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第24話 鼠神九兵衛01

「わらわは闇をべる領袖りょうしゅうにして、混沌と暴虐の神『八頭やず大蛇おろち』」



 禍津姫まがつひめまぶたを閉じて両手を大きく広げた。すると、つややかな黒髪がユラユラと宙へ浮かび、スニーカーのかかとも床から離れてゆく。重力の鎖から解き放たれたかと思えば、急に瞳をカッと見開いた。双眸は猛々しい赤色に染まっている。



「神の眷属たる鼠神そじんどもに告ぐ!! 今すぐわらわの前に姿を見せよ!!」



 それは普段の禍津姫の声ではなかった。遥か地の奥底から湧いてくるような重々しい声で、春馬と小夜の心臓を鷲掴わしづかみにする凄味があった。



「二度は言わぬぞ。遠からん者は音に聞け!!」 



 禍津姫が言い終わると同時に半透明の蛇が無数に現れ、店内の床や天井を勢いよくってゆく。蛇たちが四方八方へ散ってから少したつと……。



「う、うわっ!!」

「キャー!!」

「へ、蛇だ!!」



 店内のあちらこちらから悲鳴が上がり、消えていた店内の明かりが灯る。冷蔵庫や換気扇も稼働を再開した。



「フム。ようやっと姿を現したか……」



 禍津姫は納得するとストンと床に着地する。声も普段のものへと戻り、赤い瞳も柔らかな眼差しへと戻っていた。



×  ×  ×



「「え??」」



 春馬と小夜は明るくなった店内を見渡して目を見張った。店内には7~8名の従業員らしき男女が立っている。二人が戸惑っていると禍津姫は得意げに説明を始めた。



鼠神そじんは人の『盲点もうてん』を探し出して隠れるのじゃ。まあ、わらわには通用せんがのぅ……」



 禍津姫は一歩前へ出ると従業員たちに向かって声高こわだかに呼びかけた。



鼠神九兵衛そじんきゅうべえ!! 取って喰おうとは思わぬ。進み出よ!!」



 凛とした声が店内に響くと中年の男が進み出た。男は小太りで、ジーンズにピチピチのTシャツを着ている。地元プロ野球チームの帽子をかぶっていた。他の従業員たちも恐怖で引きつった顔を見合わせながら禍津姫の前へ集まってくる。



「や、や、八頭大蛇さま。は、は、はじめ、じめ、初めまして。きゅ、九兵衛にございます」



 九兵衛は帽子を取って薄くなった頭をあらわにすると、恐れおののきながら頭を下げた。よほど緊張しているのだろう。Tシャツの脇や背中が汗でビッショリと濡れている。膝もガクガクと震えていた。禍津姫はそんな九兵衛を眼光鋭く睨みつけた。



「このわらわを前にして隠れるとはよい度胸じゃ」

「うへぇ!! け、けっしてそのようなつもりは……」



 九兵衛が言葉を失っていると、恰幅のよい中年の女がドンッと背中を叩いた。



「だから、あたしゃ『隠れてないで挨拶しよう』って言ったんだよ!!」

「あん!? ブレーカーを落としたのはお前だろ!! 今さら、なに言ってんだ!!」

「アンタが落とせって言ったからじゃないのさ!!」

「なんだと!? もうちょっとゆっくりブレーカーを落とせばよかっただろ!!」

「ゆっくりブレーカーを落とす!? ふん!! どうやんのさ!? アンタ、やってみなさいよ!!」



 急に夫婦めおと漫才のようなやり取りが始まった。禍津姫は呆気にとられてこめかみに汗を浮かべた。



「け、喧嘩なら、あとでやってくれぬか……」



 禍津姫が呆れ気味に呟くと九兵衛と女はハッと我に返る。女は慌てて禍津姫の

前にひれ伏した。



「八頭大蛇さま申し遅れました。わたしはせんと申しまして、九兵衛の妻にございます。このたびのご復活、誠におめでとうございます!! ハハー!!」

「「「ハハー!!」」」



 九兵衛や従業員たちも千にならって平伏した。



「う、ウム……」



 禍津姫は思わぬ事態に困惑し、困り顔で春馬と小夜を見る。しかし、春馬もどうしたらよいかわからず、小夜も肩をすくめていた。とりあえず、禍津姫は九兵衛へ語りかけた。



「ま、まずはおもてを上げてくれぬか。わらわたちは頼みごとがあって参ったのじゃ」

「頼みごと……で、ございますか? 八頭大蛇様が?」



 顔を上げた九兵衛は不思議そうに首をかしげた。強大な力を持つ禍津姫が頼みごとをするとは考えにくい。すると、禍津姫は気恥ずかしそうに頬を赤くした。



「わらわが頼むのではない。頼みごとがあるのは、わらわの……」



 禍津姫は切なげに眉を顰めながら春馬を見た。



「伴侶の方じゃ」

「「八頭大蛇さまの伴侶ぉー!!??」」



 九兵衛と千は目を丸くして春馬へ顔を向ける。春馬は慌てて首を振り、焦りながら答えた。



「は、伴侶かどうかは別として……九兵衛さんに頼みごとがあるのは僕なんです」

「そうでございましたか。このたびは数々のご無礼、平にご容赦下さいませ。わたくし達にできることがあれば、なんなりとお申し付けください」



 九兵衛は春馬を仰ぎ見ながら答えた。すると、禍津姫が満足そうに微笑んだ。



「九兵衛、堅苦しい会話は苦手じゃ。ゆるりと話すことはできぬのか?」

「こ、これは失礼いたしました。みなさまどうぞこちらへ……」



 九兵衛は立ち上がると春馬たちを店の奥にある応接室へ案内した。みんながテーブルを囲んで席につくと、すぐに千がお茶を運んでくる。春馬と小夜はお礼を言ったあと、あらためて自己紹介を始めた。



