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第52話 DRIA

 どうしてこうなった。


 男がすべてが変わってしまった自分の世界に頭を抱えて絶望の淵に蹲っていた。


 これからは順風満帆な人生を歩むはずだった。


 ごく少数の人間しかダンジョンから選ばれない特別な存在。


 ────探索者。


 その才能が自分には眠っていた。


 そして、ダンジョンに選ばれ、人を越える事の出来た自分の人生はこれより、誰もが羨み、なんでも手に入る人生になる筈だったのだ。


 学生時代のうだつの上がらない、教室の隅で机に突っ伏して、影に逃げ込むしかなかった自分からは別れを告げたはずだったのに。


 にも関わらずこの現状はなんだ。


 配信サイトのアカウントは凍結され、その理由も詳細不明。


 副収入を失い、自分に付き従っていた男たちも自分から逃げるようにどこかへと去っていった。


 ネットには自分に対する誹謗中傷が溢れかえっており、過去の話まで根掘り葉掘りと掘り返され、それに尾ひれが付け加わり、なんとも惨めな過去に装飾されているではないか。


 ダンジョンで実力を示そうと潜っても、ひそひそと後ろ指を指されることばかり。


 受付嬢の態度すら、どこか冷たいものに感じられてしょうがなかった。


 味方であった付き人を失い、自分を支持してくれていたファンも手のひらを返し、他の配信者のところで自分の悪口を言う始末。


 敵味方をはっきりと分けていた男の世界は、自陣を失い、すべてが敵にすり替わってしまっていた。


 「……俺は悪くない。……俺は悪くないっ」


 最後に縋ったのは女のところ。


 男女の関係になった自分の女に、男は居場所を求めてやってきたのだ。


 しかし、


 『もう関わりたくないから近づいてこないでもらえる?』


 女から告げられたのは、冷たくあしらうような拒絶の言葉であった。


 頭が真っ白になり、最後に残っていた僅かな足場が崩れるような感覚に陥った男は、誇りも矜持も捨てて女へと縋りついた。


 見捨てないでくれと、探索者になってから、こんなセリフを自分が言うとは全く思っていなかった男も、その時になればすんなりとその情けないことが口を突いた。


 めんどくさそうにする女の背後で、男の声が聞こえた。


 胸が締め付けられるような苦しさを覚え、女を問い詰める。


 すると女は表情を変え、男を嘲笑するように唇を歪めた。


『私があんたなんかにマジになるって本気で思ってたわけ?』


 女の背後から出てきた長身の男に女が垂れかかり、その男が女の肩を抱く。


 『チビでブサイク、話も面白くない金だけの男に私が本気になるわけないでしょ?』


 アクセサリーを身に纏い、玄関には高価な靴が並び、部屋の奥にはブランドのバッグが置かれてあるのが視界に映る。


 全て自分が貢いだものばかりだ。


 「あんたはただの金蔓よ。じゃなきゃあんたみたいな独りよがりな奴誰も相手しないでしょ。ベッドの上でも糞みたいに一人でイって。あんた自分はテクニシャンだみたいなこと平気で言ってたけど、飛んでもなくへたくそだったわよ。なに?最近になって童貞卒業して調子に乗っちゃった?」


