北田が帰った後、美恵子はリビングに里香を呼んだ。
「あの人、帰ったの。里香、正男君の話、もっとしたかったな」
「そうね、正男君は私たちの心の中、思い出にしっかり残っているものね。他の人には分からない素晴らしい話ばかり。私たちだけで正男君のこと、話そうよ。今、飲み物とちょっとつまめるものを持ってくるわね」
美恵子はそう言って台所の方に行った。しばらくしていろいろ持ってきたが、まだ明るい時間だし、里香もいるということでアルコールは無し、ということで思い出話が始まった。今度はそこにサブやモモも来ていた。もちろん2匹には言葉は分からないだろうが、雰囲気は感じるのではないかという状態だった。
思い出話の口火は里香が切った。取材が中途半端だったので、正男について話したかったようだった。
「里香ね、最初に正男君が家に来た時、サブちゃんやモモちゃんが家族のように感じていたと思った。これまで、玄関に知らない人が来た時、逃げたりしていたでしょう。でも、正男君には逃げるどころか、足に身体を擦り付けていた。お父さんが帰ってきた時のようだった」
「そうね、あの時の正男君、優しく撫でてくれていたね」
「ぺスちゃんの時もそうだったよ。近所の人は危ないとか言っていたけど、正男君は全然怖がらなかったし、ぺスちゃんも噛みついたりしなかった。それより何か安心したような感じだった。サブちゃんやモモちゃんと遊んでいる時と同じだった」
「里香ちゃん、すぐそばで見ていたんだものね。みんなに優しかったものね、正男君」
田代が言った。
「お母さんがぺスちゃんたちをウチの子と言った時、家族がまた増えたと思った。でも、みんな死んじゃった。悲しかった」
里香はそう言うと、少し目に涙をためていた。
「ぺスちゃんたちのお葬式の時、サブちゃんやモモちゃんが近くにいたよね。正男君はその時、2人を優しく撫でていた。『大丈夫、ミンナ天国ニ行ッタヨ』と話しかけていたようだった。優しかったよね」
「私もそう思った。言葉にはならなかったけれど、私たちよりも心が通じていたのかもね」
田代も少し涙目で言った。
「もし、ぺスちゃんが元気になっていたら、みんなでお庭で遊べたかな?」
「遊べたわよ。賑やかだったでしょうね。楽しい笑い声が聞こえていたと思うわ。お母さん、みんなのそういった楽しい声、大好きなの。正男君が来て、そういうところが増えたように思う」
「そうだね、家族が増えて家に帰ることが楽しくなっていた。何かお土産を買って帰ろうと思った時、正男君のことも考えるようになっていた。でも、最後まで何が良いのか、分からなかったな。みんな、正男君はどんなものを欲しがったと思う?」
「難しいな。私はモノではなく、みんなで一緒に過ごす時間だったと思う。田代さんも含めてみんな揃った時、とても楽しそうな雰囲気が伝わってきた。正男君には物欲は無かったから」
「そうですね。私もそう思います」
この時、田代は正男にはそういうプログラムのインストールはされていない、ということを言いたいところが少しだけあったが、ここでは正男は人間だ。ロボットではない。みんなそういうつもりで話しているし、田代も心の中ではすでに正男は人間だったのだ。今回の雑誌の取材でもそういう視点で記事を綴ってほしいと思っていた。
「でも、食事の時、何か食べたいものがあるかって聞いたら、里香と同じくハンバーグって言ったことがあるわ」
「ほう、それは初耳だ。田代さんは聞いたことはありますか?」
「ありません」
「その時は里香がいるところで聞いたの」
「私、覚えている。私、ハンバーグって言ったの。そしたら正男君が『僕モ』って言った。私、同じものが好きなのか、と思った」
もちろん、その言葉が正男の本心と里香以外は大人の解釈として理解した。里香の気持ちを慮った正男の配慮だったのだ。しかし、里香のその言葉にみんな目を細めて頷いていた。そこにも正男の優しさが現れており、さりげない言葉や行動が辺見家でお世話になったことで確実に身に付いたのだ。
「それからね、正男君がウチに来た時、庭の草むしりを2人でやったの。私、一生懸命引き抜こうとしたけどできなくて、正男君が変わってやってくれた。でも、引っこ抜けた時、正男君、尻餅付いたの。お尻に土がたくさん付いた。笑っていた」
「あっ、思い出した。正男君のズボンが泥だらけになっていた時ね。何があったのか教えてくれなかったので分からなかったけど、そんなことも2人の間では楽しい思い出になったんだ。正男君も笑っていたんだね」
この後も正男との思い出話は続き、結局この日、これまでのように田代は辺見家に泊まることになり、明日、北田からの連絡を一緒に待つことになった。