑いかけた。
「バイオジョイントはどう? 痛かっただろ?」
「……普通です」
「そっか。強いな。こっちは実家に帰ってたんだ。久しぶりに爺さんに会ったよ。爺さんも左腕がなくてね。でも電脳義手は断られた。作ってる身としては残念だけど、そういう選択肢もあるんだなって思わされたよ。それでだ。君にもきちんと要望を聞いておきたいって思ってね」
「……前にも言いましたけど普通でいいです。動ければ別になんでも」
「……そうか。うん。君が望むならそれでいい」
空野が頷くと黒瀬は「あ」と声を漏らした。
「どうしたの?」
「……その、できれば丈夫なのがいいって。……そう思いました」
「ああ。なるほど。そこら辺は大丈夫だと思う。今は素材もすごいから。運動したくらいの負荷じゃ何年経っても変形したりしないよ」
「……ならいいです」
「うん。分かった。できるだけ壊れないのを作るよ。今週末には持ってくるから」
黒瀬がこくんと頷くと空野はまた少し嬉しくなった。
黒瀬は先を見据えている。だから長く使いたい。丈夫なのが欲しいと思ってくれていた。
それが分かっただけで喜ばしかった。
だが空野はまだ黒瀬が喜んでいるところを見たところがなかった。
それは翌週になり、黒瀬の四肢に電脳義肢が取り付けられた時もそうだ。嬉しそうにするわけでもなく、ただ不思議そうに手足が動くのを眺めていた。
「まだ成長期だから大きくなるのに合わせて中のフレームを伸ばせるようにしておいたんだ。外装の変更は必要だけど、作り直すよりは遙かに安く済む。どうかな?」
「さあ。ちゃんとした手足は初めてなので。でもよかったんだと思います」
黒瀬はどこか他人事だった。おそらくまだ実感が湧かないのだろう。AIが馴染み出せばもっとリアルに感じられるはずだ。指も器用に動かせるし肌の感触もある。あとはそれを自分の腕や足として脳が認識するまでの辛抱だ。
だが空野は同時にイヤな予感もした。自由を手にした黒瀬がどうなるか想像が付かない。
その優秀さを活かして大学を卒業し、能力に見合った企業に就職できればと思っていたが、社会の中で生きる黒瀬がピンと来ない。
もしかしたらそれはただ普遍的な幸福を押しつけているだけかもしれない。空野はそう思いながらも正解が提示できずにいた。
一方の彼も問題を抱えていた。新しくできた部署は既に解体が決まっている。既存の部門が廉価版を中心に開発することが決定したせいで吸収される形となった。もう黒瀬が付けているようなオーダーメイド品は作れない。
このまま会社にいても自分がしたい仕事はできない。かと言って転職しても競争から逃れられるわけじゃない。利益は常に理念を曲げる。それを解決する方法は一つしかない。 独立だ。だが一つ問題があった。
空野ができるのは電脳義肢の設計と組み立てだけ。コアとなるAIの知識が圧倒的に足りていなかった。今から学び直したとしてもかなりの時間がかかる。
現実的な案で言えば働きながら勉強をして資格を取るということだが、AIチューナーは難関中の難関。十年かかっても取れるかどうか怪しかった。
自分の立ち位置を再確認するたび、空野は無力感に襲われた。
(もしかしたら、そんな自分から目を背けるためにあの子を選んだのかもしれないな)
会社で一人報告書を作成している間、空野はそんなことを考えていた。