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二十三本目:曇天

 ──大会の日がやってきた。街で一番大きい体育館に県内の全高校生剣士が集合する。今日は個人戦が行われる日であり、五人一チームの団体戦より人数が少なくなる、ワケではない。


 各校の代表が出場するのだ。どの高校も気合い入れて自分たちの高校の選手を応援するに決まってる。強豪校などは開場と同時に雪崩れ込むように席を確保し、垂れ幕を客席に掲げる。色とりどりの垂れ幕は遠くから見たら国旗のように見えた。


 いや、一種のお祭りのようにも見える。気勢の声と熱のこもりやすい体育館の構造のせいで、足を踏み入れた瞬間に全身を熱気が飲み込んだ。これが高校の大会か。天気は生憎の雨だが、滾る気合いで雨粒すら蒸発しそうだ。僕たちの高校も五代部長を応援するために気合を入れている。


「沙耶ぁ、俺たちも全力で応援するからよ」


 刀哉が八咲の荷物を持ち、大会前にできる限り体力を消耗させないようにしていた。


「うむ、ありがとう。おかげで今日は特別調子が良い。誰が相手でも負ける気がしないな」


 八咲の足取りは軽い。あの試合以降、八咲が辛そうにしている場面を見たことがない。

 きっと調子が良いのだろう。ただでさえバケモノじみた強さを持つ八咲が最高の調子で剣を振ったら──そう考えるだけで、ちょっと身震いがした。


 八咲は一年生の身ながら、優勝して、全国へ。そして、きっと全国すらも。


「達桐」


 そんなことを考えていたら、何かが僕の鼻に当たった。


「しっかり見ていてくれよ。優勝するから」


 八咲の指だった。僕を指差しながら、妖艶に片目を閉じてみせた。


「ああ、見ておくよ。君の剣を少しでも勉強して、理解できるように」

「それは嬉しいな。ぜひとも理解してくれよ。今までそんな人はいなかったものでな」

「え?」

「私を理解できた人はいないからな。刀哉でさえも」


 それは、どういう。


「君なら、私を理解してくれると、そう信じているよ」


 八咲はどこか遠くを見つめるように天井を見上げ、何も言わなくなった。


 硝子のような剣。僕が八咲に抱いた印象はそれだ。美しく、透き通っていて、触れれば綺麗に切り裂かれる。誰もが見惚れる絶世の剣。気高くて、美しくて、穢れがなくて。だけどどこか寂しそうで。脆さと儚さを含んだ──唯一無二の剣。


 ここで気付いた。八咲は今、自分を見せているのではないかと。

 今まで被り続けてきた鋼の仮面を脱ぎ捨てている……そんな気がした。


 暴君で自分勝手で、どこか詩人じみた喋り方をする八咲。

 もしも、そんな『強い』一面が、八咲の表層の部分でしかなかったら?


 実は、八咲には、ふと覗かせる脆さと儚さを隠す必要があったとするなら?

 僕が、今、すべきことは。


 ……綺麗な髪だ。雨で湿気を含んでいるとは思えないほど、まとまって、艶やか。墨汁で編み上げたような純粋な黒色は、磁器みたいに白い肌と相まって、目を引っ張られる。


「八咲」


 だから、触れてみたくなった。その髪に。彼女の美しさと儚さを体現している体に。

 鋼の仮面に隠された、透明な心に──。


 八咲が振り向く。当たり前だ。僕が名前を呼んだんだから。

 だから、僕の手が、八咲の頬に当たろうとして。


「……なんだね、この手は」

「あ、いや、その、髪に埃が」


 ジトっとした目が罪悪感に突き刺さる。言い訳のしようもない。咄嗟にウソを吐いたが、相手は八咲だ。通用するはずがない。


「大丈夫だよ、達桐」


 詰められるかと思ったけど、意外にも八咲は優しく僕の手をどけて、


「私は大丈夫だ。勝ってくるから、団子をたらふく用意して待っていたまえ」


 脇を抜けていく、刀哉から荷物を受け取り、着替えに行った。


 一人で。


 僕と刀哉は、そんな八咲の背中を見続けることしかできなかった。

 遠くで雷が鳴った。一人歩く八咲に声を掛けなくてよかったのだろうか。言葉にできない無力感と不安が、一気に僕の心臓を鷲掴みにした。



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