目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第42話 人の身の可能性

 「マスター!?」


 獄屍オウグルの剛腕に湊が自身の身体との間に刀を差し込んだが、現状マジックアイテムの効果によって一般人水準まで低下した身体能力が低下したその体では満足に防ぐこともできずに、ダンジョンの壁へと激突させられてしまい、それを見た小雛が悲鳴を挙げる。


 ────まずくね?


 ────え?死んだ?


 ────一般人程度の肉体強度しかなかったら……


 ────フレーム数足んなくてよく分からなかった


 ────きゃぁぁぁあああああ私の王子様がぁぁあああああああ


 ────嘘……こんなあっけなく?


 血相を変えて湊へと駆け寄ろうとする小雛を津久見が腕を掴んで止める。


 「離してください!マスターが死んじゃうっ!(本音)」


 「桜咲が行ったところでどうにもなりません(本音)」


 「でもっ(本音)」


 「それにあれを良く見てください。ゴキブリみたいにしぶといあの人がこんな事でくたばるわけないじゃないですか(本音)」


 辛辣な言葉だが、それは真実だった。


 土煙の晴れ行くダンジョンのがれきから、のそり、と一つの影が起き上がる。


 「マスター!」


 湊の無事を確認して表情を一変させた小雛が、焦る気持ちを落ち着かせてその場に留まった。


 「ちっ、やっぱしぶといな。どうなってんだよあいつ……(本音)」


 納得のいっていない曽我部が悪態をつき、それを小雛が見咎めた。


 「人の死を喜ぶようなら根っこまで腐ってますね(本音)」


 「……アバズレの癖に(本音)」


 「むっ……」


 このままでは喧嘩に発展しそうな雰囲気をぶった切るように湊の声が三人の耳に届いた。


 「いやぁ、そうだった。忘れてた忘れてた。チョーカー付けたままだったんだ、あぶないあぶない」


 戸締りを忘れて戻る休日の父親のように軽い様子の湊が、ぴんぴんした姿で再び獄屍の前に立つ。


 多少服装が乱れているだけで、はだけた素肌にこれと言った傷は見られなかった。


 「セクシーすぎです!!(本音)」


 「桜咲さんはもう黙ってたほうがいいと思いますよ(本音)」


 興奮を見せた小雛に津久見が横目で見ながら諭した。


 さっきから彼女は無意識のうちにネットの向こうの男たちの恋心を殺していることに気付いていない。


 それと、後から後悔して恥を掻くのが今から目に浮かんでしまう。


 濁った声を上げる獄屍にすらりと刀を抜いた湊の空気が変わる


 「さて、これ付けたままだとちょっと本気でやらないとまずいかな?」


 「ま、マスター、そのままだと危険です!すぐに壊してください!」


 このまま戦うつもりの湊に目を丸くした三人を代表して小雛が湊へとその驚きを口にした。


 「だって、もうこれしかないし……」


 「だったらすぐに手で外せばいいじゃないですか!なに子どもっぽいこといってるんですか!?(本音)そこもちょっとかわいいですけどっ……(本音)」


 「えぇ……(本音)」


 喋る度に好意を剥き出しの小雛は一時的に感覚が麻痺しているのか、今はなんともない顔で恥を晒し続けてはいるが、多分後から激しく後悔するだろう。


 そんな小雛のあまあま発言には津久見もドン引きだった。


 「この際だからこのまま戦う事にするよ。指導の続きということで、そこで見ていなさい」


一瞬、津久見の方を見た湊の空気が変わる。


 気を引き締めた湊の様子に張り詰めたような棘を空気に感じた三人が押し黙った。


 「僕だって伊達に【剣聖】と呼ばれた男じゃないからね。相手は理性をなくして、闘志も奪われ、心技を欠き、残されたのは朽ちたたいのみ。これに負けてちゃ【剣聖】の名が泣くというものだ」


 やおらに持ち上げられた切っ先が、弧を描く。


 探索者にとって、見て回避のできる亀のような剣速は、しかし、どこまでも真っすぐで、目を奪われるほどに美しい剣線を描き、それは一切の誤差もなく、怪異の腕を切り落とした。


 「剣に過分な力は要らない。だって────剣なんだから」


 ◆


 半歩下がり、上体を逸らす湊の側を獄屍オウグルの拳が過ぎ去る。


 間一髪のところだったが、それも彼の思惑通り。


 当たるも当たらないも紙一重のギリギリの回避は時間を生み、未来予測に近い湊の読みが、獄屍の次の攻撃の予備動作の前段階で回避準備を可能とし、予定調和のような動きを見せる両者の戦いはまるで演武のようですらあった。


 「力は元の大鬼オーガ以上。魔力抵抗も高く、その上瘴気を撒き散らす。とても厄介だけど、動きはとても単調だ」


 回避を続けながら喋る余裕のある湊は授業の続きだと言わんばかりに獄屍の特徴をあげつらえ、そう評価を下す。


 「上段からの殴打を空ぶれば、飛んでくるのは焼き増しのような同じ殴打。……そしてそれを繰り返し、尚ダメなら次は足。だがこの脚撃もまるでなっちゃいない。素人の蹴りそのものだ。操っているのは武術を知らない門外漢と言ったところだろうな」


 こき下ろすように批評する湊に、腹を立てたのか、獄屍の攻撃が苛烈さを増した。


 「そしてそんな門外漢が冷静さを失って自棄になれば、相手にするのは尚容易い」


 獄屍が足を振り上げたタイミングでは既に湊は動いており、その足元にまで潜り込んでいた。


 そして重心の不安定な片足に蹴りを叩きこんでやれば、獄屍は簡単にその場に尻もちをついてしまう。


 呆然と呻き声を上げ続ける獄屍の太いその首に、湊の刀が添えられる。


 「刃は真っすぐに差し入れることが出来れば勝手に肉を裂いて進んでくれる」


 獄屍が僅かな痛みに鳴く。


 刀がゆっくりと、その太い首の肉を裂きながら進む。


 まるでバターに熱したナイフを当てたかのようにゆっくりと。


 まるで物理法則を無視したかのような光景に三人が固まった。


 ────────ア゛ア゛ア゛ァァア゛ア゛ッ!


 ようやく自分の置かれた状況が、断頭台であることを思い知った獄屍が大きく叫んだ。


 力んで血管の浮き出た首を尚も湊の刀が進んでいく。


 筋肉の収縮による圧迫も摩擦も無視し、マグロの解体ショーのようにすんなりと進む刀は奇怪に過ぎた。


 首の骨に当たる直前、スッと速度を上げた刀がすんなりと脛骨の継ぎ目に滑り込み、そのままひと思いに振り抜かれた。


 ────────ア゛ア゛ァ


 その断末魔は小さく、穏やかだった。


 ごろりと地面に首が落ち、直後にダンジョンが燐光に包まれた。


 塵となって帰っていくダンジョンの魔物を見送る湊の背中は黙祷を捧げているようにも見えた。


 そして湊は遂にやり遂げてしまう。


 探索者の身体能力も【スキル】もなく、只人と変わらない筈の肉体で、下層の魔物を葬ってしまうという快挙を。


 三人はマスクの効果の中であっても口を開かなかった。


 否、あまりの光景に言葉を失ったのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?