 けらけらと笑う女を見て、男の頭が真っ赤に染まった。


 そこから先はよく覚えていない。


 気づけば女の部屋の中におり、二つの死体が転がっていた。


 絶望に染まった男の首が床に転がり、大きなベッドの上には顔の分からない女の死体。


 怒りに任せて何度も殴られた女の顔は原型を留めておらず、目も鼻も口も耳も、そして脳みそも、全部が一緒くたになってミンチのようになっていた。


 「俺は悪くないッ俺は悪くない!」


 男は探索者のタブーを思い出し、顔面蒼白となる。


 探索者ギルドは基本、探索者同士の諍いに対しては放任主義を貫いている。


 まるでどうでもいいかのような投げやりな態度の彼らには多くの探索者が疑問を抱いているが、それでも彼らは変わらない。


 しかし、その諍いがこと、探索者と一般人との諍いになれば話が変わる。


 一般人側に明らかな非がない限り、探索者が一般人と諍いを起こせば、ギルド側が探索者に対して厳正な処分を下すのだ。


 当然のように聞こえるかもしれないが、見方を変えればそれは、まるでギルドが探索者を守っていないかのようにすら捉えることができる。


 この事実に一部の探索者が異を唱えてはいるが、上級探索者たちがなにも言わない状況ではなにも変わることはない。


 そしてもし、探索者が一般人に対して恐喝や暴行を加えようものなら、彼らはやってくる。


 それがもし、殺人罪であればその探索者の命も決して長くはない。


 ────ピーン、ポーン


 部屋のチャイムが鳴った。


 時間は午後八時。


 来客にはやや不自然な時間だ。


 ────ピーン、ポーン


 場の雰囲気に似つかわしくない音が、なぜか男には恐ろしく感じられた。


 もしもに備え、男は慌てて手に付いた血を洗面所で洗い流し、顔の血を拭い、殺した男のものであろう、干された綺麗な上着に着替えて、来訪者の帰りを待った。


 ────ガチャリ


 玄関のドアノブが動く音が聞こえて、男は慌てて玄関へと向かった。


 「あっいてっるじゃーん。もう、女の子の一人暮らしなんだから気を付けないとぉ。おーい、あみちゃーーん。お元気ィィ??」


 玄関を開けて入ろうとする女を男が阻止するように出迎えた。


 「あれれ?お兄さんだれ?あーっもしかして新しい男ー!?」


 「あ、あみは今出かけてるから、用があるならまた今度にしてくれるかな?」


 男は来訪者が頭の軽そうな若い女であることに安堵して、帰すために嘘を吐いた。


 「えー、今日遊ぶって約束してたのにぃ。あみ忘れちゃったのかなぁ」


 女のピンク髪を見て、一瞬、男が警戒した。


 髪色の変化は上級探索者に見られる現象で、この女が上級探索差の可能性が脳裏に過ったからだ。


 しかし、女は一見若く見える。


 精精が高く見積もっても二十歳に達しているかどうかだろう。


 満二十歳でしか探索者になれないため、この年齢の女が上級探索者であることはほぼ間違いなくあり得ない事だろう。


 それに頭頂部が僅かに黒いのも見て、それが単なる髪染めであることが分かり、男が安堵する。


 「お兄さん。探索者でしょ!」


 「わ、分かるかな?そこそこ有名だからね」


 ははは、と乾いた声で愛想笑いを浮かべ、早く帰ってくれと内心で訴える。


 もし、この部屋の奥の惨状を目撃されれば、男はこの女も殺す事を覚悟しなければならないのだから。


 「ううん違うよ────」


 女が男の顔を覗きこむ。


 「────だって血の匂いが凄いんだもん」


 男がその女の言葉に本能的に飛び退る。


 「あははっすごい反応だね!流石探索者」


 もう状況的に危険な状態であることを察した男が瞬時に覚悟を決め、躊躇いなく女を殺す決断を下した。


 一発殴ればそれで終わる。


 男が女の顔を殴りつけた。


 「────なん、で……」


 男の拳は女の顔面を捉える直前、その手前で防がれる。


 宙に浮かび上がる六芒星によって。


 「おい、あまり遊ぶな。人払いの結界は繊細なんだ」


 女の隣に大柄の男が立っている事に今更ながら男は気付く。


 今までまるで気配を感じなかった大男に、男が驚いてたたらを踏んだ。


 「はーいごめんなさーい」


 困惑する男に、大男がずいっと玄関を塞ぐように女と入れ替わる。


 「我々はDungeon Response and Investigation Agencyの者です。DRIAダリアと言えばお分かり頂けるかと」


 その言葉を聞いた瞬間、男が扉横の壁を破壊して逃走を始めた。


 「身体能力はかなりのものだな」


 「ちょっとそんなこと言ってる場合ぃ?」


 後ろで呑気に会話する二人を尻目に男が全速力で夜の街へと踊り出ると、そのまま当てもなく走り続けた。


 Dungeon Response and Investigation Agency────通称DRIAダリア


 それは探索者たちを取り締まることを目的とした組織。


 暴れる探索者を取り押さえることのできない、現行の警察機構に変わって発足された対探索者用の保安組織、それがDRIAだ。


 探索者なら誰もが恐れると言って過言ではことで有名な組織であり、その構成員などは一切公にされていない。


 唯一公的機関でありながら、ダンジョン七不思議に数えられているDRIAの逸話はどれも信憑性が無いものばかりでありながら、その存在を誰もが恐れている。


 やれ、すべての構成員が上級探索者であるとか


 やれ、国家保有探索者のエリート部隊が所属しているだとか


 最も信じがたい噂の中には


 ────誰一人として、探索者は所属していない


 などと言ったとんでも噂まで存在する始末。


 男もDRIAの噂は知ってはいたが、そのどれも鼻で一笑に付してきた。


 しかし、男は今さっき出会った二人組の男女を見て、それが真実であったと確信に変わる。


 特にあの大男はやばい、と男の内の何かが警鐘を知らせていた。


 男は気付けばダンジョンへとやってきていた。


 時間問わずに運営されているダンジョン。


 男は係員を押しのけると勢いよくダンジョンの中へと逃げ込んだ。

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