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第12話 風の魔法とドラーイア

 カチ、カチッ、フォオオー。

 カチッ、フォオオー。


 センリが手の中のドライヤーのスイッチを切り替えると、まずは熱風が、続いて冷風が吹き出してきた。


「ふぉおおー。こりぇら、ドラーイア。あったかいかれと、ちゅめたいかれら、でてくりゅ」

「そうだよ。人間には、魔法が使えない者も大勢いるし、魔法使いもネコーほど自在に魔法を使えるわけじゃないからね。こういう魔法の道具を使って、髪の毛を乾かすんだよ」

「おー」


 程よく離れたところからドライヤーの風を当てられて、にゃんごろーは丸くて大きなお目目をキラキラさせる。

 お船には、にゃんごろーの初めてがいっぱいあった。



 浴場での大失態の後、ネコーふたり組は、センリとニコルによって脱衣所へ強制送還された。脱衣所の足ふきマットの上にストンと降ろされると、長老は風の魔法でさくっと体を乾かした。自分とにゃんごろー、ふたりまとめて一気に乾かした。長老は、ネコーの住処で一番魔法が上手いネコーなのだ。これくらいは、朝飯前だった。

 人間たち二人は、タオルを使ってゆっくりと支度を整えると言うので、にゃんごろーは脱衣所を探検して回ることにした。ネコーは服を着ていないので、お風呂に来た時には通り抜けただけだったのだ。

 夕ごはんのことを思うと気が逸ったが、センリたちに、ごはんの支度が整うまで、もう少し時間がかかるはずだと言われて、涎をゴックンしながらも何とか気を落ち着けた。

 少し落ち着いてみれば、お世話になった二人を置いて、先にごはんを食べに行くのもよくないな、と思えてきた。それに、住処のシャワー小屋には存在していなかった脱衣所というものへの興味も、ムクムクと頭をもたげてくる。


 真っ先に気になったのは、洗面台の大きな鏡だった。洗面台の前に用意されている椅子に器用によじ登って、ひょいと顔を出す。ネコーの住処にも鏡はあるけれど、こんなに大きな鏡はなかったので、とても新鮮に感じた。

 長老の白いお耳の先が、チラチラと映っているのを見るだけで、楽しくなって笑ってしまう。

 一しきり笑って次に気になったのは、洗面台に取り付けられていた白いヘアドライヤーだった。


「ちょーろー、これ、なあに?」

「これは、ドライヤーだよ。髪の毛を乾かすための道具なんだ」


 肉球のお手々で、ペとぺと触りながら尋ねると、長老の代わりにセンリが教えてくれた。体にタオルを引っかけてにゃんごろーの背後に現れると、ひょいとドライヤーを持ち上げて、持ち手についているスイッチをスライドさせ、にゃんごろーに風を吹きかける。

 最初は、それだけでも楽しくてキャッキャと笑っていたが、その内、自分でもやってみたくなった。


「にゃんごろーも、やってみちゃい」

「え? 大丈夫かな。にゃんごろーくんには、ちょっと大きいような」


 キラキラのお目目で見上げながら肉球のお手々を差し出すと、センリは少し困った顔をしながらも、ハイとスイッチを切ったドライヤーを手渡してくれた。ドライヤーは思ったよりも重かったけれど、センリがゆっくりと手を離してくれたので、床に落としたりせずに済んだ。

 にゃんごろーは、抱えるようにドライヤーを持ちながらスイッチをいれようとしたが、上手くいかなかった。


「うーん、人間用の道具だからねぇ。ほら、僕が支えているから、スイッチを入れてみなよ。あ、吹き出し口は体から離すんだよ。吹き出し口の近くは、結構熱い風が出てくるからね。体に直接当てないように、気を付けて」

「ん! ありあとー!」


 センリはにゃんごろーが椅子から転げ落ちないように背後から支えてやりつつ、ドライヤーの筒の部分を片手で持って、吹き出し口を鏡の方へ向ける。使い方の注意をすると、にゃんごろーは元気に頷いた。

 センリがドライヤーの重さを受け止めてくれているため、にゃんごろーは片手で持ち手を持っている気分を味わうことが出来た。空いている方の手をスイッチにのせて、先ほどのセンリの真似をして、上へとスライドさせていく。カチ、カチッと音がして、筒の先から、フォオオーっと熱風が吹き出してきた。