「僕は新しくDMHデッドマンズハンドに入った、成瀬なるせ春馬はるまといいます。お忙しいところに突然お邪魔してすいません」

緋咲ひさき小夜さやです。今日は鈴宝院れいほういん当主、鈴宝院臣れいほういんおみ名代みょうだいで来ました。九兵衛さん、千さん、初めまして」



 二人が頭を下げると九兵衛と千はそろってテーブルに手をついた。



「「ご丁寧にありがとうございます。八頭やず大蛇おろちさまの旦那さまに、鈴宝院家の名代さままで……先ほどは本当に失礼いたしました」」

「それにしても。なぜ隠れたのじゃ?」



 禍津姫は尋ねながらお茶を口へ運ぶ。九兵衛と千は困り顔を見合わせていたが、やがて九兵衛が申し訳なさそうに話し始めた。



「近ごろの鈴宝院家さまは『七人ミサキ』や『雨傘女あまがさおんな』、『飛沫神ひまつがみ』に『幻霧神げんむじん』……近隣の幽霊や神を片っ端から狩っておられます。その苛烈さは増すばかり。協定があるとはいえ、我々も『神域しんいきの住人』に違いはございません。いつ狙われてもおかしくない立場。恥をしのんで申しますと……本当に怖かったのでございます」

「なるほどのぅ。今度は自分たちが『狩られる』と思ったわけじゃな。それにしても、手当たり次第に幽霊や神を狩って回るとは……どちらが野蛮かわからぬな?」



 そう言って禍津姫は隣に座る小夜を見る。小夜の表情が少しムッとしたものに変わった。



「わたしたちは理由なく狩ったりしない。それに、DMHデッドマンズハンドが狩りをするなら、事前に連絡するなんて、そんな親切なことはしない。いきなり襲う」

「「い、いきなり襲う……」」



 九兵衛と千はゴクリと喉を鳴らした。二人は恐怖きょうふで目をキョロキョロさせている。禍津姫は呆れてため息をついた。



「小夜、わけもなく脅かすでない。怯えておるではないか」

「そんなつもりじゃ……ごめんなさい……」



 小夜が素直に謝ると禍津姫は続けた。



「さて、仔細しさいはわかった。先ほども申したが、今日はお主たち鼠神に頼みごとがあって参ったのじゃ。聞いてくれぬか? さあ春馬……」

「う、うん……」



 禍津姫にうながされると春馬は九兵衛と千を静かに見つめた。



「あの、僕は喰魂じきこんを探しています」

「「喰魂師を!?」」



 九兵衛と千は喰魂師という名前を聞いて驚いている。春馬は喰魂師を探す理由を詳しく話した。聞き終えると九兵衛は薄くなった頭をポリポリと掻いた。



「なるほど。それは、確かに喰魂師の仕業で間違いなさそうです。夏実さまのご無念、いかばかりでございましょう。ですが……」



 九兵衛は真顔になって春馬を見つめた。



「喰魂師の噂は聞いたことがございません。この鍵屋かぎや市に喰魂師がいるのなら、我々はとっくに知っているはずです」

「確かにね。それなら臣さまも気づいているはず……」



 小夜も頷いている。春馬は肩を落とした。



「そうなんですか……」

「いや、上手く隠れているやもしれぬぞ……」



 お茶を飲んでいた禍津姫がポツリと呟いた。



「人やたましいを喰らう連中は昔からずる賢く、奸智かんちけておる。おいそれとは姿を現さぬ」

「「な、なるほど……」」



 九兵衛と千がうなずくと禍津姫は湯呑み茶碗をテーブルに置いて二人を見つめた。



「九兵衛、そなたらの眷属けんぞくはどの程度おるのじゃ?」

「眷属でございますか? 近隣の氏族を含めますと、500~600といったところでございましょうか……」

「さようか。ならば、その者たちも動員して喰魂師を探し出すのじゃ」

「そ、それは……」

「俗世で語られる伝承でんしょうのように、喰人鬼じきにんきたぐいは簡単にねぐらを変えぬ。そばにいることが多い」

「それは、そうかもしれませんが……一族総出となりますと……」



 禍津姫の言う獲物とは夏実のことだろう。黙って聞いていた春馬は俯き、両手の拳をギュッと握りしめる。その様子を見ていた禍津姫はそっと春馬の拳に手をそえた。そしてそのまま、九兵衛夫妻へ鋭い視線を向ける。



「我が伴侶の仇敵きゅうてきを探さぬのなら……そなたら鼠神そじんはわらわの敵じゃ」




 禍津姫は突き放すように淡々と告げる。九兵衛と千は驚いて目を丸くした。



「「わ、わたくしどもを敵と申しますか!?」」

「さよう。夏実は我が義妹いもうととなる身ぞ。その命が尽きるなら……」



 禍津姫の瞳孔がだんだんと細くなり、瞳も赤い攻撃色に変化している。



「お前たちの命も尽きると心せよ」

「「!!??」」

「|喰魂師を見つけ出した方がそなたらのためになると思うが、どうじゃ?」

「「か、畏まりました!! 必ず喰魂師を見つけ出してご覧に入れます!!」」



 九兵衛と千は顔色を真っ青にしてブルブルと震えながら平伏した。

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