「れきちゃ!」


 ぱぁあッと顔を輝かせて、今度は下にスライドさせると、冷風が吹き出してくる。

 それだけのことが嬉しくて、にゃんごろーは夢中でスイッチをスライドさせて遊ぶ。

 熱風にしたり、冷風にしたり、風を止めたり。

 ひとりで魔法を使いこなしている気分を味わえて、それだけでものすごく楽しかった。

 実際には、それだってセンリに手伝ってもらっているのだが、そこには気づいていない。


「にゃんごろー。調子にのって、お船のものを壊したりせんようになー」

「はっ!?」


 楽しすぎて、ひたすらカチカチしていたら、呆れたような長老の声が聞こえて来た。にゃんごろーは、ぴたっと手を止める。

 お船のものを壊したら夕ごはんを食べさせてもらえないかもしれない、と心配になったのだ。カチカチは楽しいけれど、夕ごはんに勝るものはないのだ。

 にゃんごろはー最後にカチッとして風を止めると、センリにお礼を言って椅子から飛び降りた。


「大体、そんな道具より、長老の魔法の方がすごいじゃろうが。ドライヤーなんぞを使うより、よっぽど早く乾くわい」

「そうらけろー! ちょーろーのまほーは、すろいけろー。れも、にゃんごろーは、たのしくにゃい!」

「こ、こやつ。乾かしてもらっておいて…………! というか、にゃんごろー。それは、おまえのおもちゃじゃないぞー? 見てみい? ニコルはもう着替え終わっているのに、おまえが遊んでいるから、センリはまだ髪も乾かし終わってないぞ? ドライヤーで乾かすのは、魔法で乾かすより時間がかかるんだぞー?」

「は!?」


 長老に言われて二人を見てみれば、ニコルは先に着替えを済ませていて、笑いながらにゃんごろーたちの様子を見ていた。

 対して、にゃんごろーに付き合ってくれたセンリの方は、裸の体にタオルを引っかけたままで、髪の毛もまだ濡れている。にゃんごろーが遊んでいたから、ドライヤーが使えなかったのだ。ちなみに、ニコルは坊主頭に毛が生えた程度の短髪なので、タオルで吹いただけで済ませてしまったようだ。

 にゃんごろーの「たのしくにゃい!」に心を傷つけられた長老に、おとなげなく煽られて、にゃんごろーは焦った。しかし、焦った末の怪我の功名で、子ネコー的名案を思い付いた。

 にゃんごろーは、お詫びと共に、思いついたばかりの名案を披露した。


「ごめんにゃしゃい! れも、らいりょーる! おわびに、にゃんごろーが、まほーれ、きゃわかしちぇあげりゅ! しゃしゃっちょね!」

「え?」

「ちょいと、待つんじゃ! ちゃんと上手に出来るんか? やったことないじゃろう?」

「らいりょーる! ちゃんと、ちょーろーれ、れんしゅーしゅる、かりゃ!」


 ドライヤーで乾かすのに時間がかかるのなら、にゃんごろーが魔法で、ささっと乾かしてあげればいい!――――と子ネコーは短絡的に考えた。未熟な魔法を披露しようとする子ネコーを、長老が慌てて止めたが、にゃんごろーは「大丈夫」だと言い切った。といっても、決して自分の実力を過信しているわけではない。まずは長老で練習をして、上手になったらセンリで本番を行う腹積もりなのだ。

にゃんごろーは、長老の返事も待たず、早速、練習を実行した。さっきしてもらったばかりの魔法を思い出しながら、長老に向かって両方のお手々を突き出し、ドライヤーの真似をする。


「にゃー! カチッ!」

「にゃ!? あちっ! あちちちちっ!」

「うにゃ!? ちゃ、ちゃいへん! ちょっと、しっぴゃい! ちょろーりょーら、まるやきに、にゃっちゃう! ちゅ、ちゅめちゃいの! そりゃぁー、カチッ!」


 気合が入り過ぎたのか、風の魔法は成功したものの、少し温度が高すぎたようだ。長老は悲鳴を上げながら、踊りだした。それを見たにゃんごろーは、大慌てで、熱風魔法を冷風魔法へと切り替えることにした。さっき散々遊んだドライヤーの真似をした「カチッ」が、切り替えの合図だ。

その結果、切り替えの魔法は、上手くいった。大成功だった。しかし、長老救出作戦は、大失敗だった。


「ひぃっ! つめたっ! こ、凍える! 氷ネコーになるっ!」

「えー!? まちゃ、しっぴゃい!? うー、スチョップー、カチッ!」


 熱風は、氷の粒が混じっていそうな、凍りつかんばかりの冷たい風となり、長老に襲い掛かった。悲鳴と共に震えていた長老は、最後の「カチッ」と共に風が止まると、その場に座り込んでしまう。


「え、えっと。僕は、遠慮しようかな? 時間がかかってもいいから、ドライヤーで乾かすよ」

「ま、まっちぇ! こちゅは、ちゅかんら! こんりょは、うまくやりゅ! らから、にゃんごろーに、ゆうごはんのチャンスをりょーらい!」


 座り込んで「ひーひー」と息をしている長老を見て、センリは子ネコーのありがた迷惑な申し出を辞退しようとしたのだけれど、子ネコーはそれを許さなかった。ここで挽回しなければ、お船のごはんを食べさせてもらえないと、いつの間にかひとりで勝手に思い込んでいたのだ。

 もう、失敗は許されない、と子ネコーはお顔を引き締めた。

 そして、だからこそ。にゃんごろーは、ここでも慎重さを見せつけた。長老本ネコーには断りなく、もう一度、身内である長老で練習してみることにしたのだ。

 青猫号の人間であるセンリに魔法を使うのは、ちゃんと長老で魔法を成功させてから、なのだ。

にゃんごろーは、座り込んだままの長老に、再び手を突き出した。

 そして、歌い始める。


「きーもちーの、いいかれ♪ ちょーろ、いいかれ♪ カチッちょ、ふぅー♪ ふっふっふぅー♪」

「ふぉ!? お、おお~。こりゃー、いーい塩梅じゃわい」


 今度こそ、本当の意味で成功したようだ。

 凍えて強張っていた長老の顔が、ゆっくりと解けていった。気持ちよさそうな笑みが広がっていく。

 温度も風圧も、ちょうどよい塩梅のようだ。

 満足そうな長老の様子に、にゃんごろーは、これなら大丈夫だと確信した。


「やっちゃぁー! らいしぇいこー! りゃあ、ちゅぎは、センリしゃんね!」

「あー、うん。お願いしようかな」


にゃんごろーは、椅子に上って、センリに向かって笑顔と両手を向けた。

一度は辞退したセンリも、今度は応じてくれた。本音を言えば、まだ少し不安はあったけれど、子ネコーにこんなに嬉しそうに見上げられては断れなかった。自分だって魔法使いなのだし、いざという時は魔法で対応しよう、とセンリは覚悟を決めた。

 センリが頷くと、子ネコーは音符を巻き散らすがごとく笑みを浮かべた。


「まきゃしてー! いきゅよー! しょーれ! きもちのいいかれ♪ ちょーろ、いいかれ♪ センリしゃんをー♪ ふわっとしゃらっと、にゃん・にゃん・にゃーん♪」

「わ? すごい! 一瞬で乾いた。サラッサラだ。しかも、すごく気持ちよかったよ!」

「えへへー! やっちゃー!」


 本番も、大成功だった。

 だが、にゃんごろーにとっての本当の意味での本番は、この後だ。

 センリに褒められて喜びながらも、今一番の懸念について、期待と不安を込めて尋ねた。


「ねえ、ねえ、センリしゃん。こりぇれ、にゃんごろーも、おふねのゆうごはん、たべさせちぇ、もらえりゅ?」

「へ?」


 見上げてくるにゃんごろーの思いもかけない言葉に、センリは目を真ん丸にして固まった。

 見上げる子ネコー。見下ろすセンリ。

 しばし見つめ合った後、センリは大爆笑しながら、にゃんごろーの頭をくりくりと撫でまわした。


「ふっ、はははっ! だ、大丈夫! そ、そんなこと、心配してたんだ。あ、あはは! あ、安心して、い、いいよ。ゆ、夕ごはんは、ちゃんとにゃんごろーくんの分も、あるから! みんなで、一緒に食べよう! あはははは!」

「ほ、ほんとー!? よかっちゃー!」


 どうしてセンリがいきなり笑い出したのかは分からないけれど、夕ごはんにはありつけそうだと聞いて、にゃんごろーは心と腹の底から笑顔になった。

 そのまま、にゃんごろーにとっての大本番へと思いを馳せる。

 食いしん坊な子ネコーの可愛い勘違いがツボにはまったらしく、センリとニコルは笑い崩れている。

 ひとり残った長老はといえば、呆れた顔で、椅子の上の子ネコーを見上げていた。


「なるほど。夕ごはんを心配して、ちょっぴり失敗もあったとはいえ、初めての魔法をちゃんと成功させおったのか。料理の魔法をやらせてみた時は、食い意地に足を引っ張られて大失敗じゃったが…………。ワンクッション置くと、食い意地がいい方向へ働くようじゃのー、この子ネコーは。じゃが、これは使えるの!」


 胸元の長い毛を撫でまわしながら呟くと、長老はにんまりと笑った。

 ごはんをエサに、子ネコーの魔法を上達させようという腹積もりだった。

 だが、大変残念なことに、「さて、夕ごはん」と脱衣所を出た時には、せっかくの思い付きを綺麗さっぱり忘れていた。

 長老だって、にゃんごろーに負けず劣らずの食いしん坊なのだ。


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